4話 間宮カナメ

 新宿歌舞伎町を出発して三時間。九重海岸までの道中で、響野きょうの憲造けんぞうは粛々と死体遺棄事件の情報を仕入れていた。

「ははーん、五人目の被害者は人気YouTuberってね……またずいぶんと毛色が違う人間が出て来たなぁ。現地で生配信とかしようとして巻き込まれたのかな」

「響野、それもう報道に乗った?」

「まだっす! これは九重海岸に入ってる知り合いから……」

「入ってるやついるんだ」

「そりゃあ。正直もう、ここまで来たら何人死ぬか分かんないじゃないですか。リアルタイムで情報掴みたいと思ってる連中ばっかですよ、俺の周りは」

 まるで自分はそういう記者たちとは違うとでも言いたげな口ぶりの響野に、間宮は乾いた笑い声を放り投げる。

「響野記者は潔癖だこと! つまりこの先で何を見ても、記事にはしない、どこにも売らないって意味だよね?」

「遺棄事件に関しては。俺が気になってるのは、、それだけです」

 響野の応えは思いの外真剣だった。立花さんっちゅう人に、と小野がおずおずと口を挟んだ。

「そこまで──思い入れが?」

「思い入れというか、なんていうんだろうね。世間的にはあの人はただの人殺し。戦後日本の裏側に広がる地獄を一手に引き受けた、だけど」

 立花寅彦という名前すら知らなかった小野のために、響野はクルマの中で手書きのレジュメを作っていた。生誕地、日本を発つまでの経歴、これまでに行った殺しについての詳細──「あん人、事故死じゃって社会の授業で習いましたよ!?」「こん人も殺されたんですか!?」といちいち驚愕する小野に、

「勝者の歴史に殺し屋は関与しない。立花さんも……そう。殺すところまでがあの人の仕事で、その後の歴史の書き換えに関しては、きっと全然興味がない」

 と響野は呟くように言った。

「化け物だけど、なんだよね。俺にとっては」

「……個人的に、お付き合いが?」

「お付き合いっていうほどのお付き合いじゃないよ。さっきも言ったけど、俺、ちょっと前まで大阪に住んでて。それこそ立花さんがいなくなるまで。で、まあライターとして色々と取材をね……させていただいてたんだけど……」

「立花さんは、取材に応じてくれる人なんですか?」

「や、全然」

 ハンドルを握る間宮には見えなかったが、響野が大きく首を横に振る気配がした。

「どんな質問してもシカトシカトでひどかったよ。冷たいのなんのって。でも、そう、あの人が消えちゃう前に……あの人も別に仙人ってわけじゃないし、殺し屋にも人間関係はあるし。整理しなきゃいけない関係がいくつかあったんだよね」

「それは、殺害するという意味で……?」

「いやいやいやそういう意味でなく! もっとポジティブな関係。年の離れた友だちとか、そっちの、明るい系の。そういう友だちへのフォローとか、そういうのを全部俺に任せてくれて、意外にも、最後に」

 懐かしいな、と響野はひどく穏やかな口調で言った。

「俺もまあ、別に引き受ける義理はなかったんだけど……でも、取材はさせてくれなかったけど、俺が周りをうろちょろしても立花さんは一回も怒らなかったし。そういう縁もあって、あの人がいなくなってから俺結構色んな人のところを訪ねていって、で、訪問先で、俺の知らない立花さんの話をたくさん聞いたんだよね」

「──それって」

 薄く開いた窓から、潮風が入り込んでくる。肩越しに響野を振り返る助手席の小野に、うん、と不良ライターは微笑んだ。

「置き土産。俺はたしかに、間宮さんや小野さんよりずっと立花さんのことを知っていると思う。だから余計に腑に落ちないんだ。なんであの人が、今、このタイミングで帰国したのか」

