第二話 闇はあやなし-7

 行夜の気持ちなどいざ知らず、芳男たちが懇願を繰り返そうとしたそのとき、ひとりの男が踏み込んできて、高い声で呼ばわった。

「道真はいるか?」

 響きは美しいが、どこか剣吞けんのんとげをはらんだ声に、行夜をはじめ、学生たちはいっせいにそちらを見る。

 声の主は行夜たちが立つ位置とは逆の端、寮の奥にあたる方から部屋に入ってきた。

 烏帽子えぼし青白橡色あおしろつるばみいろ狩衣かりぎぬ。身なりこそ成年のそれだが、まだ角髪みずらが似合うあどけない顔と、華奢きやしやで小柄な体軀たいくは少年と呼ぶ方がしっくりくる。

 童顔の男は行夜たちに視線を定めると、一直線に近づいてくる。怒濤どとうの勢いに気圧けおされて、芳男たちはさっと左右に分かれた。

 男ながらに、五節ごせちの舞姫が務まりそうなくらい愛らしい顔だが、こうも遠慮なく詰め寄られれば恐ろしい。特に、色彩が複雑に渦巻く双眸そうぼうの威圧感がとんでもなくきつい。

 感じ取れる者が見れば、それが途方もなく強大な霊力の表れだとわかる。影の中でも飛虎がおびえ鳴き、きゅうとしつを丸め込むのが伝わってきた。

「道真は? おらんのか?」

 男からの再度の問いに、行夜ははらに力を込めながら答える。

「……おりません。三日前から出かけております」

「行き先は? 誰か一緒か?」

「存じません」

「なら――」

「戻りの日時も知りません!」

 先程までとまったく同じ問答にいらちながら、行夜は断固たる口調で答える。

「とにかく、道真殿の行方について、私は何も知りません。申し訳ありませんが、御用なら日を改めるのがよろしいかと。どうかご了承ください、吉平よしひら様」

 にべもなく要求を拒まれた男――安倍吉平は不満げに頰を張らす。

「……じゃあ、おまえでいい」

「は?」

「吉昌が、道真を釣るには子を餌にするのが一番確実だと言っていたからな」

「なっ……」

「俺の部屋に来い。いいな」

 吉平は一方的に命じると、さっさときびすを返す。

「お、お待ちください! そんな、いきなり言われても――」

 止めたとて聞くものではない。言いたいことだけ言って、吉平は立ち去っていった。

「あー……。まあ、アレだ。頑張れ」

「そうそう。吉昌様に続き、吉平様からのお声がけなど光栄なことじゃないですか」

「まったくだ。実にうらやましい。しっかり果たせよ」

 呆然ぼうぜんと立ち尽くす行夜に声をかけながらも、関わりは御免とばかりに芳男たちはそそくさと部屋を出ていく。

 陰陽寮は天文、陰陽、暦と専門的な知識、技術を扱う集団である。

 黙々と計測したり、さんを数えたり。鬼をはらったり、手なずけたり。門外漢には理解し難い技をふるうせいか、属する者たちは変わり者とささやかれがちだ。

 その筆頭に挙げられるのが天文博士を務める安倍晴明。

 やれ、式神しきがみを下男下女のように召し抱えているだの。やれ、荒くれ法師と術合戦をして屈服させただの。御伽おとぎ話めいた武勇伝に事欠かない陰陽師は、同時に並ぶ者のない奇人としても有名である。

 先ほどの美男子、安倍吉平はその嫡男。とてもそうは見えないが、吉昌のひとつ年上の兄である。

 父親の才を譲り受け、弱冠二十四歳で陰陽師となった俊英しゆんえいだが、同時に奇特な性質も存分に受け継いでいるらしい。

 上役から声がかかるなど光栄の極みのはずだが、相手が吉平となれば話は別。あの傍若無人の権化に近づいてはならない。鬼に襲われるより悲惨な目に遭いたくなければ、一も二もなく逃げるべし、という教えが存在する程だ。

 しかし、すべてを承知のうえで、行夜はとぼとぼと吉平の部屋へ歩き出す。

 何故なら、ここは権力がなによりものを言う大内裏。見習いですらない学生には、上役に従う以外の選択肢はないのだ。

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