5話 間宮カナメ

 小野美佳子には引き続き無理のない範囲で遺棄被害者についての調査を依頼することになった。

「マジで無理しないでね」

「はい。あかん! っておもたらすぐ逃げるようにします」

 花開くような笑顔を浮かべ、小野は間宮が呼んだタクシーに乗って帰路に着いた。タクシー代は間宮持ち──なら格好良いのだが、正直そこまで余裕がないので、クロガネ探偵事務所、というよりは大邑おおむらわたるに丸投げにすることとする。


 ・陸形ろくがた壮太そうた

 最終学歴国立S大学卒、今春株式会社陸形建設に新入社員として入社。

 ヤリサーとして悪名高いテニス同好会の中心人物。性的暴行を受けた女子学生多数。実家の異様な太さで悪事を揉み消している可能性大。殺人にも手を染めている?


 ・村市むらいち直己なおみ

 最終学歴私立N大学卒、昨春株式会社アンディ・フローに入社。外資系ではあるが、村市家と繋がりの深い企業である。学生時代は映画研究会の中心人物として活動。陸形と同じく性的暴行の常習犯だが、被害者が声を上げた件はすべて示談で解決している。身辺に行方不明者数名。


 ・山藤やまふじ竜太りょうた

 国立L大学在学中。2年の浪人期間を経て入学、また入学後は留年を繰り返しており、来年卒業予定だった。陸形、村市両名と同様実家は名家と呼ばれている。特定のサークルには所属しておらず、女遊びが激しい。裁判沙汰になったこともある(過去二回)。身辺に行方不明者数名。


「全員死ね!!!」

 書類をテーブルに叩きつけて喚いた間宮の目を真っ直ぐに見詰めた犬飼いぬかいそそぐが、

「間宮ちゃん! 残念ながら全員死んでる!」

「全然残念じゃねえわ! 死んで当然! 人間のクズ! クズ人間!」

「まあまあまあ……しかしご遺族が間宮ちゃんに真犯人探しを依頼していたとはねえ。警察に対する信用が少ないのかねぇ」

 小野との会合の数日後、間宮は刑事の煤原信夫と鑑識課の犬飼雪を事務所に呼び出していた。ふたりの時間がなかなか合わず、呼び出しから対面まで十日ほどの日数が掛かったが、間宮としては悪くない十日間だった。

 小野美佳子は、実に優秀な探偵である。

「あんたたちに捜査情報を漏らせとは言わない。ただ、私と鉄探偵事務所の優秀な新人が収集した情報をあんたたちにも見てほしい」

 間宮の台詞に、煤原と犬飼は神妙な顔で首を縦に振った。

「3人が3人ともちんちんの制御ができない人間とはね。まあこっちの方にも薄っすらそういう噂は入ってたけど」

 間宮がぶん投げた書類を拾って眺めながら、犬飼がうんざりと呻いた。

「どうしたらそういう人間になっちゃうのかね〜。いやはや」

「しかも息子の犯罪をイエが堂々と揉み消している。正気の沙汰じゃない」

 来客用ソファにぎゅうぎゅうになって並んで座る犬飼と煤原を眺めながら、間宮は煙草に火を点ける。

「陸形、村市、山藤──3人とも、所謂名家の御曹司ってわけね」

 中指で書類に添付された顔写真を弾きながら、犬飼が口の端を歪めて言った。彼は、望んだ職に就くために随分苦労を重ねたと聞く。実家とは既に断絶しており、犬飼という名前もできることならば捨ててしまいたい、俺はただの俺でありたい、という愚痴を以前飲み屋で聞いたことがあった。

 その犬飼からすれば、前後左右をガッチリ『』という名の城壁で守られ、好き放題に悪事を繰り返す3人の若者たちは、はっきりそう言いはしないけれど「死んで当然」の存在に見えている、かもしれない。

