2話 箒木左門

 久野くの不動産の現社長である久野くの昌信まさのぶは、箒木左門の帰還を飛び上がって喜んでくれた。

「箒木さんはなぁ、いい人だったからなぁ」

 彼の言う『』には父と母、それに兄貴分全員が含まれているということを左門は知っている。

「とにかくおめえが無事で良かった! 三年、どこに行ってたんだ? いや、言いたくねえならいいんだけどよ……」

アメリカUSボリビアBoliviaメヒコMexico、それにフィンランドSuomen tasavalta

 横から口を挟んだのはルイスだった。グラスの冷たい緑茶を一気飲みし、出された饅頭を美味そうに食べている。

「スオ……なに?」

「あー、フィンランドFinlandですね、ぼくのおばあちゃんの故郷」

 目を瞬かせる久野昌信に笑顔で説明し、ルイスはテーブルの上の茶菓子を次々に平らげていく。

「あんたフィンランドの人なのか」

「えー、おばあちゃんだけ。あとはまあ、色々です。混ざってる」

 混ざってる、のところでルイスの両手が目の前で何かを丸めるような仕草をした。混ざってる。確かに、そういうことになるのかもしれない。ふーん、と鼻を鳴らした昌信は、

「この店にフィンランドの人が来るのは初めてだなぁ」

「本当? 嬉しいな。あとで写真を撮ってもいいですか?」

「ああ、いいよ。昔の地図もあるけど、見るかい」

「見る!」

 そんな感じで昌信とルイスが中心になって盛り上がり、爽子が気にしていた「」についてはあまり触れることができなかった。だが、海外を転々としていたということだけは伝わっただろう。英語すら曖昧な左門がこれまで生き抜くことができたのは、ルイスのお陰だ。ルイスはフィンランド語に加えて生まれ育ったアメリカ仕込みの英語、それに趣味で学んだというフランス語とスペイン語に堪能で、左門に出会って更に日本語を習得した。ちなみに、先ほどルイスが告げた「アメリカ、ボリビア、メキシコ、フィンランド」はルイス本人の逃亡経路であり、左門は日本からヘルシンキに直行した。


 ヘルシンキで、一ヶ月ほどはほとんど誰とも喋らず、バックパッカーが集う安宿に引きこもっていた。話しかけられても適当な英語と愛想笑いで逃げる左門は、あっさり人の輪から外れた。だが、それで良かった。良かったはずなのに、一ヶ月ほど経った頃。唐突に現れた長身の、タトゥーだらけの、金髪の男が左門を見付けて話しかけて来たのだ。「日本人? 飯食ってる? 日本語教えてよ!」と。英語だった。食事はろくにしていなかった。それに他者との対話にも飢えていた。それで、左門はルイスと行動を共にするようになった。


 その日の宿すら決めていなかった左門、ルイス、立花を、久野夫妻が海の側にある民宿に紹介してくれた。海水浴シーズンが終わると看板を片付けてしまうという民宿の亭主は、久野の紹介なら、と言って3人のために部屋を用意してくれた。亭主もまた箒木左門を知る人間のひとりだった。「こんちは」と頭を下げる左門を見て幽霊にでも出会ったような顔をした彼は一瞬で気を取り直し、

「おい、みんな呼べ! みんな!」

 と喚いて、本当に大勢を町中から呼び寄せた。亭主は左門からすると祖父ほどの年代で、つまり立花とは同世代ぐらいだろうか。亭主の息子──若旦那と呼ばれている男性も左門のことを知っている。彼は左門の父親の同級生だ。そんな父子が町で暇を持て余している者たちを大勢呼び込んで、宴会場に通したものだから、それはそれは大変なことになった。無礼講である。

「箒木組」

 自分の分の酒と灰皿を持ってさっさと客室に逃げ帰る立花が、左門の耳元でぽつりと言った。

「ええ組やったんやな」

 そうですね、と迷わず答えた。ヤクザだけど。反社会的勢力だけど。それでも箒木組はこんなにも土地の一部だった。

 街に二軒しかないキャバクラも今夜は急遽店仕舞いをして、ドレス姿の女性が何人も宴会に参加した。全員が左門ではなくルイスに興味を示した。彼女たちにとっては左門はただの生還した同級生に過ぎない。明るくお喋りがうまくハンサムなルイスの方がずっと興味深いだろう。

