3話 間宮カナメ

 逢坂おうさか一威かずいの孫でありフリーのライターをしている響野きょうの憲造けんぞうが、防弾ガラス製の扉をほとんど蹴り飛ばすような勢いで開き、店内に飛び込んできた。

 アイスコーヒーを抱えたまま目を瞬かせる小野美佳子を背に庇うようにして、

「どーも」

 と間宮は言った。

「間宮探偵、どうもお久しぶり……っていうかおじいちゃん、マジなの!? マジでなの!?」

 カウンターの上に回転式拳銃リボルバーを置いた逢坂一威は床に倒れ込む孫を見下ろし、とりあえず立て、と呆れたような声で命じた。

「話はそれからだ」

「そ、そんなのんびりさんな……」

 テーブル席から椅子を一脚引きずってきた響野に、逢坂が小さな木札を手渡す。大きく『本日閉店』と書かれたそれを喫茶店の扉にぶら下げ、更に地上に出してある鉄製のスタンド看板を回収し、響野はようやく椅子に腰を下ろした。

「で、立花さんが戻って来てるって」

「詳しい話は探偵に聞け」

「間宮さん」

「私もまあ、ちょっとしたルートで手に入れた情報なんだけど」

 小野に目配せをすれば、すぐにスーツのふところから件の茶封筒が出てきた。小野、間宮、逢坂の手を経由して渡された封筒の中身を取り出した響野は、ああ……と小さく呻いて眉根を寄せた。

「人魚事件。この件、間宮さんも首突っ込んでたんですか?」

「正確にはこの件に絡む別件だけど、もう無関係」

「というと?」

「依頼を取り下げられた。だからここから先は、私の趣味の領域」

「趣味って」

 と口の端で小さく笑った響野が、関係者の名が羅列されたリストに再び視線を落とす。

「この件、俺らのあいだでも話題になってますよ。俺らっていうのはつまり……人の不幸で食ってるライター連中ってことだけど」

「私だって人の不幸で飯食ってる探偵なんだから、ジャンルとしては一緒だよ」

「どうかなぁ。間宮さんはそれでも事件を解決したり、逃げた猫を見つけたり、配偶者の不倫の証拠を掴んだりするじゃないですか? 俺らは単に起きた事件について面白おかしく尾鰭を付けて記事にして、それで原稿料貰ってるだけっすからねぇ。全然違うんじゃないかな」

「そんなことはどうでもいいんだよ」

 響野憲造というこの男、自分で卑下しているほど品性下劣な人間ではない。記事にしても良い/悪いのラインはきちんと守るし、口外してはならない秘密は口を裂かれても絶対に吐かない。この辺りの頑なさは、と呼ばれた祖父・逢坂譲りのものだろうか。仁義に厚いというか。

 ただ、喋り始めるとどんどん本筋を離れて遠くに行ってしまうのは、彼の悪い癖のひとつだ。

「ああ、そうですね。そんなことはどうでもいい。……りう青峰せいほう? 今、立花さんはこの名前で生きてるんですか?」

「知っとるんですか? 立花寅彦さんのこと」

 口を挟んだのは小野美佳子だ。響野は両目をパチパチと瞬かせ、勢い良く立ち上がると、

「はじめまして! ライターの響野憲造と申します!」

「あ、ご丁寧に……クロガネ探偵事務所の小野美佳子と申します。よろしくお願いいたします」

 突然に繰り広げられる名刺交換に、逢坂はひどい頭痛に襲われたような表情で顔を顰めた。

「クロガネ……ってあの鉄? 大邑おおむらさんの? え?」

「いや、その件については後で詳しく話すから。とにかく響野、座って」

 うんざりした顔を隠しもしない間宮に椅子に戻るよう命じられ、響野は大人しく席に腰を降ろす。

立花たちばな寅彦とらひこ──元々の所属は大阪に本部を置く広域指定暴力団東條とうじょう組。とはいえ彼はヤクザではなく殺し屋だった」

「ヤクザと殺し屋って、違うんですか?」

 小野の問い掛けに、難しい質問ですねぇ、と響野は小首を傾げる。

「違うといえば違う、同じといえば同じ……立花さんて人は、こう、人殺しに……人を殺すことだけに特化した組員でした」

 口を挟んだのは逢坂だ。煙草に火を点け、苛々と貧乏揺すりをしている。先ほどまでの好々爺然とした表情とはまったく違う雰囲気に、間宮の背後で小野がぽかんと口を開けている。

「あーあーそうですね、おじいちゃんからしたらそうかもしれないね」

「お、おじいちゃん……? マスターと響野さんはご親戚なんですか?」

「あっはいご親戚です! おじいちゃんとお孫さんです!」

 ほらまた脱線する。元気に挙手する響野に手元のおしぼりを投げ付け、続き、と間宮は唸った。

「ごめんなさーい……でですね、ええと。俺この話するために呼ばれたの? まあいいけど。そんでその、立花寅彦さんは大阪の東條組お抱えの殺し屋でした。だったんですが、あれって何年前だっけ? 十年はまだ経ってないかな。俺、当時大阪にいて今と同じような商売をしていて、立花さんにもインタビューとかしたこと結構あったんだけど、ある時急に『当分日本を離れる、もう来んな』って言われて」

 当時を懐かしむような遠い目で響野は語る。

「その何日か後に、姿。それが最後っす」

「ヤクザの人を半殺しに!?」

「はい。動機は知りません。あとちなみになんだかんだ言いつつ死人はちょっとしか出なかったみたいです。箝口令敷かれたせいで、俺の耳に有益な情報はほぼ入らなかったんですが」

 おしぼりで顔を拭きながら、もごもごと響野は続けた。

「実際、日本国内からは姿を消してしまったんですね。どういうルートを使ったのかは分かりません。東條組は立花さんを探しています。飼っていた殺し屋に手を噛まれたんだから、まあ無理もない話かとは思いつつ……でも、ただのヤクザがどんな手段を使ったところで、あの人を殺すことなんてできません。立花さんは、それぐらい、めちゃくちゃ強い殺し屋です」

 ふむふむ、と納得した顔の小野が、ほいで、と逢坂の方に視線を向けた。

「マスターは、なぜ今拳銃を?」

「立花を付け狙う連中がここに乗り込んでくる可能性がある」

「なして?」

「おじいちゃんも同業者だから」

 響野があっさりと言った。

「殺し屋」

「……もう引退した」

「なのにすぐリボルバーが出て来ちゃうから怖いですね〜。一生足を洗えない! いやあ、殺し屋になんてなるもんじゃないですね。はい、そんな感じで俺の解説はこれにて終了! マジでこの話するためだけに俺呼ばれたの間宮さん?」

 響野の良く回る舌が停止するのを待って、いや、と間宮は首を横に振った。

「あんたにも一緒に来てほしくて」

「えっ、……九重海岸に?」

「そう」

「なぜ?」

 もっともな疑問だった。間宮は小さく笑い、答えた。

「私も小野さんも立花寅彦がどういう人間なのかを知らない。カナリア代わりに、あんたを雇う」

「……炭鉱のカナリアってか。俺の命は高いぜ? 間宮さん」

 にんまりと笑う響野憲造をビートルの後部座席に放り込み、間宮一行は九重海岸に向かって出発した。

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