第9話
「…で?瑞貴を殺すって?何する気?」
類の静かな低い声が放送室に響いて、後ろにいるHALが萎縮しているのがわかる。それぐらい類の怒りが表面化しているし、普通の人が見れば思わず泣き出すんじゃなかろうかと思うほど形相が恐ろしいのだ。
「………、」
「刺すなら刺してみろ、その瞬間お前死ぬからな。」
類の威圧で動けなかったHALだが、いよいよ焦ったらしく俺の顔にナイフを軽く突き立ててきて。頬にぬるい血液が伝うのがわかった。
「ち、近づいたら本当に刺す!!」
「だからやってみろ。やれるんもんならな。」
そう言って類がポケットに手を突っ込んで取りだしたのは合計5本のナイフ。
「丸腰で来るとでも思ったか?純が持ってきた武器の類いが色々揃ってんだよな。…さて、そっちがやらないなら瑞貴離してもらおうか。」
言いながら1本のナイフを右手に持ち1歩近づき、躊躇することなく投げてHALの身体に刺したのか刺していないのか、HALから情けない声が聞こえてきた。
「ヒッ、やめ、」
「…やめろだぁ?どの口で言ってんだ、あ?お前瑞貴に何したんだよ、どうせさんざん殴り飛ばしてレイプし倒したんだろうがこの快楽主義の性犯罪者が。…もし復讐が正当化されるなら俺はお前を間違いなく殺してるからな。」
言ってまた1本、今度は少し下に投げてカンッという音が鳴った。
「安心しろ、刺しゃしねぇよ。あと3本、どこに投げようかな。…まぁでもナイフで遊んでても俺の怒りが収まる訳じゃないし?銃刀法違反で捕まるのも嫌だし?殺したらマズイし?俺は殺人犯になりたくねぇし?…ってことで遠慮なくボコらせてもらうわな?」
冷たい目のままで残りのナイフをミキサー台に置いた類が不敵な笑みを浮かべ左脚を軸に一瞬で縮地し、綺麗に俺だけ避けて肩でHALを突き飛ばした。その拍子にHALは後ろの壁へ吹き飛び、俺は俺で自分の体を支えるものが無くなり床に倒れてしまって。…類がHALを何度も何度も殴りつけ、殺す勢いで打ちのめしている。…HALの反応が無くなってもまだ殴り続けているし目に温度が一切なくて、相当キレているのがよくわかる。だけど俺にはそれを止める術がないし、止めようとも思えない。そう思っていたらドアから静かに社長が登場した。
「ーーーそこまで。類さんストップ。麻生にはもう意識はありません。」
その声でビタッ、と止まった類が顔だけで振り返って数秒社長を見据えたあと、軽く息を吐いた。
「…はー……。了解、コイツ連行してくれ。あと医療班連れてきて。」
「分かりました。」
社長を含む黒服部隊が数人ゾロゾロと放送室に入ってきて、意識のないHALを連れ出して行って。残った類が床に落ちている俺の上体をそっと起こして、手首を縛っている縄をナイフで切って抱き締めてくれた。
「…類、ごめん、ーーーごめ、なさい…。」
ただ、安心して涙が止まらなくて。感情が噴水のように噴出して。
謝る俺の顔にキスを降らせながら、類が口を開いた。
「謝らなくていい。…遅くなってごめんな、もっと早く来たかったけど、俺も純も岐阜県って想定してなくて瑞貴の位置がなかなか掴めなくて、結局15時間以上かかっちまった。…マジでごめん。」
「来てくれたからいい。それでもういい…。」
止まらない涙を止めようともせずにそれだけを伝えたら、類が悲痛な顔をしていて俺の顔を手のひらで優しく撫でた。
「…だいたい見当はつくけど、何された?」
「…類が想像してる事は全部されてると思うよ。指も折られたし。」
「!どこの指。」
「左手の薬指…。根元からボキッていかれた……。」
そう言うと左手を取って確認して表情を顰めた類が俺を大事そうに抱きしめ直してきて。
「クッソ…。あーあー、紫色になってる…。早く処置しないと綺麗に治らん。医療班まだか…、」
「…HALがね、」
「うん?」
「HALが、"俺が贈った指輪なんで着けてくれてないの?"って。それで、着けようとも思わないし類がいるのにそんな事出来るわけないだろって言ったら折られちゃった。」
そう言ったら悔しそうにしている類が右手で自分の頭を掻きむしって感情を押し殺そうとしている。
「……、あーもう、あーーもう。俺自分を殴りたい。あの時止めてればこんな事には…。色々ともうショックが過ぎる…。」
「医療班到着です!」
そこでやってきた医療班の担架に俺は横たえられて、東京にある社長が理事をやっている緒方総合病院まで類と一緒にドクターヘリで運ばれることになった。
ヘリの中で俺はバイタルチェックだの外傷チェックだのと色々と受けて、左手薬指も仮で固定されてからようやく解放された。類が救急隊員に俺と話してもいいかの確認を取ってベット脇に座った。
