ヒマリ
食事を終えたシンク達は、なるべく早く中に入るべきだというマーロウの意向に従って、トルファン達に礼を言うと、すぐにその場を後にした。
トルファン達はもうしばらく荷物の整理をした後に、此処の物は別のグループに任せて、今度は西方へと飛んでいくと、シンク達に話していた。
地下にある特殊な都市を除いて、彼等はミコ・サルウェ中の都市を回っている。
「お嬢さんが大きな都市に居れば、また会う事もあるだろう。もし、空に飛竜の姿を見たら声を掛けてくれ」
シンクはそんな再開の約束をした。
再び湖面の方へ向かうと、何時の間にやら音もせず、湖岸から城塞都市にかけての橋が、四方から現れていた。
シンクは一瞬、幻でも見ているのかと思った。
しかし近づいて見ても、しっかりとした石づくりの橋で、とても幻とは思えなかった。
彼女がマーロウにこれも魔法なのかと問えば、夜間は湖底に沈んでいて、起動するための魔道具に魔力を流すと、湖水を押し上げてせり上がる仕組みだと教えてくれた。
シンクはこの時、魔道具という物を初めて知った。
城塞へと続く大きな橋は、長さだけでも数キロに及び、高さも高い所は湖面から数十メートル以上も高かった。
魔道具は事前に決められた事しか出来ないと説明されても、その力の強力さにシンクは
その橋を渡りながら、ふと気になったシンクは、橋の上から下を覗き込んだ。
すると、湖には数十メートル級の湖竜が数匹、上を見上げており、見下ろすシンクを見つけると、手(ヒレ?)をこちらに振って来た。
シンクは思わず、目をまんまると見開いて、急ぎ後ずさり、その勢いのままマーロウにぶつかってしまった。
「おお? 大丈夫か?」
事情の分からないマーロウが、シンクに声を掛けると、瞬きもせずに「湖って、恐いのね。」という要領を得ない答えを返してきて、彼は余計に困惑する事になった。
良く分からないが、まだ片目の感覚がつかめないのかと思って、
「足も病み上がりだ。もう少し俺を支えにしておけ。」
そう言ってシンクの手を握ると、身体を自分のっ方へと引き寄せた。
民を助ける王族は、まず一人でしゃんと立ちなさいと幼い頃から躾けられていたシンク。
例え親や乳母であっても、シンクは誰かにそう何度も手を引かれて歩くという事は無い経験であった。
ゆえにシンクは少し頬を紅潮させる。
しかし、特に抵抗はしなかった。
そのまま30分ほど歩いた。
それまで、遠くに見えていた城塞の入城門が、もう、目前という所までシンクは到達していた。
龍の背の様に、真っ直ぐでは無く、多少の上り下りをする為か、ほんのりと疲労を感じ、随分と距離を歩いてきた気がする。
門前には、簡易の関所が築かれていて、人間の兵士が入場者に対して、誰何聴取を行っていた。
シンクは、マーロウの手を離した。
一人。
他の兵士とは違う姿。
薄紫の貫頭衣を着込み、腰には随分と立派に見える剣を差した若い女が、上品に口元を隠しながら、シンク達の方をじっと見て笑っているのが見えたのだ。
女は足音も立てず、滑る様にしてシンク達の方へと近づいてきた。
「あらあら。マーロウ? 貴方がここに立ち寄るなんて、珍しいわね。」
女の声は鈴の様に、高く澄んでいた。
「しかも、こんな綺麗な女の子までつれて。雨雲は見えないけど、どこに隠したの?」
女は終始、くすくすと笑っている。
シンクとしては、何がそんなに面白いのか、揶揄われている事だけは理解して、眉を顰めた。
恐らくは、マーロウの知り合いであろうと、シンクがマーロウの方を見ると彼はひきつったような顔で、女を見ていた。
「客だよ。……ヒマリ殿こそ、何でここに? 所属が違うだろ?」
マーロウがそう言うと、女:ヒマリは、口元を隠したまま、また、くすくすとまるで楽しいのを我慢できないという様に笑いだした。
変な女だ。
シンクは、ヒマリに近寄りがたい、言葉にできない何かを感じた。
「クスクス。そうね。でも、可愛い弟子にお稽古をつけなきゃいけないのよ。オベリオンから、いちいち来るのは大変じゃないかしら?」
そういってヒマリは、自らの腰に差した剣をポンポンと叩いた。
「今は
そう言って、また笑い始めた彼女に対して、マーロウは目を細めた。
一時の逡巡があって、しかし、飽く迄、よそ様の事情。
口を挟むことでも、また挟む資格もないと、マーロウは何も言わなかった。
代わりに、マーロウはシンクに対して、ヒマリを紹介した。
「シンク。彼女はヒマリ殿だ。変人だが、一応、これでも軍に所属している。」
「あら、失礼ね?」
ヒマリは小首を傾げると、マーロウを不満そうに見つめる。
そして、マーロウが自分を相手にしないと解ると、何が面白いのか、また口元を隠してコロコロと笑いだした。
確かに変人には違いない。
しかし、軍属との事であるが、こうしてシンクから見る彼女は、武器だけが奇妙に立派で、手足も細く、とても戦いを生業とする者には見えなかった。
マーロウは大きくため息を吐いて、懐から金属で出来た札をヒマリに見せた。
それでも、暫くは笑っていた彼女であったが、札に書かれた桜花紋を確認すると、途端に眉を上げ、その
それから、眉根を寄せて、小声で話した。
「陛下の使いが来るなんて連絡は来ていないわ。」
マーロウも声を落とした。
「一応、私用の扱いだ。」
彼は先程とは別の赤い木札を一枚、懐より取り出して、ヒマリに見せた。
赤い札は出身のみが記載された旅券。
裏書には、シンクがラピリスの出身者である事を証明する事が書かれていた。
無論、シンクの故郷はサルファディアであるため、これは偽装だ。
表向きは故郷に帰って来たという体で、ラピリスに入城するという事である。
マーロウはシンクをチラリと見て、再びヒマリに視線を戻した。
「保険で用意させた物だ。彼女をオムナスまで、護送中でな。」
ヒマリは頷いた。
「ラピリスへは、表向き”二人揃って”里帰りかしら?」
マーロウも頷いた。
「本当は、数日南で休んだ後、ラピリスには寄らないで、トロクルアに乗り換える予定だったんだ。だから、ここまで運んでもらったトルファンには鉄の方を見せてある。」
ヒマリは目を細めて、腕を組み、何か探る様にマーロウを見つめた。
「それで?」
「詳細は今言えない。ただ、神官に用が出来たのと、場合によっては”追加の手勢”が欲しい。他の奴なら赤札で入るが、ヒマリ殿なら鉄の方が話が早いと思ったんだが?」
ヒマリは腕を組んだまま、口元に手を置く。
それから、暫く考えた後に。
「ふ~ん……そうね。解ったわ。なら私の方から、あの子に伝えておいてあげる。出身者の護衛の為に、”お見送り”をつけるのは執政官権限で出来るものね。……お姉ちゃんに伝わらないと良いわね?」
そういって、彼女はまたクスクスと笑いだした。
途端、マーロウは渋い顔をした。
「姉貴、居るのか?」
「別に戦時でも、報告月でもないもの。居ない方が不自然でしょう?」
ヒマリは肩を笑いながら、揶揄う様に肩を竦めた。
「自分の事は棚に上げて良く言う……。解った。じゃあ頼むぜ。」
マーロウはそう言うと、シンクや狼達を促して、ラピリスの中へと入っていった。
その後ろを見送るヒマリの瞳が、怪しく光った事に、誰も気づくことは無かった。
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