「検問!」

 正面を真っ直ぐに見詰める間宮が思わず声を上げた。はっとした様子で響野と小野も姿勢を正す。

「なんで? マジで?」

「五人も被害者が出たら、そうなるもんなんじゃろか……」

「あ、違う、違うよ間宮さん小野さん」

 スマートフォンの画面を素早くタップした響野が、声を潜めて言う。

「東京の方でも事件……警察官が刺されたって」

 我知らず、息を呑んでいた。ぐっと眉根を寄せた間宮は、

「そっちでも死人が?」

「いや、東京の方は不確定……もう報道にも乗ってるし、知り合いからも連絡が──多田ただ隼人はやと、警部補……」

「ふたりとも、ちょっと大人しくしててね!」

 三角コーナーとパトカーの前で、ビートルは緩やかに速度を落とす。少し視線を上げれば、そこはもう、青い海が広がっていた。


 探偵とライターの口八丁でどうにか検問を抜け、三人は九重市九重町に到着した。

「泊まりになるとすると、この町にはホテル的なものはないみたいだね」

「民宿がひとつあるだけかぁ」

「じゃけど、隣の市にはいっぱいあるみたいですね」

 海岸に直行するのもいまいち怪しいような気がして、一旦市役所の駐車場にクルマを停める。平日の真っ昼間、海水浴シーズンも過ぎていることもあってもっと人が少ないかと思っていたのだが、町中に溢れるパトカー、それに県外ナンバーのクルマのお陰で、現在のこの土地が悪い意味で盛り上がっているということはひと目で分かった。もっとも、その盛り上がりの効果で間宮たちも然程不審な目で見られずに町に入ることができたのだが。

「とりあえず宿だけ押さえるか」

 という間宮の言葉を受け、響野がササッとスマホでビジネスホテルの予約をした。もちろん場所は隣の市である。

「ツインルームに補助ベッドで三人部屋でいい?」

「冷静に考えな、今回は私とあんたのペアじゃなくて小野ちゃんもいるんだから」

「うちは三人部屋でも大丈夫です! お構いなく!」

「はい、じゃあ俺が補助ベッドで寝るってことで三人部屋。間宮さん、あとで請求書回すね〜」

 中指を立てる間宮にハンドルを譲られた響野が、慣れた様子で運転席に滑り込む。今度は小野が後部座席、間宮が助手席だ。

 市役所の『九重海岸観光コーナー』に並んでいたリーフレットをすべて開いた小野が、

「人魚の話、全然ないんじゃけどこれは……」

「九重市としては人魚についてあまり触れてほしくない、ってことなのかな?」

 つるりと顎を撫でる間宮に、まあ可能性はあるっすね〜、と響野がのんびりと応じる。

「先にこっちに入ってる同業者がいるって言ったでしょ? そいつからの情報にもあったんですけど、九重海岸の人魚のお話って結構エグいっていうか」

「ああ、大邑おおむらに……じゃないわ。大邑と飲んだ時にバーのマスターから聞いたわ」

「どがぁな話なんですか?」

 『九重市グルメマップ』を広げながら小野が尋ねる。

「基本的にはまあ……よくある、人魚の女の子が人間の男に惚れて、自分の尾鰭と声と引き換えに陸地に上がるって話なんだけど」

「人魚姫ですね! 好きです、映画の、アニメの」

「あれはハッピーエンドだからいいよね。でも九重海岸のやつはちょっと違って」

 住宅地と小さな商店街を抜けたビートルは、どんどん海に近付いてゆく。想定していたよりは少なかったが、明らかに県外からやってきた野次馬、センセーショナルな映像や画像を求めている記者や配信者といった風体の人間が、そこかしこをうろついている。

「あ、コインパーキングみっけ」

「停めるか」

 響野が発見したパーキングにビートルを停め、ようやく目当ての場所に立つことができた。

「綺麗な海……」

 潮風に髪を靡かせながら、小野がぽつりと呟いた。たしかに美しい、水底まで見渡せそうなほどに水が澄んでいる、不思議な浜辺だった。砂も白くて細かい。裸足のままで歩いても怪我はしないだろう。海水浴シーズンともなれば県内外から観光客が殺到するというのも頷ける。都心部から三時間程度の場所にこんなに美しい海があると、なぜ今まで知らなかったのだろう。

