第二話 闇はあやなし-8

「これをやる。駄賃だ」

 命じられた通り部屋に行くなり、吉平から懐紙の包みを押し付けられた。

 行夜が包みを開くと、中には半円形の唐菓子がふたつ入っている。唐菓子は米粉や麦に甘葛あまずらを混ぜた生地を、揚げたり蒸したりして作る甘味だ。吉平から渡された唐菓子は丁子ちようじ桂皮けいひあんが入ったもので、作られてからまだ幾許いくばくも経っていないのか、香ばしい油と餡の甘辛い匂いが鼻先をくすぐってきた。

「ええっと……」

「吉昌が、甘味をやれば喜ぶとも言っていた。道真と分けて食え」

 正直、受け取りたくないと悩む行夜を余所よそに、吉平はぼすんと床に座ると、前を指す。

「そこに座れ」

 渋々、行夜は腰を下ろす。ついでに包みの方も懐にしまう。安倍の血縁と押し問答をしても無駄というのは吉昌の相手で学習済みだ。

「それで? 本当に道真の行き先を知らんのか?」

「はい」

「わかった。なら、影の中のやつを使いにやって、いますぐ戻ってこいと伝えろ。できないとは言わせんぞ。おまえと寝食を共にしているのなら、道真の匂いも覚えているはずだ」

 むうと、行夜は唇をむ。個体差はあるが総じて霊獣は鼻が利く。数多あまたの式神を使役する吉平がそれを知らぬはずもない。

「……ゆ、行夜様ぁ」

 ぴょこりと、影の中から飛虎が顔を覗かす。吉平の霊圧に余程怯えているのか、毛という毛がえ、すっかり縮み上がっている。

「どうした? 大丈夫か?」

「飛虎は道真様のお迎えに行きます〜。いえ、行かせてくださいぃぃ」

 びゅんと影から飛び出すと、飛虎は行夜のひざにかじりつき、ひんひんと世にも情けない鳴き声を上げる。

「ここにいるのは嫌ですぅ。吉平様の式神たちがさっきからこっちを見て、あの小さくて丸いの、肉が柔らかで美味うまそうだって、ヒソヒソするんです〜」

「吉平様!」

 ガタガタと震え、尻尾ごとぎゅうと体を丸める飛虎を抱き締めながら、行夜は怒りをこめて吉平をにらみつける。

「怒るなよ。捕食は獣の本能だ。心配しなくても、わせたりしない」

 吉平は肩をすくめ、ひょいと飛虎を見下ろす。

「ま、そういうことだ。小さくて丸いの、よろしく頼む」

「う、うう〜。こっちを見ないでください〜」

 行夜はため息を吐きつつ、必死に腹に顔をうずめてくる飛虎の背をなでてやる。

「わかりました。飛虎を迎えに行かせます。ただし、道真殿を必ず連れ戻すと約束はできませんよ」

「構わん。駄目なら、おまえだけで我慢する」

「……一体、我らに何をさせるおつもりです? どうかお聞かせください」

羅生門らじようもんの鬼退治。その手伝いだ」

「鬼退治……吉平様の手に余るほどの難敵なのですか?」

「恐らくは大したモンじゃない。祓うだけなら、俺ひとりで十分だろうな」

「なら、何故」

「吉昌だけが楽をするのはズルい。あいつは助けてもらって、俺はもらえないというのは不公平だ。だから、今回は俺の手伝いをしてもらう」

「は? そんな――」

 くだらない理由で? 言葉に出さずとも表情で語る行夜に、吉平はまゆをつり上げる。

「なんだその、くだらないって顔は! 俺には大事なんだぞ?」

 吉平はわめき立て、行夜に指を突きつける。

「とにかく、手伝ってもらうといったらもらう。わかったら、さっさとその小さくて丸いのを使いに出せ」

「……わかりました」

 行夜は評判通りの傍若無人ぶりに嘆息しながら、あきらめの境地で飛虎の背をたたく。

「飛虎、いけるか?」

「大丈夫ですぅ。むしろ、吉平様から離れた方が元気になれますぅ」

「そうか。なら、頼む」

「はぁい。ところで、行夜様」

 飛虎は行夜の胸に前足をつき、目一杯に背伸びをすると、耳元に鼻先を寄せてくる。

「うん? なんだ?」

「道真様に、行夜様が吉平様にいじめられているって、告げ口しましょうか?」

 飛虎の耳打ちに、行夜はすんと真顔になる。道真がそんな話を聞けばどうなるか、想像だけで気が滅入る。

「駄目だ。絶対に駄目だ。余計なことを言ってはならん」

「ええ〜、でもぉ」

「いいから! 吉平様が御用とのこと。可能ならお戻りください、とだけ伝えろ」

「……わかりましたぁ」

 渋々ながらもうなずくと、飛虎は行夜の膝の上から飛び、影の中へ消える。

「夜になっても道真が戻らなかったら、ふたりで出るぞ」

「……委細、承知しました。唐菓子ふたつ分はお手伝いしましょう」

 湿った風が吹いてきて、御簾みすを揺らす。

 ゆるゆるとしたはためきは何処か不気味で先の不穏を暗示するかのように見えた。

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