第一話 目にはさやかに見えねども-1

 淀川よどがわ下流の江口えぐちには古くから妓女ぎじよたちの集う町がある。

 ひとたび港にぎ入れば、美しい女たちがひしめく小端舟こはしぶねが寄ってきて、鼓や謡いで誘いをかけてくる。昔々より、江口から一夜の夢に酔いしれる者がいなくなったためしはない。

 夜こそにぎわう遊里とはいえ、一帯を離れれば普通の村里と変わらない。深夜ともなれば路上は静まり返り、猫の影さえなくなるものだが、今夜は珍しいことに、娘がひとり、松明たいまつを手に歩いていた。

 目立たないようにしているが、髪の結い方や身なりをうかがう限り、江口の妓女と見て間違いない。とはいえ、まだ年若く、それほどあか抜ぬけしていない様子から、おそらくは見習いといったところだろう。

 風向きの加減か、時折は管弦の音やはやし声が流れてくるものの、それがかえって外れの小路こみちのうら寂しさを際立たせる。

 しかも、今宵こよいは新月で常にも増して闇深い。こんな夜は大の男とてひとり歩きなど気が進まないだろうが、不思議と娘におびえる様子はない。夢見心地と言うべきか、妙にふわふわとした足取りで歩いていく。

 水郷である江口には川が幾つも入り組んでおり、この小路の脇にもせせらぎが流

れている。娘は流水の音を追うように進み、川をまたぐ簡素な橋を渡る。

 すると、闇の向こうに何か見つけたのか、どこかぼんやりとしていた娘の顔が明るい歓喜に輝いた。

「お坊様っ……」

 娘の声と視線の先に立っていたのは僧形の若い男。

 何故、このような時刻、場所に僧がいるのか。奇妙ではあるが、娘は躊躇ためらうことなく青年僧のそばに駆け寄る。

「お約束通り、参りました。さあ、どうか私をきよめの供としてお連れください」

 娘は青年僧の足下に伏し、かたわらに松明を置くと、両手を合わせる。

 青年僧は無言のまま、娘を見下ろす。

 端整な顔に浮かぶ表情は穏やかで、菩薩ぼさつの化身と言われても信じてしまいそうになるほど清らかな気品に満ちていた。

 しばしの沈黙を置いて、青年僧は微笑すると、おもむろに地面に膝をつく。

 そして、白い両手を伸ばし、うつむく娘のあごを包み込むと、そっと上向かせた。

「よくぞ申した。これより我らは一心同体。共に世の穢れをはらおう」

「ええ、ええっ……何処までも共にっ」

 娘は陶然とした表情で青年僧を見つめる。その眼差まなざしは崇拝の念にあふれ、欠片かけらの迷いも見当たらない。

 娘の信頼に応えるように、青年僧がにこりと笑みを深める。

 だが、次の瞬間、澄み切っていた目が深紅に濁り、清廉な笑みが禍々まがまがしくゆがむ。変貌へんぼうに併せて、青年僧のとがった十爪じゆつそうがぐしゃりと音をたて、娘の細い首に深々と沈み込んだ。

「ひっ、がっ……!」

 突如として様変わりした青年僧の形相を恐れる暇もないまま、娘は全身を引きつらせ、呻き声を上げる。

 陸になげうたれた魚のように、娘は体をよじり、両足で地面を打ったが、青年僧の手からは逃れることができない。万力で締め上げているという風でもないのに、娘の首に喰くい込んだ十爪は微塵みじんも揺らがない。

 まさに死に物狂いのていでもがきながら、娘は青年僧の手をつかむ。

 しかし、抵抗もそこまで。あれほど瑞々みずみずしかった娘の肌がみるみるうちに黒ずみ、枯れていく。髪もすべて抜け落ち、地に落ちる前に砂塵さじんとなって散っていく。ほどなく娘の体は完全に力をくし、くたりとへしゃげた。その頃には、手のみならず、全身が乾き切ったようにしぼみ、木炭のような有り様と化していた。

 そこに至ってようやく、青年僧が手を放す。

 見るも無惨な姿になった娘は音もなく地面に崩れ落ちた。

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