序-4

 鬼王丸は普通の赤子ではない。怨讐おんしゆうの念から鬼女となってしまったある女人から産まれた子で、いわば半人半鬼という存在である。それ故に、鬼火をおこすという人ならざる力を持っている。

 人知を超えた力を持つという点においては神も鬼も似たようなものだが、ふたつの力の在り様はまったく異なる。陰陽五行おんみようごぎようから力を得る神と違い、鬼は怒りや憎しみといった黒い感情を己が力の根源にしている。鬼が時にうらみの権化、怨霊と呼ばれるのはそのためだ。

 無念を晴らしたい、かたきを討ちたい――怨みの多くは強い攻撃衝動をはらんでいる。鬼が放つそれらの害意は瘴気しようきと呼ばれ、強い毒性を宿している。

 人や鳥獣、神々も含めて、瘴気は万物に悪影響をもたらす。時には神さえ滅ぼすほど強大な瘴気を持つ鬼もいるが、赤子の鬼王丸はそのたぐいではないし、道真もまた易々やすやすと飲まれるほどやわではない。だから、いまのように四六時中そばについていられる。

 とはいえ、まるで無害という訳ではない。草花のとげに刺されるような痛みや、漆の葉のかぶれに似たかゆみ、小さな銅鑼どらの鳴りに似た頭痛など、瘴気の影響による地味な不快は数え上げればキリがない。

「乳母を頼めりゃいいんだが……」

 せめて食事の世話だけでも誰かと分担できれば。道真の切なる願いはしかし、かなえるにはあまりに難しい。

 道真は神だから不快程度で済むが、常人なら最悪命を落とす危険もあるからだ。

 また、赤子である鬼王丸は力の制御が一切できない。さっきのように感情の荒立ちに合わせて鬼火を熾してしまう。これでは命がいくつあっても足りない。

「無理だよな。うん、知っている……あ、やばい。なんか泣けてきた……」

 道真は鬼王丸をひざで支え、食事を続けさせつつ、右手で目頭を押さえる。

 神様といっても、身があり心がある。普通に泣くし笑うし、食事や睡眠も必要不可欠だ。陰陽五行を司る神力を備え、不老不死といっても、中身は人と変わらない。

 諸事情あり、生まれたばかりの鬼王丸を預かってふた月余りになるが、はじめての子育てに翻弄ほんろうされる日々に道真は疲れ切っていた。

「少しは真面目に眷属を従えるべきだったな……」

 正式に土地神として認められた時、道真は他の神々から数々の訓示をたまわった。中でも多かったのが、眷属をできるだけ多く備えるべし、ということ。理由は、土地神にかせられる最も重要な務めが神域の統治だからである。

 一口に神といっても、そこには様々な部類や序列がある。まず大きな区分として、神の国である高天原たかまがはらで生まれた天津神あまつかみと人の世で生まれた国津神くにつかみがある。双方に上下はなく、また生まれた時から神であるという共通点を持っている。

 対し、土地神は先のふたつとは大きく異なる。土地神とは、永らく同じ地に在り続けたものが、信奉を受けて神に近い力を得た存在をいう。鳥獣や石木、時に人であったりと元は様々だが、とにかく最初から神だった訳ではないというのが大半に通じる特徴だ。

 天津神や国津神からすれば、土地神は正式な神ではない。また、時に自身の裁量で見込んだものを神に昇華させることもあるため、両者の間には主従と呼んでも差しつかえない上下関係が存在している。

 道真はいにしえの女神、瀬織津姫せおりつひめの加護を受けて土地神になった。

 瀬織津姫は伊邪那岐いさなぎみそぎより生まれた、由緒正しき神である。あらゆる罪やけがれを受容する強さと度量、なによりどことなく気質やふるまいが亡き妻と似ている瀬織津姫に、道真はまるで頭が上がらない。

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