第5話

「…なんかそろそろ新種の呪いか何かかと思うよね。新種の嫌がらせというかなんというか。」


休憩室にやって来て封筒を見てそう言うと、類がそれを俺から取り上げてまた光に透かしている。


「まーた差出人不明。どうせ中身も白紙じゃろて。」


「だろうねぇ。」


ハサミで開封して中身を取り出してみて、類が異変を発見した。


「ん?」


「なに?なんか書いてた?」


「うん。"H"って、それだけちっさく書いてある。」


「"H"……。なんだろ、なんかの頭文字とか?」


「普通に考えりゃ頭文字だろうな。それか暗号の一部とか。」


それを聞かされてウンザリしてしまった。だって暗号とか。我々は現在ドームツアー前で忙しいのだから、正直に申し上げてこんなのに構っているヒマはないのである。


「やめてよ暗号とか、面倒臭い…。」


「それは送り主のやる事だから俺らには止める術はないけど、なんなんだろうなぁ、これだけじゃわからん…。」


言いながら封筒の中身が他にないか確認をした類が何かを見つけたようで、それを逆さまにして手のひらの上に出したのだが。それは透明にキラキラ輝く石が付いている指輪だった。それを俺が手に取り角度を変えながら見た。


「…何これ、指輪だよね。なんか石もついてる。ダイヤかな…。」


「だな。ええぇぇ怖い怖い怖い怖い。いよいよなんらかのメッセージ性を帯びてきたぜこれ。」


「そうだね。写メ撮って社長に連絡しとくよ。」


「うんうん。」


しかし、赤い差出人不明の封筒がこれで3通目、そして大きな花籠に、封筒に入っていた謎の指輪と"H"と記された白い紙。これだけでは点と点が結びつかずただ不気味なだけだ。そうこうしていたらキンコーン、というインターホンの音が響いて2人でビクッとしてしまった。


「もう9時半か、多分ユウキかコータだね。」


「あぁ…、なんだよびびったぁ…。」


とりあえず封筒を仕舞って、偶然入口で鉢合わせたというユウキとコータを招き入れてそれぞれ仕事を開始した。


それから約1週間、毎日赤い差出人不明の封筒が一通ずつ、そして謎の贈り物?が届き続けた。


一体なんだと言うのだ、恐らく俺や類に何か伝えたいのだろうが、それがさっぱり分からなくてただただ不気味なのだ。だがここに来て俺があることに気づいた。3通目の封筒に入っていた指輪の事だ。もしかしてもしかしなくてもと思い仕舞っておいたそれを取り出して試しに自分の左手の5本の指に嵌めてみたのだ。


「…やっぱり……。」


俺の薬指にジャストフィットしたのだ。という事は俺の薬指のサイズを知っている人間の仕業だということになる。

ちなみに左手薬指には類とのペアリングが嵌っているのだが、それを試すためにわざわざ外したので速攻で付け替えた。何はともあれ類に報告しなくてはならない。思ってその指輪を持ってミキシングルームを出てドラムブースへ向かい、ドアノックもせずに開けて入った。


「んお?そんな焦ってどしたー。」


「類、3通目の赤い封筒に入ってた指輪あるでしょ。」


「ああ、うん。それがどうした?」


「俺にピッタリ嵌る指があった。」


「え。」


そこで顔色を変えた類がやって来て、もう見せてしまえと思って再び類とのペアリングを外して薬指に嵌めて見せた。


「…………。」


一気にマイナスにまで冷却された表情になった類が無言のまま俺の左手を掴み薬指からその指輪を抜き取って床に叩きつけた。


「ふざけんなよ…。」


「類落ち着いて。」


「落ち着いていられるか、つまりは瑞貴が目的じゃねぇか。どういう意図があるかはまだわからんにせよ、これが黙ってられるかよ。」


「あとそんな握ったら手首が痛い、離して。」


「あ、ごめん。結構本気で握っちゃった。大丈夫か?」


直ぐに外してくれた手首をさすってくれたが、それは別に平気である。


「瑞貴の薬指のサイズ知ってるやつって、俺以外に誰がいる?」


「………、真菜、それとHALだ。」


「真菜はねぇな、今もずっと精神病院で入院してるから。…となるとHALか…。」


真菜、というのは俺の元カノで現在精神病院にて入院している、という情報しかない。なので真菜ではないしそもそももう何年も連絡を取っていない。だとすると残されたのはHAL。


「そういやこの指輪と一緒に入ってた紙には"H"って書いてたよね。……確定かなぁ…。」


「チッ…、面白くない展開になってきたな。」


…HAL、というのは2年前にユウキが来てくれる前に俺の専属でベーシストをやってくれていた男性のことだ。その当時HALは類と凄まじい諍いになったことがあるのだが、原因が俺である。何かと言うと俺と付き合っていた類に『瑞貴が好きだから別れろ』と言い放ち、俺を類から奪おうとしたことがあるのだ。勿論類が頷くはずもなく、物凄い険悪な空気だったのである。ドラマーとベーシストでそんなことになっていては同じリズム隊として仕事にならないし、もう普通に接する事が出来ないと判断した俺がHALの専属契約を解消したわけだが、そのときにはほぼ俺のストーカーと化していたHALが俺を自宅に無理やり連れ込み監禁したことがあり、すぐにそれを察知した類が俺を守るためにHALの家へ乗り込み玄関を蹴破って入りHALをボコボコにして問題は一応片付いたのだ。何故俺の薬指のサイズを知っているかというと、いつの間にか、本当に知らない間にいつの間にか知られていたのだ。どうやって知ったのかは未だに分からないままだが確かに知っていたのだ。HALならこの赤い封筒を差し出してきてもおかしくないし、指輪だの花だの、こんな不気味な事を思いつくのはむしろHALでしかなかったのに何故今まで気づかなかったのだろう。

