ep.05 カラオケ

 カラオケの個室に入れば、チープに豪奢な内装がすぐ目に付いた。目の前にはそれなりの大きさのテレビモニター、部屋の真ん中には少し汚いお金持ちの家にありそうな四角いテーブル、そして壁に張り付いたL字型の硬そうなソファー。それなりにお金をかけているであろう内装は、いくつもの常夜灯が照らすが故の薄暗さも相まってうら薄ら寂しい高級感を漂わせていた。


「それじゃあ俺、ここ~」


 いの一番に入った修二はテレビモニター近くの位置に陣取った。そそくさと選曲用のタブレットを手に持ち、曲を選び始めた。行動が速いってレベルじゃない。傍若無人が過ぎる。

 笠松さんはというと、左耳を抑えて眉を顰めていた。四方八方から聞こえてくるという腹に響く音が不快なんだろう。慣れてないとただの不快な騒音だから、彼女の気持ちはよくわかる。特に笠松さんはカラオケなんて全然行かないだろうし、当然の反応といえば当然の反応だった。

 僕と修二で笠松さんを挟むのも気まずいから、僕は修二の先に座った。笠松さんは僕らと距離を置いて、L字の別の辺に座る。


「よ~し、それじゃあ歌うぞ~~っ」

「待って、気が早いって」

 

 そもそもなんで修二が主役面してるのかとかはともかく、カラオケ来たらいったんやることあるだろうに。

 店員さんから渡された籠からコップを取り出す。ここのカラオケは飲み物の飲み放題付きだ。これから散々歌うんだから、喉を潤すものくらいはきちんと用意しておきたい。


「飲み物を取りに行ってくる。修二、何か飲みたいものは?」

「コーラで良いぞ」

「笠松さんは?」

「……私も一緒に行くわ」


 コップを掴み、笠松さんは立ち上がる。


「1人で3人分持ってくるのはたいへんでしょ?」

「まぁ、そうだね」


 笠松さんの問いに、僕は首肯する。やってやれないことはない。それはつまり、出来る限りやりたくないということで。安心を取るなら、1人より2人の方が良い。

 だけど、意外な気遣いだ。少々……いや、結構驚いてる。

 …………どうしよう、滅茶苦茶嬉しい。心の底から湧き上がるような、抑えきれない感情が胸の中を満たしていく。


「何、ニヤニヤして。気持ち悪いんだけど」

「い、いや、な、何でもないからっ」


 誤魔化すようにそう言って、僕は修二のコップを掴んで笠松さんに続く。

 背中に聞こえる「そんじゃ、俺は先に歌ってるからなぁ」なんて、マイペースな修二の声も気にならない。笠松さんが開けてくれたドアから、個室から漏れた音で騒がしい廊下へと出る。

 完全にドアを閉めると、笠松さんがうんざりとした様子で言った。


「ふぅ……まったく突然、あの人と2人っきりにするようなこと言うの止めてよね」


 …………わか、分かってたから、ショックなんか受けてないし…………。


「ニヤニヤしたり、気落ちしたり忙しいわね……落ち着きなさいよ」


 貴女が原因なんですが、貴女が。無自覚にこっちを振り回してくる笠松さんにちょっとばかり恨みがましい目を向けてしまう。


「……な、なんか今日の貴方、様子がおかしいわよ。体調でも悪いの?」


 珍しく戸惑いを表に出した笠松さん。そんな彼女に言われて、確かにちょっとおかしいな、なんて自覚する。

 うーん、一体どうしたって言うんだろう。頭を捻って考えるけど、いまいち理由が分からない。


「テンション上がってるのかも?」

「はしゃいでるにしては、百面相が過ぎるけど。どちらかと言えば、落ち着きがないと言う方が近くないかしら」

「浮ついてるってこと?」

「そうね、そんな感じ」


 言われても、本当の本当に理由が思いつかない。なんで浮ついてるんだろうか、僕は。

 考えても見つからない答えに頭を悩ませてるうちに、設置されてるドリンクバーが目の前に。考えても答えが出ないならばしょうがない。大した問題でもないわけだし、棚上げしてそのまま忘れてしまおう。

