第一話 目にはさやかに見えねども-6

「おまえたち、もうそのへんで――」

 見かねた道真が口を挟もうとすれば、申し合わせたかのようにこくしらせる鐘が鳴った。

「……ああ、もうそんな刻か。今日は少々急ぎますので。失礼します」

 芳男が足早に部屋を出て行く。

 それを皮切りに、他の者たちも素早く書物や筆記具を片づけると、挨拶あいさつもそこそこに立ち去っていく。あっという間にふたりきりになった部屋の中で道真は肩をすくめた。

「行夜、いつも言っているだろ。誤解を招くような物言いはよせ」

「……芳男殿が勝手に曲がったとらえ方をされただけです。それに、皆が無駄話をしていたのは本当。私が助けを必要としていないのも本当。何も間違ってはおりません」

「だからって、ああツンツンした態度じゃ誰だって苛立いらだつ。不必要にとんがるな」

「それはこちらの台詞せりふです。道真殿こそ、余計なことを言わないでください」

「またそんな呼び方。どうして義父ちち上と呼ばない?」

「先程も申し上げたように、私は元服を済ませた大人。もう齷齪あくせくと世話を焼いてもらっていた赤子ではありません。当然のけじめです」

 問題はそれだけに限らない。いまの年恰好かつこうで、行夜が道真を義父と呼ぶのは少々、いやかなり不自然である。世にはいろいろな事情があるとしても、やはり違和感はぬぐい切れない。

 しかし、行夜の憂慮とは裏腹に道真はあくまで能天気だ。

 状況に応じて調整を加えるなど面倒臭いし、なにより若い体の方が楽だといって聞かない。

「身の丈を追い抜こうと、元服しようと、白髪のじいさんになろうと、俺にとっておまえはこの手で育てた可愛い子。それだけはずっと変わらない」

「いいえ、なんとしても変えていただく。金輪際、過ぎた心配はやめてください」

「近頃のおまえときたら、二言目にはやめろやめろって。親が子の心配をして何が悪

い?」

「心配の仕方が普通じゃないから問題なんです。寮に押しかけてくるのも、逐一行動を報告させるのも。すべて異常で過剰です! 絶対におかしい!」

「ちゃんと話をしない行夜が悪いんだろー。最近、なにを聞いても『別に』とか『特にありません』しか言わないじゃないか」

「仮に私の言葉が足りていなかったとしても、配慮もなく相手の領域を踏み荒らすことの免罪符にはなりません。親にあるように、子にだって権限はある」

「でもさあ」

「とにかく! この件について譲るつもりはありません!」

 強引に会話を断ち切ると、行夜は文台に向き直る。

 ささくれ立つ気持ちを必死になだめながら、再度写本に取りかかる。せめてここまでと考えていた分がまだ残っている。今日中に終わらせておかなければあとが厳しい。

 しばらくの間、道真はいきり立つ行夜を黙って見つめていたが、やがてもそもそと床をい進み、文台の向こうまでやってくる。

「それ、あいつらに押しつけられたんだろ? ひとりでやるには多過ぎる」

 道真は文台のかたわらに積まれた書の山を指す。

「……違います。自らやると申し出たんです」

きつけられた挙げ句、退くに退けなくなってそう申し出た、じゃないのか?」

 行夜は答えず、いっそう荒っぽい筆運びで文字を書き連ねていく。

 どうやら図星のようだ。道真はため息を落とし、行夜の顔をのぞき込む。

「悪いことは言わない。もうちょっと態度を改めて、皆と仲良くできるよう努めろ」

「同門の徒といっても、我らは競い合う者同士。れ合いなど無駄にしかなりません」

 行夜は視線を紙面に落としたまま、硬い声音で答える。

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