ep.03 UFOキャッチャー

 少し汚いガラスの向こうに並ぶのは、車に変身したハムスター……か? どうやら何かのアニメのキャラクターらしい。白やら、黒やら、茶色やらの色違いのぬいぐるみがと鎮座していた。

 そうと、とだ。

 分かりやすく言えば、大きいのだ。UFOキャッチャーの貧弱なアームなんかじゃ掴めなさそうなくらい。あんなもの、どうやって持ち上げれば良いと言うんだろう?  

UFOキャッチャーをよく知らない僕では攻略法が分からない。

 目の前の脅威にわなわなしてる僕に、しかし笠松さんは呑気なものだった。


「これ、やりたい」

「……大丈夫?」

「馬鹿にしてる?」


 不服そうに口を尖らせる笠松さん。いや、そういう領域の話じゃないと思うんだけど。無知故の恐れ知らずなのか、笠松さんは目の前のゲームに目を輝かせている。やる気満々だ。


「これ、どうやって遊ぶの?」

「お金入れて、上についてるアームでぬいぐるみを運んで手前の穴に落とす」

「操作は?」

「そこのボタン。横移動と縦移動、それぞれ1回ずつしか出来ない」

「なんだ、簡単じゃない」

「ちょっ、まっ」


 止める間もなく笠松さんは、500円を財布から取り出し、そのほっそりとした指で投入口へ押し込む。


「あー……」

「よし……」


 そう短く笠松さんは気合を入れると、横移動のボタンに手を置いた。

 なんて起動音が鳴って、アームが動き出す。予想よりも動きが速い。


「な……っ」


 操作する彼女が息を呑む。反射的に手をボタンから離してしまい、アームは中途半端なところで止まってしまう。


「くっ……」


 歯噛みをする。この位置ではどうしたって、アームでぬいぐるみを掴めない。

 しかし、それでも諦めない挑戦者。果敢に縦移動のボタンを押して、アームをぬいぐるみの直上……よりも更に奥当たりで止める。いや、そこで止めてしまった、というのが正しい。


「う…………」


 時間は巻き戻せない。見当違いの位置にあるアームは無情にも下へ降りていき、アームの右腕でぬいぐるみのお尻を押し潰す。

 そして、アームはお尻を舞い込む形で閉じる。その押し出す力で、お尻の方が少し前の方に動く。


(なるほど……)


 僕がそんな風に納得していると、拳を叩きつける音が聞こえてきた。

 笠松さんが悔しさのあまり操作台を殴ったのだ。


「笠松さん、笠松さんの拳で殴ると台が壊れちゃうよ」

「…………何か失礼なニュアンスがあるわね」


 他意はないって。


「にしても、意外と難しいわね。アームの動きが速すぎる」

「多分動きだけじゃなくて、アームの力自体もそこまで強くないと思う。だから、ぬいぐるみを掴んで持ち上げるって言うのは無理かな」

「とんでもないゲームね、これ」

「そういう商売方法だから」


 100円とか500円とかで、何千円もするだろう大きなぬいぐるみやフィギュアが取れてしまったら、ゲームセンターなんてすぐ干上がってしまう。「安く手に入るかも」という期待を上手にくすぐることで利益を上げるのがコンセプトな以上、客に取らせないための工夫は当然施してあるはず。

 笠松さんは口を尖らせる。


「早く言ってよね」

「言う間もなく始められたら止められないって」


 心当たりがあるのか、笠松さんは「むー」なんて唸り声を上げて不服そうに頬を膨らませる。いや、そんな顔されても……。

 でも折角、笠松さんが自分からやりたいと言った。自分自身の素直な気持ちのままに行動してくれたわけだから、彼女の楽しいもの探しを応援する僕としてはきちんと彼女をサポートしなければなるまい。


