第一話 目にはさやかに見えねども-11

 此度こたびの依頼主、吉昌の知己だという女房を訪ねて、道真と行夜は三条堀川ほりかわ近くの屋敷を訪れた。

 屋敷は小さくも瀟洒しようしやな造りで、前庭には山法師や木槿むくげなど、そこかしこで花が咲き乱れ、なんともみやびな風情を醸している。

 おとないを入れると、ほどなく蘇芳すおううちぎをまとった美しい女人が姿を現わした。

 女にしては身の丈が高いが、黒髪が添う首はほっそりとなまめかしい。藤の花を思わせる美女は簀子縁すのこえんに座した行夜と道真の姿を見て、少し驚いたように目を見張る。

 しかし、すぐさま何事もなかったようにほほえんだ。

「どうしましょう。陰陽寮の方と聞いたので、てっきり吉昌様かと」

 困ったわ、などとささやきながらも、美女はおくせず袿のすそを引き、行夜たちの前に腰を下ろす。仕草に添い、ふわりとかぐわしい薫香が漂う。女衣が醸すにはいささか辛みが勝った香りであったが、それがかえってりんえた美貌びぼうをよくき立てていた。

「お初にお目にかかります。私は三条の上様にお仕えする女房、夕星ゆうつづと申します」

 夕星は慎ましく手をつき、頭を下げる。

 このような場に相応ふさわしい受け答えがわからないまま、行夜はぎこちなくお辞儀のみを返した。

 一方ではなから緊張皆無の道真は吞気のんきなもので、美女を拝めて眼福とばかり、へらへらとうれしそうにしている。

「俺のことは道真と呼んでくだされ。どうか、以後お見知りおきを。さて、本日は吉昌殿の名代で参上しました。吉昌殿より預かった文がございますので、まずはそちらをお確かめください」

 道真の言葉に、行夜はやや慌てながら夕星に梔子くちなしの枝を差し出す。

「拝見いたします」

 夕星はにこりと笑むと、枝を取り、解いた文をするすると広げる。

 しばし、夕星は文を目で追っていたが、読み終えると同時に苦笑をこぼした。

「吉昌様ときたら。本当に困った御方だこと」

 夕星は独りごちると、道真と行夜に視線を戻す。

「此度のこと、おふたりにはとんだ災難であったかと。まずはおび申し上げます」

「災難など、滅相もない。夕星殿という天女と見紛みまごう佳人に巡りえて、むしろ僥倖ぎようこうと思っております」

 道真の軽々しい物言いに、行夜が苦々しく口を曲げる。

 一方で、夕星はそでで口元を覆い、ふふと可愛らしく笑った。

「天女などと、お世辞でも面映おもはゆうございますわ」

「いやいや、真実を口にしたまで」

「嬉しいこと。ですが、私などより、お連れ様の方が余程お可愛らしい」

 夕星からつやのある眼差まなざしを向けられ、行夜は目をく。

 何と答えるか以前に、何を言われているのか理解ができず、行夜はひたすらたじろぐしかなかった。

「檜垣行夜様、ですわね。吉昌様の文に、大層優秀な学生でいらっしゃると書いてありましたわ。天狼星てんろうせいのように綺羅きらと輝く、素晴らしい才覚の持ち主だと」

 夕星にそんなつもりはないだろうが、行夜にすればそのひと言は追い打ちに等しい。

 適当な代理を寄越したと、夕星の不興を買いたくなかったのだろう。吉昌の保身のための盛大な空追従に行夜はいっそう顔を引きつらせる。

 しかし、困惑する行夜を余所よそに、道真は嬉々ききとして相槌あいづちを打ちはじめた。

「そうでしょうそうでしょう。いや、育ての親の身で言うのもなんですが、行夜は容色に優れているだけでなく、なかなかに結構な才もありまして」

「道真様が行夜様を? 驚きですわ、それほどお歳が離れているようには見えませんのに」

「そこは諸事情がありまして。ですが、偽りなく行夜は俺が育てました。襁褓むつきを替え、昼夜なくあやした日々はこの胸にしかと焼きついております」

「まあ、そこまで細やかなお世話を」

「幼き頃は泣き虫かつ甘えん坊で、それはもう愛らしい限りでした。大きくなってからはこのように突っ張ってばかりおりますが、これはこれでまた別の可愛げが――」

「道真殿! 関係ない話はやめてください!」

 たまらず、行夜は声を荒らげる。どうしてこう、自分のまわりは好き勝手に放言する者であふれているのか。

「道真様といい吉昌様といい、行夜様は愛されていらっしゃるのね」

「ですから、そういう訳ではなくっ……」

「まわりの愛情とご自身の才能をお疑いになるものではないわ。お会いして間もないとはいえ、道真様が誠実な方というのはわかります。吉昌様も手の施しようのないほどおはらがねじ曲がっていらっしゃるとはいえ、根は素直な御方。相手を認める気持ちがなければ、こうも手放しに褒めたたえたりなどしません」

「……はあ」

 夕星の取り成しに、行夜は不承不承ながらもうなずく。割合に辛辣しんらつな吉昌の人物評についてはそっと流しておいた。

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