白磁世界
アニムは隣国との戦争を終え、戦後処理に一息ついていた所であった。
そして、気づくと、また、あの白磁の空間に立ち尽くしていた。
以前と違い意識ははっきりしており、振り向くと、いつもの玉座は無かった。
「白」以外、何もない世界を穢して、ポツンと一人存在するアニム。
何故、ここに来たのか、意味があるならば、ここでどうしろと言うのだろうか。
アニムは目を凝らして遠くを眺めた。
常人であれば、ここまで真っ白な世界に放置されれば、落ち着かず、不安になり、何(いず)れはおかしくなってしまうかもしれない。
しかし、不思議とアニムの精神は非常に凪いで、むしろ心地良さすら感じていた。
この世界に来て、不可思議な事ばかりに遭ってきたが、ふと、その答えがここにある気がした。
その何かを探して、アニムは歩き出した。
流れる川に身を任せ、揺蕩う木の葉の様に、そのまま半刻程。
ただ、何処まで歩いても、白い世界。
アニムは不毛を感じて、歩みを止めた。
地平線どころか、空と大地の境目すら感じられないほどの「白」。
「白」は人を諦めさせる。
「あら? もう逃げませんの? 悪い人。」
突如、後ろから声を掛けられた。
アニムとしては、別に何かから逃げているつもりは無い。
振り向くと一人の女がいた。
年のころは20前後だろうか、可愛らしい大きく瑞々しい瞳に、通った鼻梁、この真っ白な世界にあって、不思議と溶け込むことのない白いドレス、滑らかで輝くような
その女は、くびれて膨らむ綾線を揺らしながら、わざとゆっくり歩き、アニムの方へ向かってくる。
そして、すぐ近くで立ち止まると、アニムの頬を愛おしげに撫でた。
不思議な女である。
彼女の目にまっすぐ見つめられると、アニムは何処か落ち着かぬ心地になった。
そして、同時に手足の自由を奪われてしまったかの様に、なすがままを許してしまう。
アニムは、彼女を何処かで、見た覚えがあった。
しかし、何処だか思い出せない。
(いや、まて。そもそも、こちらで面を突き合せた者は僅かだ。彼女を見て忘れるなんて事はあり得ない。……気のせいじゃないか?)
アニムは思いなおした。
「世界を超えてまで、逃げ出すなんて……。貴方。
女性は目じりに涙を溜め、悲しげにアニムをなじった。
その姿に、焦りながらアニムは答えた。
「まっ、待ってくれ。すまないけど、私と君は初対面じゃないのか? 別の誰かと勘違いしていると思うのだけれど……。」
時が止まったと、錯覚するような沈黙が下りた。
瑞々しい瞳は、驚愕に大きく見開かれる。
「……私を覚えていらっしゃらないの?」
人違いなどとは、露にも思っていそうにない彼女。
「私は『混沌の種父』の伴侶、『別たれた永遠』よ。そんな事が……。だからなの? 昔はもっと得手勝手にされていらしたのに……。」
『別たれた永遠』と名乗る彼女は、アニムの右手に細長い指を絡み付けた。
「ほら、私が思い出させてあげますわ」
驚く間もなく、彼女の右手は、アニムの脇腹を這いあがり、上半身をぐぐっと引き寄せる。
鼻の頭が触れるような距離まで、彼女の顔が近づいた。
アニムは身体を放そうとするが、思いのほか強い力で抵抗され、離す事が出来なかった。
ちょうど、西洋の社交ダンスに似た姿勢。
「見て下さいまし。ほら、貴方の愛児(まなじ)が泣いていますわ。」
ふくよかに濡れ輝く唇が、ゆっくりと言葉を吹きかけてくる。
「こんな時、貴方はどうしておりましたか?」
アニムの右手の先にクニシラセが出現した。
「まて! 何を!?」
『別たれた永遠』はアニムの抵抗を意に介さず、アニムの右手を先導した。
「あら? どうしてこんな物を介していらっしゃいますの? こんな物を使わなくても……。ほら」
アニムの右手が黒く輝き始めた。
「さあ、次は愛児をいじめる悪い子に仕置きをしなくては……。」
アニムには、何が起きているのか解らない。
しかし、このままでは不味い事が起きると、必死で抵抗した。
「おい! やめろ! ~ん! く!」
力を込め続けているが、ピクリとも動かず、彼女は穏やかな笑みを浮かべ続けている。
アニムの右手が今度は白く輝いていった。
「離せ! 『別たれた永遠』!」
アニムが『別たれた永遠』の名を呼んだ時、彼女の白い頬が一気に紅潮した。
そして、彼女の顔が喜色に包まれ、力が少し緩む。
「まあ、貴方の方から私の名を?」
その隙を付いて、アニムは彼女から体を放そうとして、その時。
ズン!
突如、アニムは身体の横から衝撃を受けた。
「!?」
角度の関係から、顔を見る事は出来ないが、どうやら、誰かにタックルを受け、そのまま抱えられている様だ。
「どういうつもりかしら? 『時を廻るもの』。知らない仲では無いとは言え、私と旦那様の邪魔をするなら、タダでは済ましませんよ?」
口上の割には、相変わらず、美しい微笑みを浮かべている女。
「たった今、先に事を起こしたのは、お前が先だろう。」
けして大きな声ではないが、低い、よく響く男の声であった。
「あら、私は旦那様の手助けをしただけですわ?」
「……。」
「……。」
アニムには、状況が解らない。
しかし、睨み合いが続いているのか、沈黙が続いた。
抱えられている状態のアニムは(とりあえず、下ろしてくれんかな……。)などと困惑しながらも、彼の性分か、呑気な事を考えていた。
しかし、そんな事を言い出せる空気でもない。
アニムはただ、くたびれた抱き枕の様に、状況が進むのを待つしかなかった。
「『時を廻るもの』、あの子たちは見つかった?」
「……だとして、お前に教えるわけがないだろう?」
『別たれた永遠』はどういう意図があるのか、不意に話題を変え、『時を廻るもの』と呼ぶ男に質問した。
しかし、男の反応は、にべも無く、相手をしない。
「あのいけない子たち……どこに居るのかしら……。」
「さてな。……時間だ。」
男はそう冷たく言い放つと、アニム諸共明滅し、その場から消えてしまった。
誰もいなくなった空間、『別たれた永遠』は先ほどまで男達がいた空間を、張り付けたアルカイックスマイルで見つめていた。
「……まあいいわ。あの方が必要なのは、私だけじゃないものね。」
そして艶のある溜め息を一つつくと、一瞬つまらなそうな顔をした後、顔を桃色に染めた。
「あの方は戻ったのだものね。ふふふ。……嗚呼、貴方。何時までも私はお持ちしておりますわ。ふふふ、ははは。……ふふふふふふふ。」
そして、『別たれた永遠』も世界に溶けるように消えた。
何も存在しない白磁空間には、何時までも、彼女の笑い声だけが響いていた。
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