「さもーん! みんな信じられないぐらい積極的だねぇ!」

「ルイス、日本で恋人作りたいって言ってなかった?」

「言ってたが──言ってたが、あれ、ボスはどこ?」

 左門は宴会場をこっそりと抜けて、民宿の庭から海を見ていた。ルイスが缶ビールを片手に後を追ってきた。

「ボスはもう部屋。うるさいの嫌だって」

「ボスらしーね。ねえ、温泉あるって聞いたけど入ってもいいのかな?」

「タトゥー? 大丈夫って言ってたよ、今泊まりのお客さん俺たちだけらしいから」

 嬉しい、温泉、楽しみ、と煙草に火を点けながらルイスがにこにこと笑う。人の良い男だ。それでいて人誑しでもある。更に、アメリカ西海岸のギャング組織の末端組員で、、でもある。

「左門」

「ん?」

「墓参り終わったね。次どうする?」

「ん……」

 答えに窮する質問だった。三年。三回忌。なんだかんだ理屈を付けて帰国してしまったが、墓参りをしたい気持ち以上に、日本に戻りたいという感情を抑えきれなくなったというのが正直なところだ。寂しかったのだ。

 その寂しさも今、町と人が埋めてくれている。ここまで付き合ってくれたルイスと立花にも感謝している。だから。

「ルイス、どっか行きたいとこある?」

「うーん? そうね、俺、北海道行きたいかな」

「北海道? なんで?」

「広いし、寒いから」

 ふーん、とだけ答えて、ボスはどうかなぁ、と左門は呟く。

「大阪に戻りたいとか、思うことあるのかな」

「どうだろね。ボスは、ないかもね」

 そう。立花寅彦は自分のことをほとんど語らない。ただ、以前は大阪の暴力団に籍を置いていたということと、色々あってそこを追い出されたという話と、長年偽造パスポートを用いているがなかなかバレない、というような限られたエピソードだけは何回か聞かされていた。

「偽造パスポート……」

劉青峰Liú Qingfeng?」

「どこで手に入れたんだろうね」

「聞いても教えてくんないだろねー」

 ふわふわとルイスが笑う。なんだか楽しくなって、左門も少しだけ笑う。この土地に戻ってきて良かった。久野夫妻や、民宿──『さざなみの宿もとやま』に辿り着けて良かった。もとやまというのは亭主の苗字だ。元山もとやま

「朝になったらボスに聞いてみよっか、次どうするか」

「そうね。あと俺、コロッケ食べたいな」

「あ、忘れてた。それも明日だね」

 宴会会場ではいつの間にかカラオケ大会が始まっていた。


 朝。

 3人川の字で眠っていたはずなのに、左門が目を覚ました頃には左右の立花とルイスの姿はなかった。温泉でも使っているのだろうかと大浴場を覗くが、人の気配がない。

「おやっさん」

 庭木に水を撒いている民宿の亭主──元山に声を掛ける。

「おはようございます」

「おう、ぇえな」

「あはは……あの、僕の連れ、どっか行っちゃいました?」

 ああ、と元山は片手で庭木の向こうを示して答えた。

「海辺を散歩するっつって出てったよ」

 ありがとうございます、と言い置いて、浴衣にスニーカーを履いて宿を出た。ふたりとも、散歩に行くなら起こしてくれればいいのに。

 未だ寝静まったままの町──腕時計を見ると朝6時半だ、早すぎる──を抜けて、見慣れた海辺へ。子どもの頃のいちばんの遊び場だ。海に近付くにつれて潮の匂いが強くなる。海。久しぶりの日本の海。


「──え?」


 潮の匂い。髪を揺らす潮風。その中に、左門はひどく不穏なものを感じ取った。

 鉄の匂い。血の匂い。早朝の海には相応しくない、匂い。


(いや、まさか、そんな)


 ルイスには人を殺した過去がある。立花寅彦も同様だ。だが、彼らが──そんなこと有り得ない。この町で、いったいどんな理由で誰を手にかけるっていうんだ。

 駆け足で浜辺に向かう。匂いがどんどん強くなる。


「左門!」


 ルイスの声がした。派手な柄の開襟シャツにブラックデニムのルイスが、砂浜に仁王立ちになって手を振っていた。


「ルイス──────」


 駆け寄ろうとする。だがすぐに、足が止まる。

 

 来るな、ルイスはそう言っていた。

 何が。

 起きている。

 立ち止まり、目を凝らす。

 ルイスの足元に何かが落ちている。いや倒れている。人間だろうか。人間だ。

 傍らに立花がしゃがみ込んでいる。

「左門!」

 その立花が、凛と響く声で朝の空気を引き裂いた。

「通報せえ! !」

 ルイスも立花も殺していないのに、浜辺に死体が転がっている。

 そんなこと有り得るのか?


 この死体がであるということに、箒木左門はまだ気付いていなかった。

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