アニム

 時刻は、もう暫く達つと、陽が沈み始め西日にしびがきつくなる頃合い。

 アニムは、城内の湯船につかり、身体を癒していた。

 

 

 日本で暮らしていた頃は、シャワーで済ませる人間も多い中、アニムは毎日湯船につかる事を習慣としており、それは、今も変わらないで居た。

 

 アニムは、この世界に来たばかりの頃、故郷の文化と出会う事は、もう無いとばかりに思っていた。

 しかし、幸いか、この風呂は何故なぜか城内に存在していた。

 もともと、EOEの世界に風呂などと言う物は無く、冷静に考えれば随分と不思議な事であった。

 

 ただ、アニムは、そういう事もあるかもしれないと、この頃は、良くないと思いつつも、解らない事から目を逸らす癖がついてきていて、

 今回もその様にしてしまった。

 


「ふ~……。」

 ため息が零れた。

 精神的な疲労から来るものではない。


 純粋に暖かい湯に、身体が癒されたために齎された吐息だ。

 

 余談だが、ミコ・サルウェにも、火山は存在している。

 南東にあるザフィー山と、その更に海を挟んで南東にあるエンプレス島という火山島があった。


 誰が名を付けたか、アニムは知らない。

 しかし、女帝の名を冠するエンプレス島は、常にだくだくと噴火を続けており、その姿は赤いドレスを着た女帝の様に見えた。

 中々に的を射た銘々である。

 

 それは兎も角、どちらも王城からは遠いため、そこから湯を引くには少しばかり遠すぎる。

 

 アニムは、息を吐いて、また吸う。

 硫黄臭はしない。


 温泉ならば必ず、硫黄臭がするでも無かろうが。

 であれば、これは温泉ではなく、沸かし湯という事になるのであろうか。


 この巨大な王城にも、それに見合った多くのユニット達が働いていた。

 沸かし湯ならば、誰かが沸かしているのだろう。

 

(今度、誰かに聞いてみようか……。)

 アニムは、ぼんやりと考えた。

  



 風呂に限らず、身だしなみの類は、自らのみが整えていれば良い、という訳ではない。

 疫病対策も兼ねて、アニムは風呂文化の浸透を推し進めており、現在、ゆっくりと広まっていると聞いていた。

 

 現状、風呂施設などの建築は出来ていない為、どうにもその辺りは国策で早急に……とはいかなかった。

 しかし、水辺での焼き石風呂などが、一部で流行っていたり、王城勤めの終業後は、帰宅前に風呂に入るのが、習慣化していると聞いて、それだけでもアニムにとっては少し嬉しかった。

 

 風呂が習慣化し始めているとは言え、無論、まだまだ明るいこの時間に、風呂に入る者は少ない。

 であれば、この湯はアニムの為に焚かれた物、いずれは礼をしなくてはいけないとアニムは考えた。

 

 アニムが何故、まだ日の見えるこの時間に、風呂に入っているのかと言うと、彼の現在の生活スタイルが影響していた。

 

 かつての日本で、政庁が朝廷と呼ばれていた事があった。

 この朝廷。

 まさしく、日の登りきる前、朝早あさばやに出廷し、昼には終わった。

 故に、朝廷と名が付いた。

 その様に聞いている。


 これが、本当かどうかは兎も角、アニムの生活は実際に、その様に始まる。

 空の白む前、空気に青味の残る時間に起き、一刻ほど空けて、朝食を済ませれば、朝議という朝の報告会。

 それが終われば、個別に謁見などを行ったり、法務官達より上がってくる法律の承認などを行うのだ。

 

 だいたい、それらが終わると昼頃で、その日の仕事はそれで終わりだ。


 何故そうなのか。

 そう思っては見るも、アニムに実務運用はわからない。


 聞いた所で無論、こんな言われ方はしないが、「午前に陛下の行った採択を経て、午後、動くのです。そのような物だと思って、受け入れなさいませ」そう、言われては、頷かないわけにもいかなかった。


 別に朝早(あさばや)が辛いという事も無ければ、テレビやゲームがあるでもない。

 故、夜に遅くまで起きていたいという気もなかった。

 ただし、少々退屈ではある。


 アニムの現在の趣味と言えば、散歩が挙げられた。

 

 しかし、彼等の言葉通り、昼に仕事を終えるのはアニムのみ。

 まだ、周りが忙(せわ)しく働いている中、一人ふらふらとするのも見苦しいものである。

 それでも、するときは、するのであるが……。



 一度、アニムなりにも、何か手伝おうか? と声を掛けた事もあった。


 しかし、そう言う時は、驚きの顔と共に、「そんな、滅相も御座いません。陛下に置かれましては、お部屋で御心安おこころやすくして頂くのが、何よりの我々の望みで御座います。」と。

