第二話 闇はあやなし-12

 考えるべきことを直視できないなど、情けない限りだが、妻や子たちが怨霊になるとはとても思えないのもまた事実だ。

 大宰府に伴った幼子たちこそ悲しい死を遂げたが、他の者は皆、のちの人生を全うしている。時平たちを怨む気持ちもあっただろうが、それ以上に未来を生きることに目を向けていたに違いない。そんな者たちは決して怨霊にはならないはずだ。

 ただ、件の怨霊が若い僧だったと聞いて、悪い予感が脳裏に浮かんだ。いや、目を背けているだけで、この恐怖はずっと胸にあった。

 まだ人として生きていた昔日、道端で経をそらんじる童の賢さに感心し、連れ帰って養子にした。期待にたがわず童は学才にあふれていて、けんさんの末に立派な僧となった。

 利発にも増して、優しい子だった。己の才知をどうすれば世のため人のために役立たすことができるか、そんなことを一心に考えるような子だった。

 やはり、あり得ない。あの子が怨霊になるなど。

 道真はゆっくりと息を吐き、晴明を見返す。

「……晴明。おまえの考えもわかる。だが、やはり俺には、俺の身内が怨霊になるとは思えない」

「わかった、いまはこの話はやめておこう。憶測で話を進めるのは危険であるしな」

 晴明の言及が止んだことで、道真は肩から力を抜く。

 無意識のうちに、随分と緊張していたようだ。

「……睡蓮殿、たびは実に有益な情報をもたらしてくれた。感謝するぞ」

「いえ、とんでもございません」

 道真は睡蓮に礼を言い、立ち上がると、続けて晴明に話しかける。

「京と江口は目と鼻の先だ。去ったのが五日前なら、件の怨霊がすでに京に入り込んでいてもおかしくはない。俺たちも急ぎ戻った方がいいな」

「京に踏み込んでくれれば、我にとっては好都合だがな」

「……? どういう意味だ?」

「いや、年寄りの独り言よ。そうだな、京に戻るとしよう。なにやら、そうした方が良い予感がする」

 意味深な言葉を重ねながら、晴明もまた腰を上げた。

「睡蓮。今後も油断せず、しかと見張ってくれ」

「かしこまりました。どうかお気をつけて」

 睡蓮に見送られて、道真と晴明は堂宇をあとにする。

 雨は止んでいたが、空には重たげな雲がたち込めている。

 橋の上に出ると、蒸れた風に紛れてかすかにりゆうてきの音色が聴こえてきた。



 宵の口の朱雀大路。

 雨は上がったものの、ひどくぬかるんだ道に往生しながら、行夜と吉平は肩を並べて歩いていた。

 陽が落ち切るまで待ったが道真は戻ってこず、行夜は仕方なく吉平とふたりで羅生門を目指している。

 どろりと渦巻く黒い雲が月も星も隠していて、今宵の夜天はひときわ暗い。夜更けにはまだ早い時刻とはいえ、いつまた雨が降り出すとも知れない路上に人影はない。

 浮遊する三つの鬼火で足元を照らしつつ、ふたりは夜路よみちを行く。傍から見れば立派な物の夜行だ。

 もちろん、行夜は普通にたいまつを使おうとしたのだが、吉平の『面倒』の一言で不本意ながらも鬼火を出すことになった。どうにか断りたかったが、「俺が一緒なら、晴明のせがれがまた気味の悪いことをしているで流されるはずだ」と、言われてしまえば拒む理由は見当たらないし、妙に納得してしまった。

一昨日おとといの晩に、どこぞの公達が門前を通りかかった際に鬼とかち合ったらしい」

「本当ですか? はじめて聞きました」

 少しばかり驚きを交えて、行夜は尋ねる。

 京の者たちはかく噂好きだ。怪談のたぐいは恋愛沙汰と並ぶ彼らの好物なので、その手の話は特に広がりが早い。一両日もあれば大内裏中に知れ渡るだろう。

「親父が口止めした。上はおくびようなやつが多いからな。鬼が出たと聞けば、早く退治しろだの、祈禱きとうしろだの、ぎゃあぎゃあ騒ぐのは目に見えている。大方、下手にふれ回ればとり殺されるやも、とでも脅したんだろ。親父が神妙面でくぎを刺せば、大概のやつはビビッて黙る」

 行夜は素直に得心する。比類なき陰陽師が言えば、さぞ説得力があるだろう。

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