「みーずき。」
「……。」
疲れ果て消耗しすぎて無言のままの俺を心配そうな顔で見つめ前髪をそっと払ってくれた。
「酷い目に遭わされたな…。色んな意味で俺も悲しいしつらいし怒りが収まらんわ。ーーーだけど一番つらいの瑞貴だから怒りは呑み込む。ごめんな、助けに来るのが遅くなって。…ほんとにごめん。」
落ち込む類だが、何も謝ることはないのに。だから右手を伸ばして類の頬に触れた。
「…類は悪くないでしょ。助けに来てくれただけで俺は救われたよ。…それに来るまでにもっと時間かかると思ってたし、想像してたよりずっと早かったから…、正直岐阜県って聞かされた時は絶望したし、時間はかなりかかるだろうとは思ってた。なのに早かったよ、ありがとうね。」
「だけど瑞貴またアイツに………。それがつらすぎて、どんだけ瑞貴の心の傷になったか。」
「傷にならなかったと言えば嘘になるけど、大丈夫。…俺は大丈夫。」
大丈夫なわけは無いのだが、それでも自分に言い聞かせるようにそう言って無理して笑ったら、見抜かれて鼻をむい、と軽く摘まれて。
「無理して笑わなくていい。」
「………、」
「俺の前でまでそんな事しなくていいよ。…もう金輪際絶対二度と危険な目になんか遭わせないけど、…それでも思うよ、瑞貴の安全を一番考えて守れたのは俺だったのに、って。あの時無理してでも止めるべきだったってスゲー後悔してる。」
「もういいよ、そんな落ち込まないで。」
「無理に決まってるだろ…。だけど、もっと酷いケガを想像してた。いや今ですら酷いケガしてるけどさ。……つらかったのに、よく耐えたな…。」
そう言う類だが、俺は類という存在が在るからこそ絶望はしていたものの耐えられたのだ。だからそれを伝えるために類の唇に触れながら口を開いた。
「…俺が耐えられたのは類の存在があったからだよ。絶対来てくれるのはわかってたし信じていられたから耐えられた。それが無ければ精神破壊されてたと思うもん。だから類は落ち込まないで。俺のためと言うなら笑ってて。…まだ身体の緊張状態が解けてなくてずっと今も消耗し続けてるけど、それだって類や社長が来る寸前に比べたら雲泥の差だ。類の姿が見えた瞬間に安心して力抜けたんだよ?」
そう言って唇を滑らせていた手を離して俺の唇に押し当てたら、それに気付いた類が少し照れた。
「人の唇触って何してんのかと思ったらその手自分の唇に当てるとかただの間接チューじゃねぇか。何かわいいことしてんだよこんなとこで。家帰ったらチューしまくってやる。」
言いながら頭を撫でてくるのがくすぐったくて、ーーー幸せでならなくて。
「……類、」
「…なぁに。」
「好きだよ。大好きだ。」
「…!」
思ったままを伝えた俺の言葉でまた泣きそうな表情になった類が少し俯いて、静かな声で言葉を紡いでいく。
「ああ、好きだな。…愛おしいな。どう転んでも瑞貴が大事だよ、俺。俺以上に瑞貴の事好きで大事にできるヤツいないと思うわ、大真面目に。」
…何を今更。そんな事は言われなくてもわかっている。俺をこの世で一番想ってくれているのも一番大事にしてくれるのも、類で間違いはない。だからこそこんな目に遭ってもそのままの姿を晒すし、隠そうとしないのだ。とてもではないが他の人間にこんな姿見せられない。
「そんなの分かりきってる。それに俺は類じゃなきゃ無理だもん。」
「瑞貴…、」
「……少し休むよ、消耗が激しくてしんどい…。」
言うと類はまたそっと頭を撫でて微笑んでくれて。
「そうしな、病院着いたらまた検査でたらい回しにされると思うから。…おやすみ。」
そこで静かに目を閉じた。今回、HALがまた暴走してこんなことになってしまったが、サイコパスというものはどこまで行ってもサイコパスで、2年経とうが5年経とうが変わってくれるものではないのだなという事がわかった。ただ救いはHALがバカだったこと。HALが先々の事を考えてもっと綿密に計画を立てていれば俺はまだ救出されていなかっただろうと思う。
…結局また2年前と同じように蹂躙され、身体的にも精神的にも汚染をされた事で全身を上から下まで全て新しく取り替えたい気持ちでいっぱいで、だけどそんな事不可能だからこの身体と心で俺は立ち上がっていくしかない。ドームツアーも控えてはいるが指も骨折しているしメンタルが完全に崩れてしまって。この調子だと延期になりそうで、ファンに対しても申し訳が立たない。そんな事を朦朧とする頭で考えながら、やがて意識を手放した。
第9話 完
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