知る女
「刑事としてだなんて言ってない」
「そうなの?」
「その……SNSの、フォロワーとして、だ」
嘘を吐けない男だと思う。生真面目で実直で寡黙で無口なように見せかけて意外と饒舌でちょっと抜けてる。そういう煤原のことを、間宮は存外気に入っていた。
「フォロワーがいきなり職場突撃してきたりする? やーだー怖いこわーい」
おまわりさ〜ん助けて〜と笑いながらコーヒーを用意する間宮を、煤原が三白眼の上目遣いで睨んだ。
「俺がおまわりさんだ」
「知ってるよ」
「それでおまえは私立探偵だ」
「はいはい。でも一介の探偵が警察の捜査に協力するとか、テレビ朝日でしか見ないような展開ですから。いったい何の御用で、ここに?」
来客用ソファに腰を下ろす煤原の前に、アイスコーヒーのグラスを置いて尋ねる。黒いTシャツにブラックジーンズという格好の煤原が、銀縁眼鏡を外し、Tシャツの裾で軽く拭ってから再び身に着け、
「人魚っているのか?」
と、訪ねた。
「いないよ」
間宮はそう即答した。
煤原と間宮はとあるSNSで知り合った。今から五年ほど前の話である。本当にあった怖い話、自身が経験した怪奇現象、地元に伝わる都市伝説──などなど、ありとあらゆる種類の怪異の情報を交換し、シェアして盛り上がりたい人間が集まる場所に、既に刑事と探偵だった煤原と間宮はそれぞれアカウントを作って出入りしていた。していた、と過去形になってはいるが、双方のアカウントは今も生きている。間宮は毎週末ログインして新しい話を収集して愉しんでいるし、煤原も不定期にではあるがアカウントを稼働させているようだ。
ふたりが初めて顔を合わせたのは、四年ほど前に行われたオフ会でのことだった。SNSの中にも幾つかサークルのようなものがあり、間宮は三、四ヶ所のサークルを掛け持ちしていて、煤原はひとつに籍を置いているだけだった。『成人限定、ナンパ・お持ち帰り禁止、事故物件同行者募集!』というサークルだ。サークル名通り、所属しているのは全員成人、オフ会もサークルを立ち上げた男性の主催で行われた。主催はなんとかいう出版社の営業部長ということで、年齢も間宮や煤原よりずっと上、親子ほど離れているといっても過言ではない。その男性が行きつけの、一見さんお断りの怪談バーでオフ会は決行された。間宮も煤原もお断りされる『一見さん』だったのだが、男性の紹介ということですんなり中に入ることができた。他のメンバーも全員そうだったと思う。怪談バーというおどろおどろしい名前に反して、金髪長髪に両腕に派手なトライバルを入れたマスターと黒髪長髪性別不詳のバーテンがふたりで回しているというバーは清潔感に溢れた明るい空間で、今はサークルメンバー全員が常連となっている。もちろんオフ会もしている。
『事故物件同行者募集』とサークル名に入っている通り、現場を訪れるのが好きな人間が多いサークルだった。間宮も事故物件巡りは嫌いじゃない。だが、ふたりの初対面となったオフ会の際、
「……そこは、行かない方がいいと思います」
アルコールを手に各々が収集した怖い話、経験した事件、それに行ってみたい事故物件について盛り上がっていたサークルメンバーに、静かな声で言ったのが煤原だった。確か、東京都内のどこかにある殺人アパートと呼ばれている建物の話をしている時だったと記憶している。だいぶ前にある部屋で殺人が起き、ひと部屋だけが事故物件となっていたはずが、事故物件マニアがその部屋に住んで『事故物件』という肩書きが取れた瞬間新しい殺人が起きる。そんなことが繰り返されて、今ではアパートのすべての部屋が元/現事故物件になっているという奇怪な建物だった。
「え、なんで? ハラちゃん何か知ってる系?」
殺人アパートへの突撃同行者を探しているという男性の問いに、あー、いやー、と煤原は困った顔で頭を掻いて見せた。口を挟むつもりはなかったのだろう。
「もしかして見える人!?」
煤原と間宮、それに主催を含めて十人ほどが参加したオフ会だった。その中の半分ほどに詰め寄られ、煤原は本当に困った顔をしていた。
「まあ、行かない方がいいって言う人がいるなら、行かない方がいいんじゃないかなぁ」
そこに割って入ったのが間宮──ではなく、主催の男性だった。最年長者ののんびりとした、しかし「これ以上はやめなさい」という雰囲気の強めの言葉に、皆大人しく引き下がった。何も行ってみたい事故物件はそこだけではないのだ。
「カナメちゃん」
円卓での語り合いを終え、終電がなくなるからと帰路に着く者、バーテンダーのとっておきの怪談を聞いて悲鳴を上げる者、のんびりと酒を楽しむ者──とそれぞれがそれぞれの時間を過ごしているタイミングで、主催の男性が間宮を呼んだ。間宮はこのオフ会の前にも彼と顔を合わせたことがあるのだが、その件については今は横に置いておくとする。
「さっきの彼」
「ハラちゃん?」
「仲良くしておくといいかもよ」
「なんで〜?」
男性の肩に頭を預けてケラケラと笑う間宮に、
「たぶんね、面白い話が聞けるから」
と、主催の男性は微笑んで、黙った。
その後間宮と煤原は連絡先を交換し、怪談バー以外でも顔を合わせるような仲になり、やがて話の流れで互いの職業を知った。
「おまわりさんだから、あの時行くなって言ったの?」
夜勤明けの煤原に少し面白い話があるから聞いてくれと呼び出されたファミレスのボックス席で、間宮は尋ねた。
「ああ」
「そんなヤバいの? あのアパート」
「そうだな……なんというか……」
面白い話(もちろん怪談だ)を語り終えた後、ドリンクバーのコーヒーを飲みながら煤原は顔を曇らせた。
「あのアパートは本物なんだ。近付いただけで面倒なことになる。俺は、あのサークルのメンバーに被害者になってほしくなかった」
「そっか」
煤原信夫は根っからいいやつなのだと思う。善良で、無骨で、不器用で、親切。
間宮最とは正反対の生き物だ。
その彼のあまりに唐突な問いに、間宮は鼻の上に皺を寄せて唸った。
「ハラちゃんらしくない。何、人魚って?」
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