 

 ざっくりと、要するに、邪魔なので、何もしないで部屋に居てくれるのが、何よりの手伝いであるという事である。

 

 結局、仕方なしに、3時ごろには湯に入り、後は夕食までは読書をし、その後はすぐに寝る。

 食べてすぐに寝るのは、身体に悪いと言われて育ってきた。

 しかし、早寝早起きと、適度な運動は良いとも聞いている。

 ならば、未明には起き出して、朝食前には一時間程の散歩を行う事で、自分の中では帳消しとしていた。






 アニムは湯をかき、自らの手を見た。

(……しまった。)


 胸の中に、もやもやとした物が産れ、膨らんでいった。

 アニムは顔を顰めた。


(余計な事を思い出したな。)

 

「ふー。」

 

 今度は先程とは違い、精神的疲労から来るため息。

 

 それなりの長さ湯につかっている。

 にも拘らず、一分の”ふやけ”もない手。

 

 アニムは、自らの、身体の奇妙に気が付いていた。


 新陳代謝や変化が”一部”抑制されている。

 

 身体を爪で、幾度擦ろうとも垢は出ない。

 爪も伸びない。

 何故か髪は伸びる、排便もある。

 空腹もあるが、苦しいだけで食べなくても活動に支障はない。

 


 アニムにはこの身体が、ただ、自らの生きていた頃をなぞり、営みの真似事をする亡者の様に思えた。


 

(気色悪い……。俺は何者なんだ……?)

 アニムは、自らが何者であるかを知りたかった。

 しかし、アニムは未だに、自らの名前を思い出せないでいた。

 

 アニム……それは、あの白磁の世界で自らが付けた名前。

 

 日本で育った記憶は、確かに残っている。

 であれば、母が、父が、付けてくれた名が、別にあるはずなのだ。


(日本に帰れば、思い出すのか?……だが……まだ、帰りたくない。)

 

 人の記憶など不確かな物で、今は障害もなく浮かんでくる親や友の顔も、いずれはあやふやになり、記憶の水底に消えてしまう気がした。

 それは、アニムにとっても、彼等にとっても。

 

 様々な思考が頭の中を駆け巡る。


 ”我思う、故に我有り”そう言ったのはデカルトであったか。


 彼の様にそう、うそぶければ良い。

 しかし、アニムは、そう思えなかった。

 

 誰かに存在を認められて、初めてそこに存在できる。

 だから、忘れられてしまう前に帰りたい。

 このままでは、自分は日本に存在できなくなる気がする。

 

 しかし、日本に帰りたくない。


 「そんなものは、もう無いぞ」と日本を覚えている自分と、覚えていない自分が別にいて、まるで他人事の様にアニムを突き放すのだ。

 

(日本に帰りたい……。)

 

 もう何度も見つめては、目を逸らそうとして来た、自分の中にある矛盾。

 

  

 怖いのだ。

 日本に帰ると、自分などと言う物は、すでに忘れ去られていて、それに引っ張られる様に、自分が消滅してしまう気がして。


 故に、アニムは、せめて帰る前に、自分自身だけでも、自らが何者であるかを思い出したかった。

 

 ふと、気が付くと、温かな湯船に浸かりながらも、寒いわけでも無し、しかし、歯の根の合わぬほどの悪寒に、身体が震えているのを自覚した。


「スゥーゥゥゥーースゥーーー。」

 震える息を厚く吸って、気持ちを落ち着かせた。

 どうせ、現状では帰りようもないのだ。

 

 これ以上、考えてはいけないと、気を散らすために「クニシラセ」を表示した。

 


(……ん?)

 マップ画面をみると、見慣れないアイコンが、自国の国境に2つ存在していた。

 ピックアップしてみると、神聖スカリオン軍:サルカン隊。

 そして、ヒューリ隊と表示された。

 

(他国の部隊か……。)

 

 CoKであれば、この時点で、デデーンと特徴的なBGMと共に演出が入った。

 そして、相手国の国王がクローズアップされ、挨拶であったり、不遜な態度で馬鹿にしてきたり、相手国王の性格によって様々なアクションを取ってくる。

 

 無論、それはゲームでの話。

 ここがそうではない以上、突然、他国王がアニムの目の前に現れて……等と言うことは無かった。

 

 顎を摘まみ、どう対応を取るか、アニムは数秒、思案した。

 そして、すぐに思い直す。

 

 他国との関わり合いが無かった手前、仕事も無かった外務担当官が、ミコ・サルウェにもいる事を思い出した。

 

 アニムはクスリと笑い、心の中で謝る。

 そして、アニムは件の外務司を呼び出しつつ、急ぎ風呂から上がる事にした。


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