第一話 目にはさやかに見えねども-15

「本来、あの程度の物の怪にかれたところで大した問題にはならない。なのに、花野殿がああなってしまったのは心が弱り切っていたから。こんなに辛いなら、いっそ目覚めたくないって具合にな。蜘蛛はその悲哀をぎつけ、つけ込んだ」

 道真は手を伸ばすと、行夜の胸を指先で突く。

「想いは心の血肉だ。花野殿にとって、櫛はすべてを懸けた恋心そのものなんだろうよ。そこまでの深手にはしかるべき手当てが必要だ」

「櫛の必要性はわかりましたが……それでも、明日までに見つけ出すなんて。いくらなんでも無茶が過ぎます」

「は? 何を言っている? まさか、おまえ。櫛の在り処がわかっていないのか?」

「えっ……」

 仰天する行夜の表情から確信を得たのか、道真はにんまりと笑う。

「へえー、ほうほう。そうかそうか。行夜はわかっていないのか。まあ、背丈が大きくなったところで中身はまだまだ子供だもんなあ。やむなしやむなし」

 ばんばんと行夜の肩をたたきながら、道真はいっそう楽しげにはしゃぎ出す。

 最近なにかと反抗的になってきた義子を、久方ぶりに完全保護下に置けそうな事態がうれしくてたまらないといったところか。その態度に、行夜の我慢の糸がぶちりと切れた。

「なになに。心配は要らないぞ。俺がちゃんと面倒をみて――」

「結構です! 道真殿の助けは受けません!」

 行夜は道真の手をはらいのけ、キッと目をとがらせる。

「この件、私がひとりで解決してみせます。そのかわり、明日のひるまでに櫛を探し出せたら、金輪際子供扱いはしない、陰陽寮にも来ないと約束してください。いいですね?」

 ぽかんと口を開け、道真はいきり立つ行夜を眺める。

 騒ぐ声をいぶかしく思ったのか、御簾の隙間から夕星が心配そうに顔を覗のぞかせた。

「あの、どうかされまして……?」

「いやいや、どうもこうも――」

「何も問題ありません。夕星殿、櫛くしは必ず探し出しますのでっ」

 一方的ながら、行夜は戦いの火ぶたを切って落とす。

 絶対に見つけてやると胸の内で息巻きながら、行夜は常に懐中に忍ばせている木札の束をにぎり締める。この木札を使った占いは行夜の特技のひとつで、せ物探しなら過去に何度も成功させてきた。比翼の櫛とやらも探し出せるはずだ。

 ひとりで成し遂げてみせる。もはや、行夜の頭の中にはこの一念しかなかった。


**********


 行夜がはじめて件の木札を手にしたのは数えで七つだった頃のこと。

 鬼王丸という、母方の祖父譲りだという幼名で呼ばれていた行夜は失意のどん底にあった。

 何も見たくない、聞きたくない。何処にも行きたくない、誰とも会いたくない。心の中で幾度となく繰り返しながら、行夜は部屋の隅でひざを抱えて過ごしていた。

 そんなある日。新しい玩具おもちやだと言って、道真は十二枚の木札を差し出してきた。

「……どうやって遊ぶのですか?」

 方形の盤に置かれた木札の一枚を手に取り、裏に表に返しながら行夜は尋ねる。薄い木札は表も裏も削り出したままで、波紋に似た木目以外に絵も文字もない。

「ただの木片に見えるだろ。でもな、そうじゃない。これにはな、俺の神力がこめられている」

義父ちち上の?」

「ああ。だから、俺が神力で呼びかければ、木札は答えてくれる。たとえばそうだな……鬼王丸が一番好きな花は何か?」

 問いかけながら、道真は木札の一枚に触れる。

 ほんの一瞬、札がかすかに輝く。そして、次に表に返された時には、何も描かれていなかったはずの木片にりんと立つ竜胆りんどうの絵柄が浮かび上がっていた。

「竜胆。どうだ? 当たっているか?」

 道真に問いかけられ、行夜は興奮気味に何度もうなずく。

「はい! すごいです!」

「そうかそうか。じゃあ、鬼王丸もやってみろ」

 喜びから一転。道真から木札を渡され、行夜は戸惑う。

 行夜は鬼火をおこすという人外の力を持って生まれた。そのせいで、赤子の頃は泣いたり怒ったりするたびに、あちこちに火をつけまわっていたらしい。

 成長していくにつれ、行夜は徐々に力を制御できるようになっていった。闇雲に鬼火を熾すことがほぼなくなると、道真は散歩と称して行夜を神域の外、人の世にちょくちょく連れ出すようになっていった。

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