「むっ! 間宮さん、小野さん、申し訳ない。ちょっと外します!」

「えっ!?」

「もう?」

 ぎょっとしたような小野と胡乱な声を上げる間宮に響野はふにゃっと笑い、

「さっきから言ってる同業者──海のあっちの方にいるみたいで。話聞いてきます」

「立花寅彦対策はどうすんのよ」

「立花さんはこんな昼間っからうろうろしねーっす! じゃ!」

 そう言い残し、散歩道として舗装されているらしい道路を響野は足取りも軽く駆けて行った。

「殺し屋は吸血鬼じゃないんだから……」

「うちもそう思いました。……ほいで、どないします? 現場見に行ってみますか?」

「あーうん、そうだね」

 気を取り直すのは小野の方が数秒早かった。いかんいかん、と首を振った間宮は、

「最初のふたりは九重海岸って呼ばれる地域のかなり端の方──それこそ隣の市との境目あたりで発見されたらしくて」

「三人目からが、この……」

「そう、真ん中部分。発見者も町の巡査だったり、観光客だったり、色々みたい」

「なるほど」

 浜辺に降りようとして気付く。今、小野と間宮がいる場所から5メートルほど離れたところに、黄色い規制線が張られている。

「あそこか」

「なんか、揉めてません?」

「ん? ……ほんとだ」

 小野の言う通りだ。制服姿の警察官が、詰め寄ってくる二十代前後の青年たちと揉み合いになっている。二十代前後──遺棄被害者と、ちょうど同世代ぐらいか。

「なんでまた……」

「──おい、間宮! 間宮カナメ!!」

 小首を傾げる間宮の横顔に、投げ付けられた声があった。聞き覚えのある、ありすぎるほどの男の声だ。

「お、煤原すすはら刑事!」

「お、じゃねえんだよ! 何してんだ、おまえ」

 いったいどこから走って来たのだろう。目の前で立ち止まるや否や肩で息をする煤原すすはら信夫しのぶに、間宮は愛想良く笑みを浮かべて見せた。

「いやぁ、依頼人都合で捜査打ち切りになっちゃってさ」

 例の、警察より早く真犯人を見つけてほしいっていう、と耳元で囁けば、ああ、と煤原は脱力したような声を上げた。

「依頼人都合だと?」

「変でしょ。だから気になって、ここまで来ちゃった」

「ひとりで?」

「いや、──あれ?」

 傍らに立つ小野美佳子を紹介しようとして、気付く。


 いない。


 ほんの数分、いや数秒前まで傍らに立っていたはずの小野美佳子の姿が、どこにもない。

「なん……小野ちゃん! 小野ちゃん、どこ!?」

「は? どうした?」

「ツレがいるんだ! 女の子! 小野ちゃん!」

「なんだか分からんが姿が見えなくなったんだな? どんな子だ、俺も探す」

 顔を見せようとしてスマホを取り出し、そういえば小野の写真など一枚も持っていないことに気付く。こんなことになるなら事前に顔と服装が分かるよう撮影しておくべきだった。小野だけではく響野についても同じだ。

「可愛い子! スーツ着てる!」

「分からん!」

「だよね! 小野ちゃん、小野ちゃん!!」

 まさか規制線の方へ行ったとは思えない。ちらりと視線を向けたが、相変わらず警察官数名と若者たちが押し合いへし合いしているだけで、小野のシルエットはどこにもない。

 舌打ちをし、現場に背を向け駆け出した。遺棄現場から少し離れた──山の方に向かうと、たしか、岩場があったはずだ。

「小野ちゃん──────!!」

「間宮さんっ!!」

 声は、岩場の影から聞こえてきた。

 煤原と一瞬顔を見合わせ、すぐに走り出す。

「小野ちゃん、どこ、小野ちゃんっ!」

「こっちです間宮さん、こっち!!」

 なんで勝手にそっちに行ったの、離れないでって言ったじゃない……いや言ってないか……という小言は口の中で溶けた。後を追ってきた煤原も無言で息を呑んでいる。


 小野美佳子は、海に転落でもしたかのように全身ずぶ濡れになっていた。


「小野ちゃん、どうしたの……?」

「あの、その、あ、そっちの方はおまわりさんですか?」

「そうだけど、いやそれはどうでも良くて!」

「良くないんです、間宮さん」

 右手に握っていた何かを間宮に押し付けながら、小野はケホケホと咳き込んだ。転落したかどうかはともかく、頭から海水を浴びたことに間違いはないらしい。

「ここの海、危険です。ほんまに。長居せん方がええです」

「何言っ……」

 言葉を返そうとして、間宮はふと手の中に押し付けられた硬いものを見下ろした。


 水に濡れた、桃色の小さな貝殻が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。

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