第一話 目にはさやかに見えねども-19

 道真が玩具おもちやとして木札を与えてくれたおかげで、行夜は下手に身構えることなく鬼火の力に対する忌避感を薄めていくことができた。もし、最初から真意を聞かされていたら、ああも気負いなく取り組めなかっただろう。

 そのことを悟った行夜の頭をなで、道真は優しく言い添えてくれた。

 ――鬼王丸がこの木札を扱えるのは、母から継いだ鬼の力があるからだ。それは時におまえを苦しめ、悲しませるだろう。でもな、反対に楽しさや幸せも与えてくれる。悪いだけのものじゃないし、なにより欠くことのできない行夜の一部だ。大切にしろ。

 脳裏によみがえる道真の笑顔と手のぬくもりをそうするように、行夜は木札を両手で包み込み、胸に抱く。

 あのとき、道真は最後にこうも言ってくれた。

 ――鬼王丸が、いまの鬼王丸として在ってくれたから、俺はおまえの義父ちちになれた。おまえを両親から託された時に、はじめて神になって良かったと思えたんだ。ありがとうな、行夜。あのふたりの子として生まれてきてくれて。

 道真からその言葉をもらった時、行夜もまた、はじめて本当の意味で自分のすべてを受けれることができた。

 ふり返ってみれば、力に対する嫌悪や拒否感、なにより恐れが暴走の最大の原因だったのだとわかる。嫌いなものほど目につく原理で、内なる火種に過剰な意識を向けていた。だから、わずかの弾みで望まぬ鬼火を熾してしまうという悪循環に陥ってしまった。

 道真は𠮟るでも諭すでもなく、芽吹きを誘う春の陽の優しさで悪しき連鎖を断ち切ってくれた。そんな義父の想いに相応ふさわしい存在になりたい。半人半鬼の身の上にひるまず、堂々と生きたい。そんな願いから行夜は陰陽師を目指すようになった。物の呪詛じゆそ 、人々を脅かすものに対し、己の力はきっと役に立つ。道真が慈しんでいる人の世を少しでも守れれば、この呪われた力にも意義が芽生えるはず。

 都で多くの経験を積み、ひとかどの陰陽師になれた暁には、大宰府に戻り、道真の片腕となって働きたい。道真にはまだつまびらかにしていないが、それが行夜のひそかな夢だ。

 必ず果たすと誓い、なんとか陰陽寮の見習いになったものの、夢や理想は遠くてまだまだ手が届かない。現実は櫛くしの行方ひとつ占えないでいる。

 行夜は木札を床に戻し、再びため息を吐く。度重なる失敗にいい加減疲れてきた。腹が減ったと頭の中でつぶやけば、呼応するように飛虎が影から姿を現した。

 飛虎は尻尾しつぽを垂れた情けない姿で、行夜の近くにとてとてと寄ってくる。

「行夜さまぁ。飛虎はお腹が減りましたぁ」

 普段、飛虎は行夜の力を糧にしている。わざわざ食事として与えずとも、飛虎は好きな時に行夜から発される力を食べることができる。

 そのため、行夜が疲弊して、力の放出量が落ちれば、当然飛虎のい分も減る。道真の神力を集めて行う木札占いは一度でもかなりの力を消耗する。それを立て続けに八度も続けているのだから、いい加減に我慢ができなくなったのだろう。

 本来であれば、半鬼である行夜の力は瘴気しようきをはらむため、飛虎には毒となってしまう。

 その手の害を防ぐために、道真は行夜の魂に根づく怨嗟えんさに神力の薄膜を張り巡らせた。神力を通すことで瘴気のけがれを浄化できるのだが、加減を誤れば、行夜の魂自体を傷つける危険があったため、道真は相当に苦心しながら神力の膜を編み上げていったらしい。おかげで、行夜は生けるものたちの障りにならずに生きていけるようになった。

「櫛の在り処がわかるまでの辛抱だ。もう少し我慢しろ」

「そう言って、もう何度も失敗しているじゃないですかー。きっと、お探しの櫛は影も形もないほど粉微塵こなみじんになって、消えちゃったんですよぉ」

 悪気はないのだろうが、飛虎の明け透けな言い様にいっそういらちが募る。髪をきむしりたい衝動をこらえつつ、行夜は起き上がる。

「消えたなら、それを示す答えが浮かぶはず。なにひとつ映らないなんておかしい」

「じゃあ、行夜さまの手に負えない問題なんですよ。でければ、八度も失敗しません」

 腹立たしいことこのうえないが、正鵠せいこくを射る飛虎の指摘に行夜は唇をむ。

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