「笠松さん、僕が代わりにやっても良いかな?」

「良いけど……自信あるの?」

「ない」

「おい」

「でも、攻略法は見つけたかも」

「攻略法?」

「そ」


 とりあえず笠松さんを側面に移動させ、縦移動のガイドをお願いする。

 残回数の数は「5」。あと5回でどれだけやれるかが、攻略の鍵だ。


「笠松さん、アームの腕がぬいぐるみのお尻当たりに引っかかりそうな位置になったら教えてくれる?」

「いいけど……どうするの?」

「さっき笠松さんがやった手順を繰り返す」

「それじゃ、失敗するだけじゃない。馬鹿なの?」

「良いから見ててって」


 怪訝な顔をする気持ちも分かるけど、ここは僕を信じてほしい。


「よし」


 気合を入れて、僕は横移動のボタンに手を置く。それから狙いを定め、押し込む。

 位置としては左のアームがぬいぐるみのお尻を持ち上げられるような位置を目指す。

 アームが横にスライドする。実際にやってみると、アームの速さが良く分かる。自分が想像する速さより、1.5倍くらい動きが速い。軽いのだ。ほんの少ししか押してないのに大きく動いてしまう。

 

(――っ)


 予想した位置よりも若干ずれる。歯噛みをするも、まだリカバリーできる位置だ。今度は縦移動のボタンに手を置く。


「行くよ」

「えぇ、来て」


 浅く、押す。動き出したアームは滑らかに進み、奥へ奥へと進んでいく。

 手に汗が滲む。ここからはタイミング勝負だ。笠松さんのに全てがかかっている。

 アームの行き先を見る笠松さんは真剣そのもの。まるで狩りをする猫科の肉食獣のようだった。

 笠松さんの合図を見逃さないよう、アームではなく彼女の動きを窺う。前後で距離感覚が掴みにくいアームなんかより、きちんと目測してくれる彼女の方がよっぽど正確だ。

 笠松さんの口が僅かに開く。

 来るか。


「――っ、ストップ」

「…………!」


 声が上がった途端にボタンを放す。

 どうしたって発生してしまうタイムラグ。笠松さんの予備動作を見ていたからと言って完全に消せるわけではない。

 

「若干、ずれたわね」

「大体でも大丈夫だとは思うけど……もう後は祈るしかないかな」


 位置はぬいぐるみに対してやや右寄り。ベストではないけど、悪くはないという感じ。目的に正確性は必要ないから、一応は目的を満たすことは出来るだろうとは思う。

 腕を開きアームが降りる。アームの腹がぬいぐるみを一度押しつぶし、上がると同時に閉じていく左腕は確かにぬいぐるみのお尻を持ち上げる。

 そして、当然のように取りこぼす。落ちたぬいぐるみは腕に押されて、若干前へと進んだ。

 その腕に何も掴んでいないアームは最初の位置に戻って来る。それと同時に笠松さんが戻って来る。

 予想通りというべきか、案の定というべきか、仏頂面で。

 彼女は僕の傍らに立つとこう言った。


「ねぇ、結局何がしたかったの?」

「とりあえず言葉の棘を取ってくれない?」

「じゃあ、事情を説明して。さっきと何も変わらないじゃない」


 笠松さんの怒りももっともだ。確かに理屈が分かっていなければ、失敗そのものにしか映らない。


「クレーンゲームはアームを使って、ぬいぐるみを手前の穴に落とすんでしょ? 掴むことすら出来なかったじゃない」

「うん、だからそれで良いんだ」

「煙に巻かないで説明して」


 と笠松さんが距離を詰めて来る。いや、近い近い。

 とりあえず一歩引いて、僕は解説を始める。


「まず、さっきも言ったけど、アームじゃぬいぐるみを掴めない。力が弱すぎてぬいぐるみを支えきれないから」

「そうね、そう言ってたわね。じゃあ、どうやってやるの?」

「今やった通りだよ」

「具体的に」

「さっきみたいに地道に動かすの」


 「……は?」と笠松さんが絶句した。うん、そうなるよね。でも、それしかやり方はない。


「理想的なのはぬいぐるみをひっくり返せることだね。くるんと一回転させられれば、だいぶ大きく進むはず」

「……これ合法なの?」


 笠松さんがわなわなと戦慄している。合法です。

 それに一見あくどく見えるけど、総合的に見ればイーブンだろう。高いプライズを簡単に手に入れられる可能性もあるわけで、店側からすれば大損失のリスクを抱えながらサービスを提供しているわけだし。多少は取りにくくても妥当な気はしてる。


