第一話 目にはさやかに見えねども-2

 皮膚という皮膚が干からび、髪も目もなくなったむくろはもはや、着衣がなければ性別のみならず、老い若きさえわからない。ただ、ねじれ曲がった手足、歪んだ口形から、余程の恐怖と苦悶くもんを味わったことはひしひしと伝わる。

 すでに青年僧は恐ろしい変貌を消し去り、元の涼しい微笑を浮かべていた。

 鬼か物のか、どんなあやしい術を用いたのか……しかし生憎あいにく、ここにそれを糾弾できる者はいない。月さえない暗夜がこの恐ろしい罪を隠し覆っている。唯一、娘が手にしていた松明の炎が残ってはいるものの、底知れず闇深い青年僧の正体を暴くにはあまりに頼りないあかりであった。

 不意に、松明に照らされ青年僧の影がうごめく。

 かと思うや、ヒョウッという耳障りな音と共に、影から噴出したおどろおどろしい黒雲が瞬く間にあたりに立ち込めはじめる。

 再びヒョウヒョウと音が鳴り響く。大層気味の悪いそれは鳥の、強いて言えばトラツグミの鳴き声に似ていた。

 やがて、もうもうと渦巻く黒雲の合間から異形の化け物がい出てくる。

 猿の面相にずんぐりと丸い胴体、四肢は太く、毛はまだら、長い尾は蛇。得体の知れない姿は怪奇話に聞くぬえそのものだ。

 鵺は鼻をひくつかせながら、何かを探すように瞳孔どうこうのない目をぎょろりと巡らし、すぐさま娘の骸に視線を留める。

 ヒョウヒョウッと、鵺はたかぶった声を上げ、娘の骸に飛びつきかける。

 だが、それを阻むように青年僧が手をかざせば、やにわに鵺の足下で黒雷こくらいひらめき、まるでむちのごとくその巨体を激しく打ち据える。激しい衝撃に、鵺は叫声を上げながら、どうと地面に横倒しになった。

「さても卑しき。貴様が口にしていい血肉なぞ、世に一片もありはしない」

 青年僧は侮蔑ぶべつあらわに言い放ち、笑う。一瞬で別物になってしまったかのごとく、その笑みは残忍で、冷ややかだった。

 青年僧は足を上げ、追い打ちをかけるように鵺の背を踏みつける。

 踏みにじられた鵺はガヒッと醜い声を上げ、呻く。だが、それでも舌を伸ばし、娘の骸をわずかでも喰らおうと必死に足搔あがく。

 浅ましくもあわれな様にまゆひとつ動かさないまま、青年僧は這いつくばる鵺を見下ろす。

「精々、飢えに嘆くがいい。貴様が義父ちち上からすべてを奪い、苦しめたのと同じように。永永無窮、賤劣せんれつ極まる我が身を呪い続けよ…… 時平ときひら

 青年僧が唾棄だきするように口にした名に応も否もないまま、鵺はカヒッカヒッとただ鳴くばかりであった。

 地に落ちた松明が最後にひときわ大きくぜ、やがて燃え尽きる。

 いぶる煙を最後に、あたりは完全な闇に閉ざされた。

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