第二話 闇はあやなし-11

「なんぞ、心当たりがあるのか?」

 晴明が問いかける。

 ややあって、道真はゆるゆると首をふった。

「……いや、なにも。ただ、僧というのが意外で……」

「そうか」

 明らかに噓と知れたが、晴明は強いて問いただそうとはしなかった。

 いまはそれより、睡蓮の目撃談を聞くのが先決である。

「他は? 何か手がかりとなるような話はあるか?」

「もうひとつ、重要なお話がございます。件の怨霊は鵺を伴っておりました。おそらくは、隷属させているのだと」

 睡蓮の話に、道真と晴明は同時に「やはり」とつぶやく。

 奥羽でも江口でも、再び動きはじめた怨霊の足跡、即ち干からびた骸のそばには鵺の声を聴いたという話がついて回っている。関連があると考えるのが自然だ。

「だが、かつての祟りの際に鵺の話はなかった。となると、京から逃げたのちに使役したか」

「その可能性が高いかと。件の怨霊は、鵺を〈時平〉と呼んでおりましたので」

 晴明と睡蓮のやり取りに、道真は目を見張る。

「時平? 時平とは……あの、藤原時平か?」

さいはわかりませんが、時平と呼んでいたことは確かです。じゆめいたせいも浴びせる様子から、おんりようの鵺……時平に対するうらみは余程深いと察せられました」

「病であやめたのち、魂を捕らえ、支配下においたのであろう。どうやら、件の怨霊が最も許せぬ相手は藤原時平らしい」

 晴明は淡々と述べ、道真を見やる。

「藤原時平は、菅原道真を冤罪で追い落とした張本人だ。ぬしの身内にすれば、どれほど怨んでも怨み足りぬ相手だろうな」

「…… くだんの怨霊は俺の身内ではないのかと、そう言いたいのか? 晴明、それは暴論というものだ。今日に至るまで、藤原一族がどれだけの政敵を追い落としてきたと思う? 藤原のとうりようというだけで、怨まれることなど星の数ほどあったはずだ。時平自身はいたずらに策略を巡らす者ではなかったが……」

 陥れられた身でこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、道真が知る時平は相手の心情をおもんぱかることのできるそうめいな人物だった。道真にも度々温かい気遣いをくれ、さらには感涙するほどの言葉をかけてくれたこともある。身内や縁者の不幸を思えば許し難い怒りを覚えるが、それでも心底より怨んでいるかと問われれば返事に詰まる。

 梅園で秘密を共有してから幾年、次に顔を合わせた時には手古は時平と名を改め、立派なきんだちとなっていた。そうして、やや気恥ずかしそうに道真にささやいた。あの夜は大変なご無礼を。いまでも梅の花が咲くたび、菅原の屋敷に向かって手を合わせております――と。

 はじめから憎まれていた訳ではない。いや、もしかしたら最後まで時平自身は道真に含むところはなかったのではないだろうか。ただ、時平は藤原の棟梁だった。一族の繁栄を重んじなければならなかった。だから、道真を排さねばならなかった……独り善がりかもしれないが、いまでも道真は心の一端でそう信じている。

 そんな考えに至るほどに、藤原一族の権力に対する執心は深い。娘たちをみかどの妃とし、次代の帝を産ませる。何を犠牲にしてもこれを徹底し、背後からまつりごとの実権をにぎってきた。そして、もうひとつ。道真の左遷がそうであったように、藤原の専横の邪魔となる有力な他氏を容赦なく排除してきた。

「確かに、藤原の棟梁ともなれば怨みのアテに事欠かんだろう。しかし、だからこそ得心がいかん。自身が怨んでいるのなら、何故わざわざ菅原道真の名をかたるのか」

「それは……」

「件の怨霊は、他ならぬ菅原道真に気づいて欲しいがゆえ、声高にその名を叫びながら怨嗟をふりいている……我にはそう感じられてならん」

 反論の余地もなく、道真は唇をむ。

 晴明の言い分は、まさしく道真の憂慮そのもの。もしかしたらと、道真自身も散々考えてきた。

 菅原道真の名をおとしめたいという可能性もなくはない。しかし、それよりも道真のために怨霊になり、かわりに怨みを晴らしているのだと、他ならぬ道真自身に伝えたくて名を騙っていると考える方がしっくりくる。

 万が一、身内の者が関わっているとしたら、命にかえても止めねばならない。それから、そこまでさせてしまったことを心からびねば。なにより、巻き込んでしまった無関係の者たちにあたう限りの償いを……しかし、考えておかねばならないとわかっていながら、いつも途中で踏み止まってしまう。そんなはずはないと、必死で打ち消してしまう。

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