「四の五の言ってもしょうがないから続きをやろうか」

「あと4回でどうにか出来るの?」

「分からないけど、とりあえずやってみよう」


 お金はもう払っちゃった後なわけだしね。

 ということで再び笠松さんには側面に移動してもらい、二人羽織のゲームを開始する。

 3回目。


「……ストップっ」

「……!」


 ぬいぐるみが良いところまで持ち上がるも、ひっくり返ることはなかった。

 失敗。

 4回目。


「ス……トップ………っ」

「――?!」


 タイミングがずれて、アームがぬいぐるみを押しつぶすだけで終わる。

 失敗。

 5回目。


「ストップっ」

「――!」


 息が合った。そんな感覚があった。アームの位置は理想的で、ぬいぐるみは持ち上がるもののひっくり返るには至らなかった。

 失敗。

 そして最後の6回目。


「――ストッップ!!」

「――っ!」

 

 笠松さんが意気軒昂、ゲームセンターの騒々しい音すら突き破る声を上げた。

 瞬間、縦移動のボタンから手を離す。何度も繰り返したおかげで、今の僕と笠松さんの間にタイムラグはない。ベストタイミング、ベストポジション。僕が考える限り一番良い位置につけた。

 今のぬいぐるみの位置的にアームを入れる上でのベストポジション――ぬいぐるみの正中線上にアームが降りていく。

 アームの腹が着地。閉じた腕はぬいぐるみのお尻当たりを掴み、持ち上げていく。

 お尻が持ち上がると同時に顔面が潰れて不細工な顔立ちになるぬいぐるみ。それはつまり、ぬいぐるみの視点が顔になっているということ。

 アームからぬいぐるみが落ちる気配はまだない。だから、そのまま持ち上がってくれれば――。


「「…………」」


 祈るような気持ちで、僕と笠松さんはアームを見つめた。

 ぬいぐるみがだんだんと、しかし確実にアームから離れている。だけど、同様に傾く角度も急になっていく。

 そして、そして、そして。

 こてん、と。ぬいぐるみがひっくり返った。


「「や」」

「「やったっっ」」


 ぬいぐるみが腹を見せたのを見て、僕らは息を合わせて喜んだ。

 やってみるとどうにかなるものだ。ひっくり返ったことで、ぬいぐるみの縦の大きさと同じ長さぶん距離を縮めることが出来た。

 さて、問題があるとすれば、


「終わっちゃったわね」


 笠松さんが入れた500円でやれる回数は終わってしまった。続行するためには、お金を入れなければならない。


「さ、じゃあもう終わりにするわよ」

「え? 最後までやろう?」

「どれだけお金かかると思ってるの」

「でも、欲しいんでしょ。あとは僕が出すからさ、最後までやらない?」

「流石にそこまでやってもらうのは気が引ける。どれくらいお金がかかるかもわからないし」

 

 ぐぬ……っ。そう言われてしまえば、言い返す言葉もない。これからかかるお金が確定してれば、身を切る交渉が出来るけど、ことUFOキャッチャーに関してはこれからかかるお金は未知数だ。

 無論、一度完璧な連携が出来たのだから同じことは繰り返せると思うけど、これは僕の希望的観測だ。交渉するためには弱い。

 さて、どうしよう。笠松さんが、折角やりたいと言ってくれたものだから、最後まで完遂したいんだけど……。

 顎に手を当て考える。悩む僕に声を掛けて来る人がいた。

 

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