第一話 目にはさやかに見えねども-10

「お待ちください。吉昌様が難しいのであれば、陰陽寮の他の方々が赴かれるのが道理というもの。道真殿が名代では筋が通りません」

 吉昌の勝手にはさせまいと、行夜は割って入る。

 すると、吉昌は我が意を得たりとばかりに視線を向けてきた。

「だから、行夜も一緒に行ってくれ。学生とはいえ、おまえも陰陽寮の一員だ。私のかわりを務めても問題ない」

 とんでもない吉昌の言葉に、行夜は己の耳を疑った。

「無理です! 私と吉昌様では立場が違い過ぎます」

謙遜けんそんするな。確かに測量や算術は褒められたものじゃないが、おまえには優れた見鬼けんきの力が備わっている。物の怪絡みの案件だとすれば、私より向いているはずだ」

「そういう問題ではっ……」

 思わず、行夜は身を乗り出す。

 吉昌は笑みを深めると、立てた右手のひとさし指を行夜の口元にあてる。先程同様、いろいろな意味の静寂を促すように。

「できるだけ内々に解決を図りたい。それが知り合いの望みでね。公な依頼という形にするのを避けたいんだよ。わかるね?」

 無理やり押し戻される恰好かつこうで、行夜は残りの声をみ込む。

 吉昌は満足した様子で手を引くと、道真に向き直った。

「とまあ、これが私のお願いしたいこと。どうです? お引き受けくださいますか?」

「行夜に拒否権がない以上、応も否もない。いいよ、受けてやる」

 あきれたような顔をしながらも、道真はあっさりうなずく。

「道真殿っ」

「仕方ないだろー。これはお願いの皮をかぶった命令なんだから」

「でしたら、私がひとりで参ります」

「なに、ひとり……? 馬鹿なことを言うな! うら若き未亡人の屋敷なんぞに、可愛いおまえを単身でやれるか!」

 道真はつまんだばかりの干楊梅を放り出すと、行夜の両肩をがしりとつかむ。

「いいか、世の中には幼気いたいけ雛鳥ひなどりが大好物な肉食女人が数多あまた潜んでいるんだ。もし、屋敷の女主人や女房たちが狩り上手な虎だったら、おまえなんぞ絶好の獲物、頭からペロリだぞ」

「またそんな世迷言よまいごとをっ……くだらない妄想はやめてください!」

「事実だ! 女人はすごい。そして強い。わたくし、何も存じませぬって顔をしながら六またかけたり、逆に浮気相手同士が手を組み、そろって待ち構えていたりするんだ!」

「下世話な裏事情に興味はありません! 巻き込まれるつもりもありません! そもそも何故そんなことを知っているんですか?」

「え、いや、それは噂というか。昔、友達の友達がそういう目に遭ってだな……」

「……なるほど。友達の友達という名を借りた、御自身の体験談ですか」

 行夜から冷ややかな蔑視べつしを向けられ、道真はものすごい勢いで首を横にふる。

「違う! 違う違う違う! 本当に友達の友達の話で――」

「過ぎた否定は肯定。他ならぬ、あなたの教えです」

 のどの奥で悲鳴を上げた道真を一瞥いちべつし、行夜は立ち上がる。

「吉昌様。ご命令、不本意ながらも承りました。早速、その御屋敷に参ります。ああ、道真殿はどうぞそのまま。絶対について来ないでくださいよ」

「ありがとう、とても助かるよ。事情をしたためたこの文を持っていくがいい」

 首尾よく、吉昌は梔子くちなしの枝を差し出してくる。瑞々みずみずしい緑葉と淡白の花弁に隠れるよう、細く折りたたまれた文が結ばれていた。

「お預かりいたします」

 梔子は口無し。さしづめ、秘密は守るという言伝か。忙しいと言いながら、随分とマメなことだと呆れながら、行夜は梔子の枝を受け取った。

「では、失礼します」

 行夜はおざなりに頭を下げると、さっさときびすを返す。

「ゆ、行夜! はなしっ、話を聞いてくれ!」

 部屋を出ていく行夜に追いすがりながら、道真は必死に呼びかける。

 だが、行夜の背中は道真を拒んだまま去っていった。

 騒がしい声が遠ざかっていくのを聞きながら、吉昌は干楊梅を一粒つまみ上げる。

「本当に。余計なことは言わぬが花だな」

 吉昌は小さくつぶやくと、干楊梅を放り込む。

 舌によく馴染なじんだ生家の味は今年もまた上々であった。

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