だが、HAL。…俺はHALを前にすると途端に恐怖で固まってしまうし動けなくなってしまう。それぐらい酷いストーカーをされたし、なんなら監禁された時に無理やり襲われている。それがトラウマになり恐ろしくて動けなくなってしまうのだ。それを鮮明に思い出して心臓の鼓動が早鐘のように打っていることに気づいたが、抑える事が出来ずに固まっていたら類が俺の腕を掴んだ。


「ちょっとおいで。どうせ今怖くなっちゃってるだろ。」


「…………。」


返事をしない俺の手を引いて類はブースを出て仮眠室に連れてやってきて、バサッとベットに押し倒された。


「……考えんなっていうのは無理だとして…、今はできるだけ考えすぎないようにってできるか?じゃないと精神汚染ヤバいだろ。」


「……無理、かも。」


ああもう泣きたい。なんで今頃になってHALがまた出てくるんだ?ああでも、こちらの言う事に聞く耳も持たないからストーカーなのか。

若干声が震えるのも自覚していたら小さく息を吐いた類がベッドに登ってきて抱き締めてくれた。


「アイツここには入れないし、今瑞貴の傍にいるのは俺だよ。」


「うん、…わかってる。」


「くっそ、2年前こっぴどくボコって大人しくさせたと思ってたら今頃になってなんだよあの変態…。」


言いながら俺の後頭部や背中をずっと撫でていてくれる類には本当に助けられるし、当時も類がいなかったら俺はどうなっていただろうか。それを考えたら本当に恐ろしいし、あの時にサイコパスというものがどういうものなのか、どれほど恐ろしいかをを身をもって体感したのだ。


「…未だに俺の事好きなのかな、HAL。」


「わからん。けど何らかの感情は持ってんだろな、じゃないと指輪だの花だの贈ってこねぇもん。腹立つわぁ、また徹底的にボコられたいらしいからアイツんち突撃したいんだけど家変わってたらアレだしな…。」


「…………。」


「当面は窮屈だろうけど瑞貴の身の回り徹底してガードさせて貰うわ。買い物とか、そういうちょっとした外出も全部着いてくしなんなら俺がやる。スタジオから外出る時も絶対俺に声掛けて。わかった?」


「う、ん…。」


まだ声が震えるし、気持ちの悪さと怖さで手が冷えきっている。自分が情けないとも思う。だけどもう本能的に刻印されたかのような恐怖が拭えないのだ。だって俺は監禁された時に襲われただけならともかく、全身を縛られていてもなお俺が反抗するからと言って両方の手の指を切って落とされそうにもなっていたのだ。その寸前で類が突入してきて助かった訳だが。


「類、」


「なぁに。」


「ダメだ俺、…怖い……、情けないけど…。」


「だよな……。ああもうマジで許せんのだけどどうしてやろうかなあのド変態。そりゃ怖いよな、手ぇひえっひえだから十分わかるよ。よしよし、大丈夫だ。今は俺しかここにいない。」


ポンポン、ポンポン、と一定のリズムで背中を軽く叩いてくれているのが酷く安心する。が、怖いものは怖くて延々と類に縋る羽目になってしまった。

仮眠室で類にあやされていたら、類のスマホにティロン、という通知が飛んできた。


「ん、LIME来たっぽい。一旦ちょっと待ってな。」


そう言って俺を解放して、横になったままポケットからスマホを取り出して確認した類が目を見開いた。


「何、どうしたの?」


そう訊ねたら類がギリ、と奥歯を噛み締めて。


「類…?」


「確定。犯人HALだわ。」


「え、」


「すげぇタイミング…。あのド変態どっかで見てんじゃないだろうな、それはないけど。HALからだった。」


「え…、なんの用……。」


再び不安の坩堝に陥れられた俺をまた抱きしめた類が首元に顔を埋めて低い声で言った。


「……"花と指輪は届いたかな?喜んでたでしょ?2年も経てば気も変わるだろう。瑞貴は略奪させてもらうよ"って。」


その言葉で一気に2年前の出来事がフラッシュバックして竦み上がった俺は、パニックになりそうなのを抑えるのが精一杯で何も言えなくなってしまった。


「瑞貴。…瑞貴?大丈夫か?…おい!?」


反応が出来ない。少しでも動いたらHALに見つかってしまいそうな気がして、口も開けなければ動くことも出来ない。類の声もどこか遠くて、全然響いてこない。こんな、またこんな事に陥るなんて。HALが恐ろしくて混乱の極地で涙がボロッと溢れ出した。



第5話 完

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