第二話 闇はあやなし-16

 外出に共連れがいたとは聞いていない。行夜がまゆを寄せた次の瞬間、数多あまた漂う鬼火の合間から堂々たる体軀たいくの男が歩み出てきた。

 隆々とした体格もさることながら、なにより山野の獣めいた鋭い眼光に圧倒される。

 発するえとした威風は虎が相応ふさわしいようであるのに、行夜の目には男の姿が銀毛目映まばゆい狐に見えた。

「……親父」

 吉平のうめくような声に、行夜はやはりと独りごちる。

 一目ではっきりとわかるほどに、現れた男――すなわち安倍晴明は眉目びもく鼻梁びりよう、唇の形に至るまで、吉昌とよく似ていた。

 知らないうちに詰めていた息を吐き出しながら、行夜は改めて晴明を眺める。

 顔かたちこそ同じだが、吉昌が備える優美な柔らかさは欠片かけらもない。たて烏帽子えぼしききよう色のかりぎぬと、着衣こそ官人のそれだが、そこらの武人など及びもつかないほどたけだけしい覇気を放っている。腰にいた大ぶりの太刀もおそらく飾りではないのだろう。

 はじめてまみえた安倍晴明は、想像とかけ離れていながら、それでも期待をたがえぬ超越感を発している。行夜は思わず見入ってしまったが、状況がそれを許さない。

 巨大化した幽鬼が背を反らし、何事かを叫ぶ。飛虎はピヤッと飛び上がると、行夜の首元にかじりついた。

「珍しい。渡来の幽鬼か」

 道真は軒から軒をぴょんぴょんと身軽に飛び移り、路上に降りてくる。

「義父上っ」

「行夜、久しぶりだな。どうだ、元気にしていたか? 飯はちゃんと食っているか?」

「そんな話、いまはどうでもいいでしょう! それより、あの幽鬼――」

「吉平。いい歳をして、調伏ちようぶくひとつ静かにできんのか?」

 晴明があきれた声で言いながら、こちらに近づいてくる。

 いでいながらもれつな霊圧に、行夜の肌がぞわりとあわつ。飛虎もたてがみから尻尾しつぽの先まで毛を縮込ませると、止める間もなく影の中に隠れてしまった。

 一方で、吉平は慣れたもので、傲然ごうぜんと腕を組み、晴明をにらみつける。

 容姿に似たところはないものの、視線を交える親子の双眼に宿る複雑な色彩は同じ、まさにうりふたつだった。

「俺のせいじゃない。あいつが勝手に騒ぎ出した」

「ほう? あの様子をうかがうに、そうとも思えんがな」

「うるさい。物見遊山帰りに説教される筋合いはない。しかも、道真も一緒だったのか。足せば二〇〇歳弱のじいさん共が元気なこった」

 吉平の発言に行夜は我に返る。いまの言葉の中には聞き流せない一句があった。

「義父上。今回の遠出、晴明様とご一緒だったのですか?」

「え? あ、ああ、うん。まあ、たまたま」

 道真は視線を泳がせながら、曖昧あいまいに答える。

 歯切れの悪い返答に、行夜はじわじわと眉間みけんのしわを深くする。

「おふたりでどこへ? 船までお使いになったようですが?」

 声の端々に不穏な空気を漂わせながら、行夜は尋ねる。

 詳細は秘密という態度がはじめから気にわなかったことに加え、自分の知らないところで晴明とよしみを通じていたとは。黙っていて済むことと、済まないことがある。

「行夜、その件についてはあとで話そう。いまはあの幽鬼をなんとかするのが先――」

「ぐだぐだと説く必要がどこにある。ろう同士肩を並べ、江口えぐちに出向いておったと言えば済む話だろう」

 割って入ってきた晴明が事もなげに言う。

「晴明、おまっ…… しやべんなって、あれほどっ」

「……江口?」

 行夜の眉がぴくりとつり上がる。

 江口とは淀川を上った先、つややかな妓女が集う町を指す。けた容姿と技芸、そしてなにより色香で男衆を喜ばせる花の園。そこに赴く理由など無論問うまでもない。

「……なるほど。そういうことですか」

 地をうような行夜の声に、道真の額にどっと汗がふき出す。

「違う、違うぞっ。多分、おまえは何か、決定的に思い違いをしている!」

「思い違い? 遊里に出向かれる理由など、ひとつしかないでしょう?」

「だからっ、そうじゃない! 頼むから、俺の話を――」

「――ッ!」

 ごうと、羅生門が倒壊しかねない怒号が響き渡る。話を聞かない者がさらに増え、幽鬼の我慢もいよいよ限界らしい。

 が、しかし。

「うるせえっ! こっちは取り込み中だ!」

 形相もすさまじく、道真が幽鬼をもしのぐ剣幕で怒鳴り返す。なお、漢語で。

「そもそも、さっきから聞いていればなんだ? 聞けだの答えろだの、こいつを殺すだの、それで会話が成り立つと思っているのか?」

 道真は幽鬼に指を突きつけながら一息に言い渡す。

 いきなりりゆうちような漢語が返ってきただけでなく、思いも寄らない怒気までぶつけられて気圧けおされたのか、幽鬼は声を失ったかのようにはくはくと口の開閉を繰り返す。

「さては、おまえたち。漢語がわからず、あの幽鬼を怒らせたか」

 晴明はからかうように吉平と行夜を交互に眺める。

「……勝手に郷に入ったくせに、郷の言葉で話さぬやつが悪い」

「……以後、精進します」

 吉平は不貞腐れて、行夜は情けなさに視線を下げながら答えた。

「ったく。いまはそれどころじゃないって言いたいところだが、仕方ない。おまえの言い分はなんだ? 行き合ったのも何かの縁。聞いてやる」

 道真が重ねて言えば、今度は幽鬼も呑み込めたらしい。話が通じたことで随分と落ち着きを取り戻したらしく、幽鬼は打って変わって静かな声で話し出した。


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あやし神解き縁起 有田くもい/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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