4話 箒木左門
そんなこんなで左門、ルイス、立花の三人は、当分のあいだ『さざなみの宿もとやま』に滞在することになった。宿泊費は立花が払った。亭主である元山には何度も断られ、夜遅くまで現金を挟んで押し問答を繰り返していたようだが、最終的には「三人を長期滞在の旅行客として扱う、そのため宿泊費は受け取る」という形で立花が押し切ったようだった。
「温泉入り放題やで」
という立花にルイスが両手を挙げて喜んでいた。もしや端からそれが目的だったのではないかと左門は疑った。なぜなら、立花の背中にも巨大な彫り物が鎮座しているからだ。
朝食と夕食は民宿で食べるため、昼飯時を中心に三人は町の中を見て回った。とはいえ四人目の遺体の第一発見者ということになっている左門とルイスは常に警察に見張られている状態で、ルイスに至ってはパトカーを運転していた篠田という若い刑事を誘って『あらた精肉店』の名物コロッケの立ち食いに付き合わせていた。神経が太すぎる。
立花は、どこにもいなかった。ふたりを置いて逃げてしまったとかそういう話ではない。朝起きて、三人で朝食を食い、朝風呂を使い、左門とルイスが散策に出かけようとすると、もういないのだ。元山に尋ねると、
「
と簡単に応じられてしまう。いったいどこで何をしているのか、あの老人は。
「しかしよ、左門。あの劉さんって人は、何者なんだ?」
「……え?」
劉さん、立花寅彦については左門も知らない。本当に良く知らない。彼の方が、左門やルイスよりも先にヘルシンキにいた。日本を出たのは10年近く前のことらしい。厄介ごとが嫌いなんや、と年明け、雪景色の朝、三人でヘルシンキ大聖堂に向かって歩いている時に立花はそんな風に言っていた。背筋のピンと伸びた、美しい歩き方をする男だと思った。
「宿泊代も結局現金で……どっかの社長さんとか?」
「ぅあ、えーっと……」
向こうではどういう設定で過ごしていたっけ? 左門は必死で記憶を掘り返す。確か、貿易業を営んでいるある大会社の幹部で──
「日本にも支社があって、そこで社長を勤めてた……らしく」
「へーえ。だからあんなに金払いがいいのか」
「で、ルイスはヘルシンキ支社に入社する予定だったのが、劉さんが日本に行くっていうから付いてきちゃって」
嘘だ。全部嘘だ。しかも喋ってると結構無理があるような気がしてくる。元山さんごめん、と内心手を合わせる左門のことを、目の前の元山は別段疑ってはいない。
「じゃあ左門、おめえもヘルシンキ……フィンランドに帰ったら、劉さんの会社で働くのか?」
「ふえ?」
そっちの設定は決めてなかった。どうしよう。えー。そう、劉さんの部下として……ヘルシンキで……としどろもどろになる左門を見て、元山は少し笑った。
「まあ、日本にいるよりはずっといいわな」
「え?」
「面倒なヤクザに追い回されなくてもいい。おめえ、劉さんと、ルイスと、仲良くやれよ」
箒木組皆殺しの報を、この町に住む、或いはこの町で育ったある一定年齢以上の人間は皆知っている。それでいながら、誰もが姿を消した左門の無事を祈っていてくれたと、帰国して初めて知った。ありがたい話だと思う。だから余計に、立花にまつわるどうでもいい嘘を吐き続けるのが少しだけ辛かった。
左門の取り調べを担当したのは小燕という名前の刑事だった。聞けば、捜査本部の陣頭指揮を取っている人物なのだという。そんな忙しい立場の人間がなぜ、と首を傾げていると、
「箒木左門さん。あの、箒木左門さんで、間違いはありませんね?」
と、長身でほっそりとした、だが決して痩せぎすというわけではなくしっかりと筋肉がついた体躯、それに豊かな黒髪を後ろに流した小燕が真っ直ぐに左門の目を見ながら言った。ああ、なるほど、と合点する。ここでも、『あの箒木組』だ。まったく。別に箒木組が全国的に有名な悪行を成した暴力団だったというわけではない。名古屋以東関東一都六県に加えて東北、北海道にまで支部を持つ関東玄國会が総力を挙げて叩き潰した地方組織。そういう意味で、箒木組は特別なのだ。
