第一話 目にはさやかに見えねども-18

 行夜は三条の屋敷を辞すと、足早に陰陽寮に戻り、立てこもった。

 古びた箱や調度類が山と積まれた物置部屋に座り込み、行夜は真剣な面持ちで方形の盤上に並べた木札と向き合う。

 陰陽寮で用いられているものとはまるで違う。道真が手ずから作ってくれた、行夜だけの特別な占筮せんぜい具である。木札以外にも盤上には折りたたんだ料紙が置かれている。

 料紙の中には花野の髪が入っている。櫛くしの在りを占いで探り当てようと、夕星に頼んで一本頂戴ちようだいしてきた。せ物探しの占いは、こうして持ち主と結びつきのあるものを用意して、目には映らない糸を手繰り寄せる。

 じっと意識を凝らし、行夜は伏せて置いた木札の一枚を返す。

 だが、意気込みもむなしく、表を向いた木札は波紋状の木目のままで、櫛の行方を示すものは何ひとつ浮かんでいなかった。

「くそっ……!」

 行夜は舌を打ち、少々荒っぽい手つきで木札を盤の上に伏せる。

 これでもう八度目の失敗だ。失意にまみれながら行夜は床の上にあおきに倒れ込む。

 格子窓の隙間からのぞいた空には宵闇が漂いはじめている。多分、陰陽寮に残っているのは行夜だけだろう。

 室内は空よりさらに暗いが、人外の力のおかげで行夜は大層夜目が利く。そのため、このままでも不自由はないが、木札をつぶさに確認するにはやはりあかりが欲しい。

 他の目があれば燈台とうだいともすところだが、幸いにもいまはひとりきりである。行夜は右手を持ち上げ、ひとさし指を立てると、指先をくるりと回し、空中に小さな円を描く。

 すると、ボッとかすかな音に合わせて、手のひらにのるほどの小ぶりな鬼火がおこる。蒼い揺らめきを爪先でピンとはじけば、ふわりと舞い上がり、頭上に留まった。

 呪いに等しく魂に刻まれ、一時は心底憎んだ力だが、こういう時は便利なものだ。行夜は自嘲じちよう気味に笑うと、おもむろに右のそでをまくり上げる。

 二の腕の上部をぐるりと巡る、刺青いれずみのような黒い跡。雷光のようにギザギザとした紋様はいわば血の因果――行夜が人ならざるものだというあかしだ。

 鬼火で道真を傷つけてしまったあの日、行夜は泣きに泣いた。

 悲しみは次第に己に対する怒りに変わり、そして程なく両親へ移っていった。

 怨嗟を継がせると知りながら、どうして両親は自分を産んだりしたのか。こんな呪いを一生背負うくらいなら、いっそ生まれてこなければ良かった。

 らちもないことを繰り返す行夜を、道真は黙って抱き締め、背中をで続けてくれた。そんな風に言ってはならないとか、両親が可哀想だろうとか、否定したり𠮟りつけたりは一切せず、静かに耳を傾け続けてくれた。

 過去に思いを巡らしながら、行夜はしばし刻印を眺めていたが、やがて視線を外すと、寝転がったままの姿勢で右手を伸ばし、木札の一枚を取る。

 十年近く使い込んでいるため、角がげ落ち、木肌も摩擦でつるりとしている。

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