ラピリス湖3

「おい! ……シンク! ……おい! どうした!?」

 シンクは強い力で自らの身体を揺すられて、目を覚ました。


 

「へ?」

 シンクの周りを先程まで居なくなっていた狼たちが、彼女を囲む様にしていて、正面からは、マーロウが彼女の顔を覗き込んでいた。

 

 

「どうした? 急に俯いたかと思ったら……ブルブル震えながら、物凄い汗を掻き始めて……。声を掛けても反応は無いし、隊長が悪いのか?」


「え……ええ。」

 シンクは、自らに起こったことを理解しきれていなかった。

 言われると確かに、体中が妙に湿っぽいし、いつもとは違う様な感覚を覚えていた。


(今のは何? 夢? ……まさか、私ったら、立ったまま寝入っていた……訳ないわよね? どういう事?……なんだか変だわ。本当に体調が悪いのかしら。)



「大丈夫よ……。」

 シンクはそう応えた。

 そして、不安と、原因の解らない違和感に動揺しながら、マーロウ達と言うより、困惑する自らを落ち着けるために、小さく頷きながら、もう一度、「大丈夫……。」と2度繰り返した。



 だが、シンクが大きく息を吸って、それを吐こうとした時、マーロウが焦点を確かめる様に、シンクの顔前で手を振ったのだ。

 それが原因でシンクは気付いてしまった。


「!?……!?……!!」

 

 カチカチと自らの歯が、細かく打ち合う音が聞こえた。

 シンクが大きく瞼を開いて、マーロウを見た。

 

「マーロウ……マーロウ! 見えないわ!」

  

 言って、急にシンクは俯いた。

 

 そして、何を思いついたのか、彼女は突然、自らの左目に人差し指を突き入れようとして、すんでの所をマーロウに引き留められた。

 

「おい!? 何してんだ!? 何が見えないんだ!?」

 しかし、シンクはそれに答えず、縋りつくように、マーロウの上着を両手で握りしめて震えている。

 正気などと言う壁はとうに崩壊していた。


 ラルヴァの時と同じ、マーロウは彼女の様子にただならぬ気配を感じて、一先ず、彼女を落ち着かせる事を第一とした。

 縋りつき、震えているシンクの肩を優しく掴んだ。

「……大丈夫だ。落ち着け。大丈夫だから。」


 しかし、シンクは悲鳴のような声で叫んだ。

「左! 左目だわ。左目が見えないの!! あの女の人に持っていかれちゃったの!? ねえ!? もしかして食べられちゃった!? ねえ!? 私の左目は!? 私の左目はついてない!?」

 

 長く絶叫した後、空気を吐き出し続けて吸う事を忘れた脳みそが、酸欠を引き起こした。

 シンクは一瞬くらりとよろめいた。


 慌ててマーロウが彼女を抱きしめて支える。

 

「左目?」

 

 抱きしめたシンクの顔は、マーロウの顔の右下にある。

 シンクは少し落ち着きを取り戻したのか、しかしまだ、懸命な表情で瞬きもせず、マーロウをじっと見つめていた。

 

 マーロウはシンクの背中を優しく、ポンポンと叩いた。

 それから、彼女を抱きしめる腕を解いて、目に変化は無いか、彼女の頬に右手を添えてじっと観察した。


「大丈夫だ。目玉はついてる。」

 マーロウが告げると、小さく息が吐かれて、シンクの肩がすとんと落ちた。


 しかし、マーロウの表情は穏やかでは無かった。

「だが、色が抜けている。黒目が灰色になっている。」


 話ている最中、シンクの肩に再び力が入り、しかし、今度はゆっくりと下に降りていった。


 シンクは両の目をパチパチと瞬いて、それから悲し気に眦を下げた。

「そうなのね。……ごめんなさい。落ち着いたわ……ありがとう。とりあえず、左目がくり抜かれて穴が開いているとかじゃないのね? ……なら良いわ。……。……良くないけど。」

 

 シンクは弱弱しく、諦めた口調で言った。


「落ち着いたか?……すまない。お前の護衛をするのが、俺の役目なんだが……状況が解らない。」


 シンクはマーロウの方を向いて、首を振った。


「何があったんだ?」

 しかし、問題ないと判断した。

 

 先程から狼達も落ち着きがない。

 心配げに、二人の周りをぐるぐると回り、トウとモモは尻尾を地面にぺたりとつけて、じっとシンクの顔を下から覗き込んでいた。


「貴方と話している途中で、誰も乗っていない船が流されてきたの。」


 落ち着いた様子でシンクは話した。


「船?」


 マーロウは訝し気に、遠くにあるオックルを眺めた。


「違うわ。もっと全然小さい。一人で乗ったら精いっぱいの小船よ。」


 その様な存在は見えていなかった。

 

 マーロウは、シンクに視線を戻して訝し気に首をふった。


 シンクは頷き返した。

「ええ、私にしか、きっと見えてなかったのね。」




 シンクはマーロウに今、自分が体験した事の全てを話して聞かせた。




「んん……。」

 マーロウが腕を組んで低く唸る。

 次いで、彼はシンクに女の特徴を質問した。


 シンクが話した内容は、決して信じがたい話では無かった。

 彼も魔法のある世界の住人であり、脳裏には、何かの呪いか、精霊あたりが化けて悪戯でもしに来たのかと、あらゆる心当たりを探っていた。



「どんなって……なんでもいいの? 髪が長くて、黒かったわ。綺麗な真っ黒。美人だけどちょっと影があるっていうか、性格は暗そうだったわ。後は……手に大きな葉っぱかしら?」


 マーロウは一度髪色の所で、眉をピクリと上げ、それから大きな葉の下りで大きく反応した。


「その葉を折って作った……船?みたいな、何かしらあれ?」


「子供を抱えている見たいに見えなかったか?」


 マーロウの言葉にシンクが眉を上げた。


「そうよ! 最初、赤ちゃんを抱いてるのかと思ったんだけど、中身がからだったから……。」


 マーロウは、シンクの質問には答えず、ラピリスの城塞、それから太陽を眩しそうに一瞥した。

 

「もう、そろそろ橋が上がるはずだ。中に入る準備をしよう。……(本当にそうなら、俺では太刀打ちできん。ここを離れよう。)」


 最後の言葉は小声で話し、シンクの右手を掴んだ。


「え? え?……ちょっと待って。」

 シンクは急に手を握られて驚いた。

 しかし、突然片側の視界を失った影響が出ているのか、どうにも方向感覚がぎこちなく、諦めてマーロウに任せる事にした。

 

 シンクの左手に湿った物が触れて、そちらを見るとシロと呼ばれた狼が彼女に寄り添っており、それとよく一緒にいるハク、セキ、アカの三匹が先導する様に彼女達の前を歩き始めた。




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