 さて、ドリンクバーと一口に言うけど、ファミレスにあるそれと同じくらいの品揃えは当然期待してはいけない。所詮――と言っては言葉が悪いけど――カラオケだ。飲食店のそれと同じレベルで考えてしまってはいけない。十分だけど、物足りない。そんな感じのラインナップだ。


「何、飲む?」

「何でも良いでしょ」


 ぶっきらぼうに答えた笠松さんはコップを注ぎ口に置いて、さっさと飲み物を注いだ。

 コップに溜まっていくのは、とっぷりとした黄色のオレンジジュース。そういえば、前はカフェでココアを頼んでいたっけ。口は辛口だけど、舌は甘いもの好きな子供舌なのかもしれない。

 

「はい、次どうぞ――って、何? いつものムカつく表情を浮かべて」

「いつものって何、いつものって」

「いつものは、いつものよ。これだけ一緒に居れば、貴方の表情くらい嫌でも覚えるわ」

「…………」


 そうか、僕が笠松さんの不機嫌顔に慣れたように、笠松さんだって僕の僕には見えない表情を知っているんだ。それは、笠松さんの中に僕が溶け込んでいくような感じがして、少しばかり、いやそれなりに恥ずかしいような、嬉しいような……。


「何してるの、ほら。さっさと注いだら?」

「う、うん……」


 笠松さんの催促に飛びついて、誤魔化すように僕はコップを注ぎ口に置いた。手元が覚束なくて、無駄に大きな音がたつ。眉根を上げた笠松さんを無視して、僕はそそくさと修二のコーラを注ぎ、僕の分のウーロン茶を注いだ。

 がががっ、なんて音を立てるドリンクバーが動きを止めると、ウーロン茶が入ったコップを取り出す。

 それから言った。


「それじゃ、行こうか」

「…………ほんとのほんとに様子がおかしいけど、何があったの」

「な、何もないって、ほらさっさと行こう。早く行かないと、時間一杯が修二の独壇場になる」

「時間は何時間だったかしら」

「3時間」

「長い……」


 うんざりとした口調で笠松さんはそうぼやく。僕もそう思う。特に今回は笠松さんのお試しのつもりでやってきたんだ。カラオケ初心者には3人で3時間も少し長い。

 だというのに3時間も時間を取ってしまったのは、ひとえに修二のせいだ。あいつが強引に会計を済ませてしまって、3時間も時間をかける羽目になってしまった。


「ま、まぁ、もう取っちゃったものは仕方がないし、此処は観念して楽しもう」

「楽しめるとは思えないけどね、実際。特に彼がいると」

「いやぁ、修二は盛り上げ上手だから僕と2人より楽しめると思うよ」


 物事を楽しむという一点に置いて、僕が知る限り修二に及ぶ人物を僕は知らない。だから、自分勝手に振る舞うようでいて、なんだかんだ上手く僕らにとっても楽しい時間にしてくれる……はず! 信じてるよ、幼馴染!!

 こうして他愛もない会話をしているうちに、僕らに割り当てられた個室の前に着く。それなりに厚い扉越しでも修二の熱唱が聞こえてくる。どうやら僕らを待たずして、始めているらしい。

 雲行きが怪しくなってきた。大丈夫、だよね? ね?

 嫌な予感を覚えながら、僕は塞がった両手の代わりに体で扉を開ける。

 入ると同時に、ちょうど曲が終わったらしい。音楽が途切れ、修二はマイクを口元から離した。


「お、遅かったな。もう始めてるぜ」


 気さくにこちらに声を掛けてくる幼馴染だが、そんな彼よりも僕はリクエスト曲一覧が映し出されたテレビモニターに釘付けだ。そこには6曲の、修二がリクエストした曲が羅列してある。

 僕は思わず吐き出す。


「修二さぁ」


 周りの音に負けないくらい大きな、笠松さんの溜息が背中から聞こえた。

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