むかし、むかし

陸のおとこに恋した人魚

 むかしむかし、この国でいちばん美しい海の底に、人魚の村がありました。

 人魚たちはおとこもおんなも皆美しく、長い命を持っていました。


 ある花火の夜、人魚の村でもいちばんの器量良しといわれる末の娘が、陸のおとこに恋をしました。

 おとこは山の中にあるお屋敷の跡取り息子で、花火の晩、珍しく海辺をひとりで歩いていたのです。


 陸のおとこへの恋で苦しむ末の娘は、恋の病のせいでどんどんやせ細り、遂には命を失いそうになりました。

 娘を哀れに思った母親が、寝室にやって来てこう言いました。


「娘や、陸のおとこのことはお忘れなさい。絶対にしあわせにはなれないのだから」

「いいえ、いいえ、おかあさま」


 末の娘は真珠のような涙を流してうったえます。


「わたしはあの方と一緒になりたいのです。そのためなら、どんなくるしみにでも耐えて見せます」


 末の娘の決意はかたく、母親は秘密のくすりを娘に手渡しました。


「娘や、よくお聞きなさい。このくすりを飲むと、おまえの尾鰭は脚になり、陸を歩けるようになります。代わりにおまえは、その美しい声を失います。娘や、それでもいいのですね?」

「おかあさま、おかあさま! わたしはあの方としあわせになります、ぜったいに!」

「娘や、よくお聞きなさい。このくすりは、三度満月が沈むと効果を失ってしまいます。それまでに、陸のおとこと添い遂げるのです。かならず、かならず!」


 苦いくすりを飲み干して、末の娘は見事に陸のにんげんになりました。


 ところが──


 恋したはずの陸のおとこは、色を好み、おんなと見れば閨につれこむ、おそろしいおとこだったのです。

 末の娘は思い悩みました。陸のおとこを愛するきもちは変わりません。けれど、陸のおとこは、自分を生涯の伴侶として選んでくれるのでしょうか?


 三度目の満月が上がった夜のことでした。


 陸のおとこの閨にまねかれた末の娘に、海の中からはなしかけてくるものがいます。

 それは、海の底で暮らす姉や兄たちでした。


「いもうとよ、いもうとよ! まちがえてはいけません、今夜、この満月が沈む前に、この刀であのおとこの心臓を貫くのです」


 姉たちと兄たちが差し出すのは、貝殻や珊瑚で飾り付けられた、キラキラと輝くうつくしい小さな刀でした。

 ですが、末の娘は大きく首を横にふります。愛しい陸のおとこの心臓を、刀で貫くなんて!


「いもうとよ、いもうとよ、まちがえないで、どうか、どうか……」


 末の娘に刀をにぎらせ、姉と兄たちは水底へと去っていきました。


 声を失った末の娘を閨でもてあそんだ陸のおとこは、まじわりを終えるとすぐに眠ってしまいました。肉体を貫かれた痛みで、ようやく末の娘は気づきます。目の前でぐっすりと眠る陸のおとこは、自分を愛してなどいないのだ、と。


 満月の明かりの下で、末の娘は大きく刀を振り上げました。


 何度も。何度も。


 しかし、その刀が、陸のおとこの心臓を貫くことはありませんでした。

 末の娘は、陸のおとこを愛しているのです。


 刀を手に末の娘が泣きくずれたその瞬間、満月が海の中に姿を消しました。

 母親のくすりの効果が切れ、末の娘は脚を失い、尾鰭を持つ人魚の姿にもどってしまいました。


 刀が床に落ちる音で目を覚ました陸のおとこが、声を張り上げて言いました。


「だれか、だれか! このばけものを引っ捕らえろ!」


 捕らえられた末の娘がどうなったのかを、水底の人魚たちはだれも知りません。


 ただ、陸のおとこが住むお屋敷では三日三晩宴会が行われ、この世のものとはおもえないほどに美しい悲鳴が、毎夜静かな海を揺らしたそうです。

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