第二話 闇はあやなし-6

 行き先も目的も教えてくれなかった。一体どこでなにをしているのだろう。あれこれ気がかりなところに、大学寮の騒動が起こった。

 こういう時こそ語り合い、る瀬ない気持ちを和らげたいのに。どうして肝心な時にいないのかと不満がくすぶる。しかし、そんな胸の片隅で寒々しい何かもじわりとにじむ。

 寂しい――思わず浮かんだ、認めたくないが否定できない不本意な感情から逃げたくて、行夜は細雨をね上げ、足早に吉昌を追った。


 陰陽寮に戻り、行夜は吉昌とは別れた。

 その足で、行夜は学生たちが集まる部屋に向かう。

 講義は朝からひるまでで、以降は写本などの務めがあるが大体が夕刻前には退出する。

 もう誰もいないと思っていたが、部屋に入るなり、行夜は残っていた先輩学生たちに取り囲まれた。

「ああ、行夜。戻ったか!」

 先輩学生の筆頭、入谷いりや芳男を皮切りに、他にも三人の学生たちがわらわらと行夜の前に押しかけてくる。

「道真殿は? 今日も来られぬのか?」

「それそれ。私も尋ねようと思っておりました」

「俺も待っていた。漢語の訳でわからぬ箇所があって。なあ、どうなんだ?」

 帰るなりこれかと、行夜はげんなりした様子を隠さず、肩を落とす。

 同輩、上役問わずに、陰陽寮にいると少なくとも二十遍は「道真殿はどこに?」と尋ねられる。うんざりするなという方が無理というものだ。

「何度も言いましたが、道真殿は所用で出かけております。しばらく陰陽寮にはお越しになられません」

 行夜の答えに、群がる学生たちは一様に不満をあらわにする。

「そう言い出して、もう三日だぞ。なら、明日は? 明日には戻られるのか?」

 余程気がいているのか、芳男が前のめりに尋ねてくる。他も気持ちは同じなようで、皆そろって前傾姿勢だ。

「わかりません。三、四日という話でしたので、そろそろ帰ってくるとは思いますが」

「わからぬでは困る。頼んでいた詩の添削を受け取りたいのに」

「私とて、期日が迫った調書があるんです」

「急ぎ教えを請いたいのだ。どうにかして、呼び戻せんのか?」

 矢継早の訴えに、行夜は再び嘆息する。

 ひと月前に遭遇したせ物騒動で学んで以来、行夜は虚勢を張るのをやめた。

 道真の縁者だから贔屓ひいきにされている。家柄で登用される貴族連中と変わらない。そんな侮りを受けるのが悔しくて、ずっと力任せに突っぱねようとしてきたが、あの一件を通し、道真から未熟は悪ではないと諭され、すこんと肩の力が抜けた。

 無駄に力まず、焦らず着実に。そう心がけて日々を送るうち、批難や侮蔑ぶべつが以前ほど刺さらなくなってきた。無論、歯痒はがゆく思うことも多々あるが、それでも以前よりずっと落ち着いていられる。

 わからなければ尋ね、できなければ頼る。頭を下げ、素直に教えを請うようになった行夜の態度は先輩学生たちにも響くものがあったらしい。人の気持ちというのは合わせ鏡に似ている。最近では向こうの刺々とげとげしさも随分と収まり、周囲の風通しは格段に良くなった。

 ただし。

「とにかく、文の添削だけはどうしても欲しい!」

「私もです!」

「同じく! この通り、なんとかしてくれ!」

 そろいもそろって、行夜に対する遠慮がなくなった。とにかく、道真に関わる事案は頼み込めばなんとかしてくれるだろうとばかりに拝み倒してくる。

「何と言われようと、どうにもなりません」

 道真がいつ戻ってくるのか、行夜自身が知りたい。

 もっとも、探す手立てがない訳ではない。飛虎に匂いを追わせれば、おそらく居場所はつかめる。そうすれば、急いで帰ってきて欲しいと伝えることもできる。

 それでも、追いかけるような真似はしたくない。道真の自由の尊重というより、下手に探したりすれば、「そんなに寂しかったのか」と妙な方向に喜びそうなので嫌なのだ。

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