第一話 目にはさやかに見えねども-9

 講師役も務める陰陽得業生ともなれば、小さいながらも自室が与えられる。

 渡殿にある吉昌の部屋は文台に衝立ついたて、書棚があるだけの簡素なものだが、見習いの行夜からすれば十分にうらやましい。自分もこのように認められた立場になりたいと気がはやる。

「お、ホントに美味いな」

 臆面おくめんもなく干楊梅を口に運ぶ道真の姿に、行夜のいらちがいっそう増す。

 吉昌の親切には大抵裏がある。何事かたくらんでいるのは明らかなのに。承知のうえで手を出す義父の気が知れない。

「でしょう。ほら、行夜も食べるがいい」

「……結構です。腹が減っておりませんので」

 努めて目をらしながら、行夜は冷然と答える。

 楊梅の実は少し酸味があるものの、さわやかな甘さがあり、蒸し暑い季節には特に好まれる。ただ、生のままだと日持ちがしないため、干した状態にするのが一般的だ。

 吉昌が自慢するだけあって、器に盛られた赤い干楊梅の実はみつでつやつやと輝いている。見るからに美味おいしそうだが、一粒でも口にすれば最後、どんな無理難題を持ちかけられても断れなくなってしまう。

「行夜。ここまできたらはらをくくれ。食っても食わなくても、どうせ厄介事を押しつけられる。食わなきゃ損だぞ」

「わかっておいでなら、最初から誘いに乗らないでくださいっ」

「こいつは仮にもおまえの上役だ。恩を売って損はない」

「そんなこすいことを考えていたんですかっ? 肚の奥底まで真っ黒々な吉昌様に取り入るなんて真っ平ごめんです!」

「……本人を前に、それだけ言ってのける方も結構な肚だと思うが?」

 吉昌は底が読めない笑みを浮かべたまま、干楊梅を一粒つまむと、向かいに座る行夜の口に押し込める。

「へぐっ……!」

「余計なことは言わぬが花。それにしても、ほとほと惜しい。肚の具合も顔と同じ様だったらば。さぞ甲斐がいがあったろうに」

 目を白黒させる行夜の前で、吉昌はゆったりと口元をほころばす。なんとも美しいほほえみだが、裏側を知っている者には空恐ろしく映るばかりだ。

 吉昌はよわい十五で得業生へ昇った。十六の行夜が学生として入寮できたのでさえ一般的には若い部類に入るのだから、吉昌の昇進は信じられないほど早い。

 名高き陰陽師である晴明の子息であることも抜擢ばつてきの理由のひとつだろう。けれど、決して血筋だけではない。吉昌の天文の知識や測量の技量がどれほど優れているか、教えを受ける身である行夜はよく知っている。同時に、単純に優秀なだけの人物ではないことも。少なくとも、道真の正体を知りながら、それでもていよく利用しようと企てるくらいには性根がねじれ据わっている。

「おい、吉昌。行夜をいじめるなら帰るぞ」

「大甘な義父殿にかわり、世渡りを教えてやっているだけですよ。さりとて、道真殿にへそを曲げられては元も子もない。本題に入るとしましょう。実は、知り合いより相談を持ちかけられているのです。委細は不明ですが、せ物を探して欲しいとのこと」

 吉昌の語るところによれば、その知り合いというのは三条さんじようにある屋敷に仕える女房だという。屋敷のあるじはさる高貴な血筋の姫君で、気の毒なことに若くして未亡人になられたらしい。

 行夜はげんなりと息を吐く。

 吉昌の恋模様は容姿と同様に華やかで、学生たちの間でも嫉妬しつと羨望せんぼうを交えて噂されている。相手が女人となれば、どういった縁の知り合いかおのずと知れるというものだ。

「失せ物以外にも、奇怪な点がいくつかあり、もしかしたら物のの仕業かも……と。本来ならすぐに伺い、話を聞いてやるべきなのですが、生憎あいにく所用がまっておりまして」

「だから、かわりに行けって?」

 道真は問いかけついでに新たな干楊梅を口に放り込む。余程腹が減っているのか、一向に食べる手を止めようとしない。

「先にも言った通り、いまはなかなか多忙なのですよ。それに私の得手は天文道。兄とは違って、占筮せんぜいや破魔祈禱きとうといった陰陽関連はいささか専門外です」

 陰陽と天文、両道で無双を誇る父の才を二分して生まれてきた。吉平よしひらと吉昌、ひとつ違いの兄弟は常々そんな風に評されている。兄の吉平は陰陽、弟の吉昌は天文と、幼い頃よりそれぞれでずば抜けた才能を示してきた。

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