取調室のデスクに肘を付き、煙草、と左門は言った。
「煙草ください。朝の一服がないとうまく喋れない」
小燕が小さく溜息を吐き、部屋の隅で記録係をしている男性に「おい」と声をかけた。大柄な男性警察官が席を立ち、憎々しげな目で左門を睨みながら小燕に煙草をの箱を渡す。おそらく私物だろう。
「ハイライトが良かったなぁ」
無惨な遺体を目にした瞬間のあの吐き気と緊張感は、既に消え去っていた。自分もやはりヤクザの息子なのだと左門は思う。今はもう大丈夫。何も恐れることはない。どんなことだって喋り通せる。
紙巻きを咥え、火を点けて、ルイスとの打ち合わせ通りに語った。友だちが先に散歩に出て、探しに行ったら大変なことになっていた。死体の様子は良く覚えてない。あんな状態だったからきちんと見もしなかった。言葉に嘘はひとつもない。
小燕は、自分を警視庁からの応援組だと説明した。つまり、箒木組に起きた惨劇を情報としては知っているが、実感としてはどうも薄い、と。
「警視庁が目を付けているのは、あくまで関東玄國会です」
だからなんだ、と思いながら左門は紫煙を目の前の端正な顔に向かって吹きかける。それだけでは気が済まず、
「俺には関係ないっすね」
と、付け足しておいた。記録係が殺意の塊のような視線を向けているが、知ったことか。
「箒木組は、なぜ関東玄國会にあそこまで執拗に付け狙われたのですか?」
「それ、今回の事件となんか関係あるんすか?」
父や母が生きていたら、左門のこの慇懃無礼な態度を咎めるだろうか、それともさすが我が子と笑うだろうか。
笑ってほしい。どうか。とうさん、かあさん。
ルイスはパトカー運転手の篠田と仲良くなったが、左門にはそれは無理だった。左門が街中を出歩くと、必ずあの記録係の男が後を付けてくる。迷惑だ。
「あの筋肉ダルマはね、多田っていうんだよ」
ルイスと篠田がコロッケを食べているところに合流しに行くと、篠田がそう教えてくれた。
「警視庁からの応援組」
「ん? ってことは小燕って人と……?」
「小燕警視正の部下。ま、クルマの運転と記録係くらいしかできないみたいだけどね」
篠田は多田が嫌いなのだろう。言葉の端々に、棘では済まないレベルの嫌悪感が滲んでいる。一方多田も、姿を隠す素振りもなく堂々とこちらを睨み据えている。どういう遊びなんだ、これは。
「篠田、俺たちあの死体殺してないよ」
コロッケを食い終えたルイスが言った。
「わかってるよ」
「わかってるの?」
「わかってる。っていうかきみらも、日本に来て新聞ぐらい読んだでしょ? あれで四人目。同じ殺し方で四人目」
溜息を吐く篠田の肩を、ルイスが慰めるようにぽんぽんと叩いた。
「あれはね〜、難しいよ、初心者には」
「は? 初心者?」
ルイスは堂々と余計なことを言う。殺人に初心者も何もあって堪るか。
「あ〜、う〜ん、変な、変な感じ? だったよね。なんていうのかなぁ」
急に日本語が不得手なふりをするルイスに、幸いにも篠田は特に違和感を抱かなかったらしい。
「まあ、あんまり気分のいいもんじゃないよな、目撃者としては。ルイスさんも──箒木さんも。まあ、難しいかもしれないけど早く忘れて。俺たちも頑張って早く犯人捕まえるから」
「篠田、ファイティン!」
「それ、韓国映画で良く聞くね。ファイティン!」
「ファイティ〜ン!」
笑い合いながら拳を合わせるふたりはまるで十年来の幼馴染のようだったが、つい先日知り合ったばかりの警察官と遺棄された死体の第一発見者兼容疑者なのだ。
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