3話 箒木左門

 痛くもない腹を探られるのは面倒臭い、と立花が呻くので、死体を発見したのはルイス、呼び出されて駆け付け、通報をしたのは左門、という設定でいくことにした。立花は海辺を少し散策した後山の方を見に行き、先に宿に戻ったということになった。


 先に救急車を呼ぶべきではないかと思ったのだが、立花の足跡を消しながら死体に近付いてすぐに合点した。救急車を呼ぶ意味がない。ルイスの足元に転がる人間の体は、男性であるということがかろうじて分かる程度で──

「左門、あんまり見ない方がいい。俺が説明するから、足りないとこ手伝って」

「悪い……」

 顔が潰されている。大きな石だとかそういうもので何度も殴打したみたいに、ぐちゃぐちゃになっている。それに服を着ていない。全裸というわけではない。一応下履きは身に着けている。だが、上半身は裸だ。それに。


 町の中でもどちらかというと海からだいぶ離れた場所にある警察署までパトカーで連れて行かれ、事情聴取をされた。左門に言えることは何もなかった。

 別室で話を聞かれているルイスは大丈夫だろうか。何か適当なことを言って要らぬ容疑をかけられてはいないだろうか。心配だ。

「──ははきぎ、さん?」

 そういえばパトカーを降りる際、ハンドルを握っていた篠田と名乗った警察官が何か言いたげな様子で呼んだ。

「はい」

「私の思い違いだったら申し訳ないんですけど……箒木さんって、もしかして」

「ああ」

 隠しても無意味だ。この現場にこの早さで臨場しているということは、目の前に立つ篠田という警察官は県警の人間だろう。だったら、箒木組と関東玄國会の抗争、という名の一方的な大殺戮についての記憶があるに違いない。

「そうです。箒木組の関係者です」

「3年前、でしたか」

「はあ」

「その後どちらに」

「外国に」

 無駄な隠し事をするつもりはない。正直にすべてを吐く気もないが。外国に? と太い眉を跳ね上げる篠田に、左門はくちびるの端を歪めて見せた。

「箒木家の長男でしたので。関東玄國会に見つかったら、何をされるか分かったもんじゃない」

「外国とは、具体的にどちらに」

アメリカUSボリビア BoliviaメキシコMexico、それにフィンランドFinland

 ルイスの台詞をそのまま借りた。篠田が顔を顰めた。


 しばらく民宿を離れないでほしい、という要請を受け、左門は身柄を解放された。喫煙所で煙草を吸っていたら、30分後にルイスがやって来た。

「うたがわれた!」

「僕も」

「なんでかな? ルイスだから?」

「かもね。僕は、箒木組の生き残りだから」

 ふたりで連れ立って帰路に着いた。海辺には規制線が張られ、大勢の警察官がそれぞれの仕事をこなしているのが見えた。

 『さざなみの宿もとやま』に戻ると、亭主とその妻が真っ青な顔で飛び付いてきた。左門とルイスが無事で良かった良かったと涙声になっている。

「無事ですよ、そんな……」

「ナイフ持ったシリアルキラーに出会ったわけじゃないし、だいじょうぶ!」

「いっこも大丈夫やないわ」

 ふたりに現場を任せて姿を消した立花は、既に民宿に戻っていた。朝食も食べ終えたらしい。あんな凄惨な死体を見た後に、良く食事をする気になるなと左門は呆れと感心が半々の気持ちになった。

「俺もさっき大将に聞いてな」

 一旦客室に引き上げ、布団があった場所に置かれた大きな丸テーブルを囲んで三人は顔を突き合わせる。大将、元山がやって来て、テーブルの上に温かいお茶と薄い煎餅を置いた。食欲はないが、腹は減っている。ルイスと左門は同時に手を伸ばし、煎餅をばりばりと齧った。

「あの死体で四人目やと」

「は……?」

「四人!?」

 左門を口をぽかんと開け、ルイスは素っ頓狂な声を張り上げた。ええ、と亭主は昨晩の大はしゃぎが嘘のように落ち込んだ顔で、客室の隅に正座をしていた。

「まさか……あんたらが発見者になっちまうとは」

「おやっさん、元山さん、どういうことですか? アレは……なんなんですか?」

 酷い苦痛に耐えるかのように顔を歪める元山を責める気はないし、慰める方法も左門は持ち合わせていなかった。ルイスは無言で煎餅を全部食べ、左門の分のお茶まで全部飲んだ。彼は彼でそれなりのプレッシャーに襲われていたらしい。

