3話 煤原信夫
(幽霊屋敷)
SNSにアップしてある写真を見てすぐに場所を特定した。幸いにも煤原の勤務先の管轄内にある建物だと言うので、休日にクルマを出した。
事故物件、というよりは、確かに幽霊屋敷。豪奢な建物だった。
打ち捨てられて十年といったところか。洋風の建屋を守るように建つ灰色の壁の周りをぐるりと歩くだけで十五分はかかった。門扉は開いている。というか鍵が壊れている。これなら誰でも中に入ることができるだろう。
ひょいと覗き込んだ庭園は、意外ときちんと手入れされていて、小さな紫色の花が点々と咲いていた。
幽霊屋敷──洋館を離れ、街中に戻る。洋館は海を見下ろすように、街中よりも一段高い場所に建てられていた。
商店街の肉屋で買ったコロッケを店先で立ったまま食い、あの洋館なんですが、と肉屋の老婦人に話しかける。ああ、あそこね、おばけが出るって言う、と老婦人はあっけらかんと笑った。
「出るんですか?」
「知らなぁい! 噂よ噂、あたしゃ行ったことないからね」
ぎょっと目を見開く煤原の表情がよほど滑稽だったのか、老婦人はますます愉快そうに笑う。そんなに気になるなら、角の不動産屋に聞いてみたらいいわよ──情報提供の礼のつもりでカツサンドを買い足す煤原に、老婦人はそう続けた。助言に従い、煤原は終業直前の
「警察?」
身分証を示す煤原に、店主と思しき禿頭の男性が黒縁眼鏡の奥の両目を見開いた。
「なんでまた」
「夏なので」
暇潰しに、興味本位で、或いはもっとどうしようもない理由で、事故物件を覗こうとする人間がいるので、念の為現場を見て回っているのです、という言葉に偽りはなかった。ただ、完全なる業務外の行為であるというだけで。
煤原の身分証と顔を何度も見比べた男性が、まあ座りなよ、と言い置いて、店の前に何やら看板を出しに行った。本日閉店、とでも書かれているのだろう。
「あのお屋敷はね、確かにうちが管理しているよ」
「そうですか」
「事故物件……幽霊屋敷、なんつってね。見に来る連中も大勢いる」
だから、おまわりさんに気を遣ってもらえるのはありがたいことだね、と店主は続けた。
煤原の前に冷たい煎茶と小皿に乗った小さな羊羹を差し出して、
「とはいってもね。あのお屋敷とは俺の親父の代からの付き合いだけど、俺ぁ幽霊なんて見たこともねえしなぁ」
「壁の外から少しだけ拝見させていただきました。庭がとても綺麗で、印象的だったのですが」
「ありゃあ俺の
「勿体無い?」
あまり予想していない台詞だった。煎茶で喉を潤す煤原に、おうよ、と店主は頷いた。
「立派なお屋敷で、立派なお庭なのに、誰にも住んでもらえなくてさ。かわいそうに、つって、せめて庭だけでもってさ」
「優しい方ですね」
「かあちゃんか? まあな。自慢の嫁っこよ」
ガハハ、と笑う店主もまた、嘘を吐いているようには見えなかったし、悪い人間だとも思えなかった。だから煤原は、少しだけ突っ込んでみることにした。
「ところであのお屋敷では、どなたかがお亡くなりに?」
「……ウーン」
途端、目の前の男はひゅっと笑顔を引っ込める。
「俺もなあ、親父から引き継いだだけだからよぉ」
「そこをなんとか」
「ハハ、そこをなんとか、か。面白い刑事さんだな」
禿頭と同じくツルツルの顎を太い指先で撫でながら、
「まあ、住んでた人間が死んだのは間違いねえんだよな」
「それは──」
「事件性があるかどうか、って話だろ? 刑事ドラマが好きだから知ってるよ。でも悪いな、俺には分かんねえ。親父が生きてたら話してくれたかもしれねえけど」
「なるほど……」
幽霊屋敷は存在し、おばけが出るという噂があり、管理している不動産屋曰く『住んでた人間が死んでいる』。だが事件性があるかどうかは分からず、不動産屋の妻が庭の手入れをしに通っている──情報を纏めた感じ、そう危険度が高いとも思えない。10段階評価で2から3といったところか。
万が一あの屋敷を覗きに行くという者がいたとしても、躍起になって止める必要はなさそうだ。なんなら、噂で聞いたとかそんな調子でこの不動産屋のことを紹介してやればいい。店主はどうやらお喋り好きだ。現場まで行かなくても、この店で満足して家に帰る者も出てくるだろう。
安心して店を出ようとする煤原を、店主が呼び止めた。
「かあちゃんが帰ってきた! 飯でも食って行きなよ」
煤原は結局、不動産屋こと久野
「あの人、町内会長をやってるんですけど、最近はあんまり飲み会とかできないでしょう? だから他所から来た人がいると、一緒にお酒を飲みたくて、すぐ泊まってけ! って大騒ぎするんです」
とのことだった。
久野のような人間のことは、存外嫌いではない。
それに久野不動産に一泊したことによって、三度目の遺体遺棄現場に急行することができた。煤原が家を出るタイミングで久野もその妻も寝床を出ていて、【久野不動産】と大きく印刷されたペットボトルのお茶とコンビニで買ってきたらしいおにぎりを持たせてくれた。
「最近はな、手作りは喜ばれねえからよ」
「昨晩いただいた夕食はとても美味しかったです。ありがとうございました」
「またいらしてくださいね」
「はい。では」
そんな会話の後に、煤原は顔のない、内臓もない遺体と対面することになった。おにぎりを食べずに温存しておいて良かったと心底思った。
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