第二話 闇はあやなし-3

 勢いよくふり上げられた手はしかし、道真によって止められた。

「それは、手古殿の本心か? 鶯を捨てて、一片の後悔もないと言い切れるのか?」

「なにをっ……放せ! 邪魔をするな!」

「お父上の教えを大事にする気持ちは素晴らしい。だが、それを理由に自分の心を偽るのは正しくない。手古殿は、手古殿の心をなによりも尊ぶべきだ」

「噓ではない! 手古は本当にそう思っているっ」

「死に涙することは弱さではない。痛みを受けれ、向き合っているあかしだ」

 道真は改めて手古の手を取り、涙にれた目をのぞき込む。

「自分のせいで鶯が死んだのだと、手古殿は言うた。鶯に悪いことをしたと悔い、自分の手で弔おうとした。手古殿は過ちを認める勇気と、償おうとする優しさを持っている。それは学識より何より、人の上に立つ者に必要な才だ。そんな一番の宝を捨てるような真似をしてはいけない」

「手古に……才があると?」

「ああ、もちろん。だから、その才をもつて偽りなく答えて欲しい。手古殿はこの鶯をどうしてやりたい?」

 手古は視線を揺るがせ、うつむく。

 しばしの間、迷うように細い息づきばかりを漏らしていたが、やがて消え入りそうな声で答えた。

「…………弔ってやりたい」

「そうか、あいわかった」

「けど、父上には知られたくない。絶対に、嫌だっ……」

「そちらも承知した。では、こうしよう。この鶯は菅原の庭に葬る。それなら、お父上に気づかれることもない」

「……おぬしの家の庭に?」

「こことは比ぶべくもないが、ちまたで紅梅殿と呼ばれるだけあって、梅木だけは何処にも劣らぬと胸を張れる。特に俺のじい様が唐から持ち帰った白梅は見事だぞ。枯れかけていたところを爺様が手を尽くしてよみがえらせ、その礼としてもらい受けたものでな。土地の者の話ではりゆうじんが宿っているとかなんとか」

「龍神……う、噓だ! そんなもの、いるはずない」

「さて、どうだろう。俺も話に聞くばかりで、姿は見たことがない。ただ、我が家の庭の梅が殊に美しいのは、その白梅が守ってくれているおかげだと俺は信じている。無論、庭師たちの甲斐甲斐かいがいしい世話もなくてはならないが」

 道真はからかうように笑いながら、手古の手から料紙ごと鶯の亡骸をすくい上げる。

「爺様は龍神にちなみ、その白梅にとびうめという名をつけた。この鶯は飛梅の根元に弔ってやろうと思うが、どうだ?」

「……手古は龍神など信じない。けど、一番立派な木というなら」

「意見がまとまったな。懇ろに弔うと、約束しよう」

 道真は鶯を料紙で丁寧に包み、懐中に入れる。

東風こちが吹き、梅の花が香るたび、鶯のことを思い出してやるといい。斬り捨てることが強さなら、抱え続けることもまた強さ。ひとつに限る必要などない。その都度都度、手古殿の心が指し示す強さを選び取っていくべきだ」

「だが……」

「先にも言うたが、手古殿は才をたくさん持っている。情けがそのひとつだということを、どうか忘れないでいて欲しい」

 びっくりした様子で目を丸くする手古に、道真はいっそう深くほほえみかける。

 家中のこと、親子のこと、どちらも道真に口出しする権利はない。基経には基経の考えがあり、手古もそれに従いたいと思っているのだろう。だから、これは余計な節介でしかないが、その健気けなげな優しさはかけがえのない才だと伝えておきたかった。

 言い終えた道真は立ち上がると、手古の背を軽くたたく。

「夜も更けた。いい加減、まわりの者たちも手古殿がおらんことに気づくはず。中に戻られた方が良い」

 道真の懸念に応じるように、薄闇の向こうから、「手古様」「若様」と呼ぶ声が次々に聞こえてきた。

「さ、早う。足下にはくれぐれも気をつけるのだぞ」

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