「大将。気にせんでもええ。ああいうのは、誰かがどうせ見つける。その誰かが今回は左門とルイスやった。それだけの話や」

 死体を発見していないことになっている立花が淡々とした口調で言う。そうだろうか、と元山は震え声で言った。

「せっかく戻ってきた左門と友だちが、あんなもんを見付けちまうなんて」

「……」

 無言で視線を交わす左門とルイスの前に、立花がスマートフォンを滑らせた。

「七月から」

 新聞社が配信しているネットニュースが、液晶画面に映し出されていた。

「立て続けに三人、今日で四人目」

「えっ……あんな、死体が?」

「ニュースにはまあ、最低限の情報しか載っとらんけどな。そういうことやろ、大将」

 話を振られた元山が、りうさんは落ち着いてるな、とどこか呆れたような声で呟いた。

「俺ぁ、どうしたって落ち着いていられねえ。あんなもん……」

「あんなもん、って、まさか大将も見たんか?」

「……一人目の、第一発見者が、俺だ」

「!」

 立花が何かを言いたげに口を開き、すぐに閉じる。

「元山さんが?」

「ああ」

「七月に?」

「そうだ……世間は夏休みに入ったばっかりの頃でな。客も多くて。もちろんうちも、全室満室で。そりゃあ忙しくて──」

 忙しくて仕方がないが、年に一度の稼ぎ時だ。『さざなみの宿もとやま』は民宿としてだけではなく、元山の孫──若旦那の息子なので周りからは『若』と呼ばれている青年、左門より幾つか年下で、もちろん面識もある──が中心となって、海の家を出したりして夏を盛り上げていた。

 若、こと元山圭介けいすけは大学の同級生や実家に戻って来ている高校時代の友人をアルバイトとして雇い、海の家を運営していた。元山家以外にも県外から海の家を出すためだけに乗り込んでくるイベント会社などがあり、なかなかいい感じで売上競争が行われていた。

「だが、圭介だけだとな……問題が起きちまって……」

 強引なナンパ、ポイ捨て、喫煙、未成年による飲酒。気温が高くなるに従って年若い圭介の手には負えない厄介な客が増えてきて、ついに元山家とイベント会社は手を結ぶことになった。毎日、お互いの海の家の従業員の中でも強面の者を選び出して、トラブルが多い朝夕の見回りをすることになったのだ。

「朝──圭介は飯の仕込みで忙しくてな。俺と、それにバイトの何人かが見回りに出たんだよ。七月の、最後の日曜日」

 空手の特待生として都内の大学に進んだ圭介の幼馴染と、今は地元の建築会社に勤めている青年。そのふたりと元山の三人で、浜辺のゴミを拾ったり、砂浜に倒れている酔っ払いを交番に届けたりしながら見回りをした。イベント会社の従業員たちにも出会った。そうして、30分も歩き回った頃。

「最初は、酔っ払いが倒れてると思ったんだ。けど、近付いてみたら」

 その瞬間の衝撃を思い出した様子で、元山が両手で口を覆う。

 無理もない、と左門は思う。

 潰された顔。裸の上半身。それに。

「空っぽの体」

 立花が言った。元山がはっと顔を上げる。

「劉さん、あんた……!?」

「大将。あんたが見たもんを俺も見た。せやけど俺は、一旦警察の捜査線上から外れることにした」

 なぜ、と言いたげに両目を見開く元山に、

「悪いようにはせえへん。信用してくれ……ってまあ、無理かもしれんけど」

 少しだけ笑った立花はすぐ真顔になり、ここからここまで、と自身の鎖骨の間から股間までを指で真っ直ぐに辿って見せた。

「綺麗に切られて、開かれて、中身が全部出されとった」

「俺も見た」

 と、ルイスが続ける。

Haiに食われたのかと思ったけど違ったね。切り口がまっすぐ」

「その通り。今日日きょうびよっぽどの腕がある外科医でもあんな切り口は作れん」

 つまり、どういうことだ。ルイスと立花は何を考えているのだ。

 ふたりの雰囲気に完全に呑まれている様子の元山に、立花は囁くように言った。

「大将」

「な……なんだ」

「絶対に迷惑はかけへん。せやからもう暫く、ここに置いてもらえへんかな」

 左門の直感が告げている。立花寅彦──この男は調査をしない。捜査も推理もしない。だが、あの空っぽの死体の正体を知りたがっている。好奇心があまりにも強すぎる。

神は好奇心の強いもののために地獄を作ったHe fashioned hell for the inquisitive.

 ルイスが、左門にだけ聞こえるように誦じた。

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