第一章 目にはさやかに見えねども-4

 陰陽寮には門外不出とされる秘儀が山とある。それ故に、関係者以外の立ち入りは厳しく禁じられている、はずなのに。何故か、道真は当然のように出入りしている。

 そんな異様な事態がどうして成り立っているのか。それは、生きながらに伝説となりつつある陰陽師、安倍あべの晴明せいめいが「の者、まれなる識者なれば。重客として迎えるべきである」と、道真を陰陽頭おんみようのかみに推挙したからだ。陰陽頭でさえ一目置く晴明の進言は速やかに聞き入れられ、あっけないほど簡単に道真は陰陽寮の出入りを許された。

 最初のうちこそ、誰もがどこの馬の骨とも知れない珍客を警戒していたが、道真の叡智えいちの数々にすぐさま魅せられ、いまでは生き字引として慕われている。

 晴明をはじめとする極々一部を除き、道真の正体を知る者はいない。

 無論、元は菅原道真で死後は神様になりました、いまは養子の世話を焼くために人のフリをしています、などと触れ回る訳にはいかない。そんな常識的側面もある。

 だが、そもそもバレたら最後という、深刻な状況下にあるという方が正しい。

 神の多くは他の神が無断で己の神域に踏み込むのを嫌う。また土地神が勝手に神域を留守にするのも御法度。なにより、神がじかに人の世に関わることは最大の禁忌だ。つまり、いまの道真はいくつもの大罪を犯しているという状態にある。

 神域の管理は直轄の上役ともいえる、瀬織津姫に非礼無茶を承知で頼み込み、便宜を図ってもらっているらしいが、諸神に知られればただでは済まない。だから、道真は極限まで神力を封じ、人間の体を装っている。

 けれど、そのせいで道真は行夜の義父ぎふという肩書以外は身上経歴年齢の一切が不明で、さらには無職という、なんとも不信感しかない人物と相成ってしまっている。

 当然ながら、行夜は反対した。それはもう全身全霊で反対した。もちろん、子の世話のためだけに道真が博打ばくちじみた真似に及んだ訳ではないのは察している。誤魔化してばかりで語ろうとはしないが、おそらく道真は解き明かしたいのだろう。世間では道真がくだしたとされている〈祟り〉をもたらした者の正体を。

 道真の死後、都では日照りや水害、疫病といった異変が頻発した。古来、この国では政変や奸計かんけいで無念の死を遂げた者は怨霊になると恐れられている。そのため、数々の災厄が道真の祟りではないかという噂が広がったのもある意味では当然の流れだった。

 さらに、災厄は人命にも及んだ。道真左遷の共謀者とされる藤原ふじわらの管根すがねが雷に打たれて死んだのを皮切りに、黒幕の中心である藤原時平ときひらが病死、みなもとのひかるは狩猟中に泥沼に沈み、二度と浮かんでこなかった。その後も東宮だった保明やすあきら親王、その子である慶頼よしより王と、道真の左遷に関わった者、時平の縁者にあたる者が次々と命を落とした。そして、まるでとどめのように起こった清涼殿の落雷事件。すさまじい雷撃によって、集っていた公卿くぎようの多くが死亡、もしくは重傷を負った。事件後、時平の讒言ざんげんれて、道真に左遷を命じた醍醐天皇は心労からか病に伏し、ほどなく崩御した。

 これらの災厄はすべて道真の祟りだとされているが、まったくもって事実無根、とんでもない冤罪えんざいだ。そもそも、道真が私憤で大勢の命を奪う真似などするはずがないのに。生前のみならず、死後までぎぬを着せられている現状が行夜には我慢ならない。被害者の道真をはるかにしのぐ強さで、必ずその正体を暴いてやると義憤を募らせている。

 しかし、幾ら気持ちが強くとも、道真自身が神域を抜け出し、調べに乗り出すのは危険過ぎる。万が一にも、神々に知られれば厳罰は免れない。神籍の剝奪はくだつはおろか、存在の抹消さえあり得る。

 この無謀な計画が実行される前、行夜は考え直して欲しいと何度も頼んだが、道真は断固として決意を変えなかった。ならば、せめてもう少しおとなしく過ごしてくれという切望を余所よそに、道真は久方ぶりのみやこで人間生活を満喫している。当然ながら、実名の道真を名乗る危うさも、今更気づくやつなんていないのひと言で流された。

 冷静に考えるとおかしい。この状況は絶対におかしい。そもそも、こんな親馬鹿かつ無謀な行為に、どうして安倍晴明ともあろう方が肩入れするのか。まったくもつて理解できない。

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