ep.02 笠松葵
修二がぶつかった少女は体をよろめかせた。当然だ。自分よりも大きな体躯の、それも無駄に筋肉質な男子がぶつかってきたんだから。
少女は数歩たたらを踏むと、その動きを止めた。
僕と修二は2人で謝罪する。
「悪い、悪い。大丈夫だったか」
「すみません、不注意でした」
今回の追突事故の原因は間違いなく僕にある。もう少し僕が周りを見ていれば、誰かに迷惑をかけることはなかった。
唇を噛む。しかし後悔先に立たず。やってしまったものはどうしようもない。頭を下げることしか出来ない。
足を整えた彼女はこちらをきっと睨みつけた。切れ長で、深い黒色が特徴的な瞳だった。
「周囲を気にするとか、そういうことが出来ないの? 貴方達の知能は猿並みなのかしら」
一瞬言葉を失って、頭が真っ白になった。何を言われたのか、頭に入ってこなかった。
やや時間が空いて、どぎつい言葉で非難されたのだと理解する。うん。こちらが全面的に悪いから何も言い返せない。
唖然とする僕たちに対し、最後に彼女は「ふん」と怒りの籠った鼻息を漏らすとこの場から去っていった。
肩口くらいで切りそろえた黒髪の端を揺らし、通り過ぎていく背中は華奢どころではないくらい細い。枯れ枝を彷彿とさせるような姿だった。
「やっちまったな……」と罰が悪そうに頭を掻く。ただその表情には申し訳なさのほかにも、面倒臭がっているような色が言えた。
「今の誰か知ってるの?」
「あぁ、アイツは笠松葵。2年……7組だったか。一匹狼で、誰にでも噛みつく狂犬女さ」
「狂犬って、また失礼な……」
「まぁ、さもありなんって話だぜ。実はな――」
修二が語ってくれたのは彼女の——笠松さんの尖ったエピソードだ。
グループワークをすればあらゆる意見を否定し、修学旅行で班行動をすれば人知れず単独行動をする。およそ集団行動というものを毛嫌いしているとのことだった。とにかく誰とも関わらず、自ら率先して周囲に噛みついて孤立しようとするらしい。
「――だから狂犬。ところかまわず噛みつくのが、彼女のやり方なのさ」
呆れ半分、茶化し半分で修二は笠松さんをそう評した。
随分と癖が強いというか、なんというか。
「珍しいな、お前が他人に興味を持つなんて。何だ? 俺の説教を聞いて、ちったぁ反省したのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「違うんかいっ」
修二が片手で小さくツッコミを入れてくる。
別に彼女に興味が湧いたわけじゃない。迷惑をかけた相手だから、聞いてみただけ。ただそれだけだ。
しかし、このままこの話題を続けても修二が調子に乗るだけのような気がする。話題を変えよう。
「修二は今日の放課後、何か予定あるの?」
「ん? 今日か?」
目に見えてうずうずしだす修二。
あ、これ、めんどくさいやつだ。
「今日はな、『魔法少女まじかる☆まじかる』の劇場版を見に行くんだよっ!。あの伝説的アニメにして、夏の覇権アニメの劇場版をっっ!!」
「そ、そう……」
唾を飛ばし、熱を込めて語る修二。そうか、あのアニメか。
「魔法少女まじかる☆まじかる」。それは数あるアニメの中でも煌々と輝く超有名作品、らしい。漫画化はもちろんのこと、ノベライズ、ゲーム、パチンコなどなど、様々なメディアミックスが展開されている、らしい。全部修二からの受け売りだから詳しくはしらない。ただ内容の面白さについては修二に付き合って全26話みたから、僕も首を縦に振れる。あれは確かに面白かった。アニメをほとんど見ない自分でも、傑作だとわかるくらいに。
あれ、でも待てよ?
「なんで夏の覇権アニメになってるの? もう何年前かのアニメでしょ?」
「5年前だな。で、5周年を記念して
蒼明陽は、確か「魔法少女まじかる☆まじかる」の主人公、
「それで今日はその劇場版を見に行くと」
「あぁ。昨日で外伝の放映が終わって、今日劇場版の放映開始ってところ。昨日の興奮が冷めないうちに続きが見れるなんてサイコーだぜ!!」
テンション上がって奇声に近い歓声を上げようとするところを引き留める。さっきお互い迷惑かけたばかりなの忘れたか。もう少し大人しくしよう、大人しく。
止められた修二はしゅんとする。だが、その体に満ちる喜びは消えることはないわけで、うずうずしながら言う。
「やっぱり、人生は楽しんでなんぼだぜ。この世の面白いものは全部やってみたい」
「色々やってるよね、修二は」
修二は単にアニメを見るだけでなく、ライブやイベントなどにも積極的に参加したり、オタク向けのサイトやらブログを運営していたりする。自分の楽しいという気持ちに素直でアグレッシブだ。
人生を謳歌している。僕が知る誰よりも。
そして、そんな幼馴染が少しばかり……眩しい。
「篤史は何かないのかよ?」
修二は何の気なしに聞いてきた。
僕は分かりきったものを聞く。
「何が?」
「楽しいこと」
楽しいこと、か。
改めて聞かれると困るけど、まぁ挙げられるとしたらたった1つだ。
「修二なら知ってるでしょ、人助けだよ」
「いや、そういう誰かのためにじゃなくて、自分が楽しむためだけの何かのことを聞いてんの」
いや、そんなこと言われても……これ以外言いようがないし。だいたい楽しくなければ、毎日のスケジュールを人助けで埋めるもんか。
自身の問いかけに僕が答えを持たないとわかると、修二はあからさまに呆れた。
「まったく、良い子ちゃんぶりやがって」
「本心だって」
僕はそう訴えるも、修二は聞き入れやしない。もう少し人の話を素直に聞いて欲しい。
「ふん、まぁ良いさ。お前はせいぜい他人のために青春を費やして、将来後悔するが良い……!」
「なんか変なノリ入ってない?」
もう僕には幼馴染の思考回路が分からない。好きなアニメの映画を見られるからテンション上がっているんだろうか。
そんな時、ひゅうっと窓から廊下に風が吹き込む。その冷たさに思わず僕は腕をさすった。
「寒くなってきたね。そろそろ冬服に切り替えるかな」
「そうか? 冬服出すにはまだ早いくらいに暑いというかあったかいと思うが」
僕らの感覚は食い違う。まぁ、9月の終わりは暑さと寒さの境目だし、感じ方なんて人それぞれだろう。僕は人と比べて寒がりだし、修二は人と比べて暑がりというだけのお話。
キーンコーンカーンコーンと昼休みの終わり5分前を告げるチャイムが鳴る。
「行くか」
「そうだね」
修二が僕の肩を叩いて先に行く。僕は修二の後を追う。
薄暗い廊下には、少し昇る位置が低くなった太陽の日差しが差し込んでいた。
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