 間宮は別に、どこに属するでもない私立探偵なので、「死ね」と思ったら簡単に口に出してしまうのだが。

 一方現場担当の煤原はというと、先ほどから書類を何度も何度も読み返すだけでろくに口を開こうとしない。

「ハラちゃーん?」

 聞いてるの? と目の前に火の点いた煙草を突きつけると、いかにも不快げに、

「聞いてる」

 と唸り声が帰ってきた。

「よくここまで調べたな。俺たちと同じスピードだ」

クロガネ探偵事務所に超優秀な新人が入ったの」

クロガネ……って大邑おおむらわたるの事務所だろう? あんなタレント事務所に優秀な人材が?」

 訝しげな顔の煤原の疑問を今解いてやる必要はない。そんなことより死体遺棄事件だ。

「この──陸形壮太と揉めて大学を謹慎になった後自死した男性についてだが、覚えがある」

「マジで?」

 上目遣いに見上げる間宮に、煤原は静かに首肯する。

「自死は、不審死だからな。警察も介入した」

「ハラちゃんが……?」

「都内だから俺とは管轄が違う。だが、噂ぐらいは耳に入るさ」

「僕も聞いた」

 犬飼が口を挟んでくる。今日は煤原も犬飼も私服だ。ダークグレーのノーカラーシャツにチノパン、スニーカーの踵を踏んでいる煤原。傍らの犬飼はどこかのイベント会場で買ったと思しきバンドの名前がでかでかと書かれた橙色のオーバーサイズTシャツに、膝丈のデニムを履き、足元はサンダルである。

「なかなか壮絶な死に方で……風呂場が血で真っ赤、を通り越して真っ黒だったって聞いたよん」

「おい犬飼」

「もう終わった話だし、間宮ちゃんもこんだけ情報出してくれてるんだからちょっとだけ、いいでしょ。それにこれ別に僕が見たわけじゃなくて、警視庁の同期のやつから聞いただけ……噂の噂を横流しするのが、そんなに大きな罪になりますか?」

 煤原は大きくため息を吐き、首を曖昧に揺らした。

「風呂場が真っ赤? 手首を切った?」

「いや、こっち」

 間宮の問いに、犬飼はとんとんと自身の首を叩いて見せる。思わず顔を顰める間宮に、

「結構苦しんだんじゃないですかねーって同期のやつの見立てでは」

「遺書は?」

「あった。それも血文字で。『』って」

「守れなかったので……?」

 足を組み替え煙草を咥える犬飼が、もうちょっと違う文章だったかもしれないけど、と呟き、

「まあでも概ねそんな感じよ」

「彼女っていうのは──被害者No.15の死後失踪した交際相手のことかな」

「だと思うけどね僕は」

「交際相手……まだ生きてるのかな……」

 独り言のように呟く間宮に、黙りこくっていた煤原がぽつりと言った。

「No.15」

「え?」

「被害者No.15の失踪した交際相手の存在は、こちらでも気にしている」

「え、何、捜査本部でってこと?」

「……今から言うのは独り言だ。犬飼、あんたも何も言わんでください」

 りょ、と呟いた犬飼は、紫煙を天井に向かって吐き出しながら沈黙した。

「間宮、お前たちが被害者No.15と呼んでいる男性の名は、八房はちふさ壱海いちか。姿を消した交際相手は──八房はちふさ汐海しおみという」

「ええ……?」

 一瞬、消すタイミングを逃した煙草の火が間宮の指先を焼いた。慌てて灰皿に放り込む。

? ? ……兄妹きょうだいって意味?」

「違う」

 煤原は即答する。犬飼は天井を見上げたまま口を開かない。

「遺体が遺棄された海岸があるだろう、三ヶ所──そのすべてに隣接している街にいちばん多い苗字、それが『』なんだ」

「ご当地有名名字ってことか。自死した八房壱海と失踪した八房汐海は、ふたりともその街の出身ってわけ?」

「本人たちが暮らしていたことはないそうだが、祖父母が今も存命だ」

「海……遺棄の海辺……海水浴シーズンぐらいしか客が来ない、辺鄙な、良い言い方をすると穴場の海辺、その街に関係がある男が死んで、女が消えた」

「そう」

 頷いた煤原が煙草を咥える。僕もう喋っていい? と犬飼が天井を見るのをやめる。

「遺書があり、現場検証の結果自死と証明された、けれど僕たち一部の人間は八房壱海の死に他者が関わっていた可能性を完全に否定できずにいる」

「犬飼」

「とはいえ鑑識が独断で捜査を続けることなんてできないからね。これも独り言の一部として、間宮ちゃんの中に置いといてよ」

 ね、と微笑む犬飼に、間宮は大きく首を縦に振った。


 別に真実を知りたいとは思わない。八房壱海いちかの死がたとえば他殺だったとして、一介の私立探偵にすぎない間宮にできることは限られている。そもそも依頼さえされていない。だが、妙にもやもやする。喉に小骨が引っ掛かっているような、嫌な感触。


 煤原と犬飼の独り言を無駄にはしない。両名も、間宮の開示した情報を悪い方向には使わないだろう。その程度の信頼関係はある。ただ、歩く道が違う、それだけの話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る