序-5

 そんな神様の力関係はさておき、神域の統治というのはかなり忙しい。鬼や魍魎もうりようたちが悪さを働いていないか、治安維持のために見回りをし、気脈や水脈といった五行の流れの整備を微に入り細を穿うがつように行う。

 土地神ひとりでは手が足りないため、通常は複数の眷属けんぞくを遣わし、代行させる。土地神はあたふたと動き回るより、中心でどっしりと構えていることこそが大事だからだ。

 だが、道真はそんな先神たちの訓示に従わなかった。否、従えなかった。

 生前の左遷によって失ったものは地位だけではない。家族も縁者も、門弟や仕えてくれた家人たちまで、誰も彼も巻き添えにしてしまった。離れたくないと泣いてすがるが故に、流罪先に伴った幼い我が子にも満足な食事すら与えられずに死なせてしまった。

 なにひとつ、本当になにひとつ守れなかった。そんなものが新たになにを従えるというのか。無断で土地神にされたこと自体、はじめは受け入れ難かったというのに。

「けど、そのせいでおまえに不自由を強いているんだから。つくづくどうしようもないよなあ」

 鬼王丸を預かった時、道真はその両親を己の眷属として迎えた。

 しかし、鬼王丸の両親はさる事情で旅に出ているため、眷属として本来の務めは果たすことができない。だから、それ以外に眷属を持たない道真はひとりですべてをこなさなくてはならないのだ。

 いくら子育てが忙しいからといって、土地神の務めをおろそかにはできない。そのため、道真は鬼王丸をおぶった状態で慌ただしく飛び回り、監視や整備を行っている。

 腹が満ちたのか、鬼王丸は道真の指を放ると、たどたどしく手を動かし、遊びはじめた。ふくふくとした手にこたえながら、道真は笑う。

「しかしまあ、赤子というのはなんとも可愛いもんだな」

 生前、多くの子を授かった身でなにをいまさらと、我ながらあきれる。

 もちろん、我が子はそれぞれに可愛かった。授かった子以外にも、門前で経をそらんじる童の賢さに魅せられ、養子に迎えたこともある。

 昔から、子というものがいとおしかった。人だった頃はいつも、幼い者たちがこれから生きる世を良くしていかねばと己を奮い立たせてきた。

 しかし、そんな風に思いながらも、いまのように子の世話を焼き、成長の一切を見守ったことはない。なによりも家族が大切だったという気持ちに噓はない。けれど、知りたい、学びたいという欲を抑えることがどうしてもできなかった。

 子が生まれれば大いに喜んだが、あとは妻や乳母たちに任せきり。たまに抱いたり、遊び相手になったり、説教を垂れたりするたび、無責任に感心したものだ。子というのは知らぬ間に大きくなるのだなあ、などと。

 道真は左手で口を覆い、ぐふぅとうめく。完全なる黒歴史。恥ずかしくて震える。愚かな己の面にこぶしたたき込み、妻をはじめとする女たちに土下座したい。

「いきなり瀬織津姫様より赤子を託されて、最初は驚いたが……これこそ一端いつぱしの親になる最良の機会というもの。罪滅ぼしになるとは思わないが、今度こそ俺は子育てと向き合う! 鬼王丸、おまえを立派に育ててみせるぞ!」

 道真は声高に叫び、鬼王丸を頭上にかかげる。

 突如、高く高く持ち上げられた鬼王丸はきょとんと目を丸くした、かと思うや。ふぃぎゃあと火がついたように大泣きをはじめた。

「あああああー。悪い悪い。怖かったよなー。ほれ、もう大丈夫だぞー低い低いー」

 道真は慌てて鬼王丸を抱え込んだが、時すでに遅し。

「よーしよし。ほれほれ、ほれほれ、ほ…………頼む、泣き止んで……」

 鬼王丸の激しい泣き声に合わせて、再び黒蛇の刻印が飛び出し、次いでボボンッと鬼火が巻き起こる。

 まだまだ、まだ。

 道真の眠れぬ夜は終わりそうもない。

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