衰微するもの


「お前があったのは、恐らくだが『衰微するもの』だ。」

 

 歩きながら、マーロウがシンクに話した。


「『衰微するもの』?」

「ああ。」


 マーロウは前を向きながら頷いた。


「彼女はキニス教の最上格神の一柱だ。流石に俺もあった事は無いが、特徴が一致している。」

 シンクは、マーロウの方を首ごと向いて、訝し気な視線を送った。

 しかし、前を向いたままのマーロウに、その視線は届いていなかった。


「そもそも、ゴルドであった聖女が特殊なんだよ。本来は俺や”こいつ等”の知覚を掻い潜って、お前だけに接触するなんて。……あまつさえ視界だけ奪うなんて真似、魔王級の力があっても、相当に周到な準備が必要になるだろうさ。現実的じゃない。実態の無い精霊か、それこそ神でも無ければ説明できないんだよ。」


 少し呆れた調子でマーロウは言った。


「え……ちょっと待って精霊とか、神様が実際にいるの? 言い伝えとかじゃなくて?」


 サルファディアにおいても、龍神にまつわる信仰が存在する。

 ただし、その龍神は春を呼ぶ天昴を探しに、彼方へと去ったと言われており、実在したかも解らない伝説の上の神となっていた。

 

 だから、人にもよるが、少なくともシンク自身は、信心深い方では無かった。

 


「老いを司ると言われている。」


「え? え? 老い? うそでしょ?」

 

 さがであろうか。

 半身半疑と言っても、思わずぎょっとしたシンクは、立ち止まり、自らの頬などを確かめる様に撫でた。


「別にかかわった者が、皆、老いるとか、そういう訳じゃない。」

 彼女が何を考えているのか悟ったのだろう。

 マーロウは、何やらせわしなく動くシンクをちらりと一瞥して、くすりと笑った。

 

 シンクは不満げに唇をまげて、マーロウを睨みつける。


 しかし、その様子を見たマーロウは、意地悪そうに笑みを深めるだけで、謝罪はしなかった。

 そして、歩みを止めると、代わりに話を始めた。

「キニス教では、俺たちは、皆、川の様な場所にいると言われている。」


「……。」

 シンクは睨みつけたまま、黙って聞いていた。


「まあ、俺は神官じゃないし、詳しい話は出来ないが、そうらしい……まあ、そういう仮定で聞いてくれ。……。それで、その川の流れっていうのは物凄く激しい物らしくてな。ほとんどの生命は、溺れて、産まれる前に”生”を終えてしまうらしいんだ。」


 シンクにとってすれば、あまり想像の湧かない話である。

 他国の神話でもあるし、そもそもサルファディアに河川は無かった。

 ただ、シンクなりに何か激しい流れを想像しようとして、浮かんできたのはベルデルディアの北側で見た、あの雪崩の光景であった。

 

 雪崩に飲み込まれ、一瞬にして数多の生命が失われる様が、容易に想像出来る。

 シンクは小さく首を振ってそんな想像から逃れようとした。


「『衰微するもの』は、そんな儚い命を憐れんで、抱えた大きな葉船で、沈もうとする生命を救い上げてくれる。その時、俺たちはこうして、肉体を得るんだ、と言われているな。……肉体と時の流れ、すなわち老いを司る女神。」

 葉船に乗って、そのヘリから雪崩を眺める自分をシンクは想像した。


「本来は慈悲深い女神なんだがな……。」

 言ったあと、難しそうにマーロウは、シンクを一瞥した。



 そう言われた所で、シンクには何の心当たりも無い。

 シンクは、弱った様な不安気な表情をして、考え込んだ。

 シンクにとっては、意味の解らない事ばかりを呟いていた女。

 だが、翌々彼女の言う事を思い出して見れば、誰かを哀れんでいる様な言葉があったような気がした。



(そうは言っても、私には全然、事情が分からないわ……。)

「どうして……。」


 シンクは自らの左目を、手で覆い呟いた。


「これ以上の事は、俺も教えてやれん。俺は八神の中でも月の信徒だからな。……ただ、ラピリスの中なら本職の神官が居るはずだ。癖のある男だが、もし、本当に『衰微するもの』ならば、彼が何か知っているかもしれない。……行こう。」


 そういって、マーロウは再びシンクを先導し、シンクはマーロウの手を握り返した。








 シンク達が一度、飛龍達の所に戻ると、倉庫場には嗅いだことの無い、しかし、何処かコクのある芳しい香りが漂っていた。


 トルファンは、歩いて近づいてくるシンク達を見つけると、人の目に解るほど顔を破顔させた。


「おお! 丁度良かった。今、人をやって呼びに行かそうと思ってたんだよ。せっかく頼んでた物が冷めちまったら、惜しいだろ?」

 そう言って、彼はまた笑った。


 トルファンの後ろには、暖かく湯気を立てる見慣れない料理がある。

 香りの元はこれであった。


「さあ、適当に座ってくれ。」


 港町故、網か何か太い縄を撒いて使うのか、そこら辺りに転がり積まれている巨大なボビン(※)を横倒しにして、これを机代わりにした。


 そして、トルファンはしっぽで、人が座るのに良さそうな木箱を、シンク達の近くまで寄せてきた。



 料理の名前はカルㇽㇽフェと言うらしい。

 巻き舌にした舌を、小さく震わせながら発音するこの名前は、シンクには難しかった。

 何度か挑戦してみたが、トルファン達に笑われたのをきっかけに、諦めてカロフェと呼ぶことにした。


 この料理は木蜜に漬け込んだ肉と、野菜をケぺリと呼ばれる小魚の骨で出汁をとったスープで煮込んだ料理である。


 パンと共に食べる料理であるが、それに合わせるパンはとても変わっていた。

 断面を1㎝程にまで細く伸ばしたパン生地を9本用意する。


 それを丁寧に編み込んで棒状にした物の表面にバターを良く塗り込んで焼くのである。

 こちらの名はミットと呼ばれていた。

 外側はパリパリと固く焼かれ、内側は少し柔らかさの残る食感が広い種族に好まれていた。


 もともとアエテルヌムで店を開いていた店主が、戦災で焼け出されて、このラピリスで開き直した店が発祥の料理であると、トルファンとは別の飛竜が教えてくれた。 

 その店はラピリス城塞の中にある。

 ただ、非常に人気のある料理であり、今では真似をして出品する店が増えたため、この辺りを代表する料理を問えば、大体の者が、カルㇽㇽフェとミットと返してくるのが常であった。


 正直に言えば、シンクはミコ・サルウェに入ってから、マーロウから渡される旅路用の乾燥肉ばかり食べていた為に、この国の食文化をサルファディアと同程度か、少し上程度であると甘く見ていた。


 しかし、実際は塩見のあるスープの中に沢山込められたとろりと甘い具材たちに、芋以外の主食材が当たり前に食されていた。



 サルファディアにおいて、水田が凍り付くために水田米は勿論育たない。

 では、畑米や小麦はどうかと言えば、そちらも凍り付く程の寒さには勝てなかった。

 

 ゆえに、パンなどと云う物は、サルファディア王族であっても、滅多に食べる機会のない輸入品小麦を調理した物という事であった。


 それを一般市民が当たり前に食べているのかと思うと、シンクはこの食事の美味しさと、それ以上の悲しさで鼻の奥がツーンとなって胸が苦しくなるのを感じた。





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