出会い編 第5話
開始されたドラムテスト。
スコア自体は何とか覚えたが、覚える際に実際に叩きながらの暗譜ではなかったため正真正銘のぶっつけ本番となる。基礎的な事から超絶技巧までが含まれるスコアをどう料理するかは俺次第なので、指示にはもちろん従いつつそれも含め俺の解釈で叩いていった。3ページ目で突如入ってくる多数の変拍子に差し掛かり多分だがそこもなんとかクリアはしたものの、俺の記憶が正しければ最初から最後までで少なくとも4箇所はトチっている。BPM自体はそこまで速くはないのだが、緊張もあって正確に叩く事を意識していたら呼吸を時々忘れていたらしく、数分後全部を叩き切る頃には息も上がっていた。
最後の音を叩ききって呼吸を整えていたらパチパチパチという拍手の音がブースに響き、カツン、カツン、と近付いて来た足音の方を向いたらやはり冷めた表情をしている瑞貴くんがタオルを差し出してきた。
「…まずはお疲れ様でした。タオル使う?汗凄いよ。」
「…ありがとう、じゃあ遠慮なく。ーーーどうだった?途中4箇所は最低でもトチってるし、…受からせるつもりもなかったんだろうし受かったとも思ってないけど。」
ドラムスティックをホルダーに立て掛けて手渡されたタオルで顔や首周りを拭きながらそう訊ねたら、緊張している純の横で瑞貴くんが手を口に当てて口を開いた。
「…まず、トチった箇所は4箇所じゃなくて合計7箇所です。」
「あー、そんなあったか。」
「ですが間違えたこと自体は別にどうでもいいです。このスコアを覚えて全体通して叩けただけでも凄いことだと思うので。総評としては、俺の及第点を軽く突破しています。練習も無しの一発本番なのに難しいリズムも変拍子も予想に反してかなりのハイレベルで叩いていたと思ってます。」
…ん?
「見た目通りパワーパンチャー型でただ強く叩くだけなのかと思っていたらしっかり繊細な表現も出来ているし、ほぼ俺の理想通りと言っていいと思います。」
んん?んんん…???
なんか、予想してた評価と違う。もっと辛辣な言葉がぼこぼこ飛んでくるかと思ってたのでポカンとしていたら、そこでふ、と表情を緩めて今まで見てきたどの笑顔よりも眩しい笑顔で言った。
「ーー合格です。類さんさえ良ければ俺の専属でドラマーをやってください。」
「……………。」
ポカンとしたままの俺を見た瑞貴くんが首を傾げている。
「…あの?」
「あ、いやごめん。もっと辛辣な言葉が飛んでくると思ってたし、合格?…ウソだろ、受からせる気なんかないくせに。」
思ったことをそのまま伝えたが、苦笑した瑞貴くんが言った。
「うん、類さんの予想通り、そして今そう言う通りで俺は類さんをテストに通す気は最初からなかったんだけどね。」
「それもおかしいけどな。最初から受からせる気もないくせになんでテストなんか受けさせたわけ?」
聞くとヘラッと笑った彼は悪びれることも無くこう言ってのけた。
「え?だって社長の紹介だって言うからどんな上手い人かと思ったら社長の婚約者の兄だって言うじゃん。だからああ単なる身内贔屓かと思って。ニュアンスは少し違うけど七光り的な?ちょっとドラムが上手いくらいで社長に紹介してもらえて人生イージーモードのへっぽこドラマーなんか二度とドラムが叩けないようにハートを完膚なきまでに骨折させるつもりでいたからこそのこのスコアだし、別に暗譜できないならできないでそれで良かったし、暗譜出来るとも思ってなかった。まともに聴く気もなかったし。だって合格させる気なんかハナからなかったんだもん。」
「………。」
予想通り。俺の予想通りである。あまりにもテンプレートな言葉を言われてドン引きして引き攣り笑いを浮かべていたら瑞貴くんが右手を差し出してきた。
「…見た目バカそうだからあのスコアを覚えられるとは到底思ってなかったし、完全に舐めてた。だけど最初のフレーズで撃ち抜かれたのは俺の方。…色んな無礼を働きましたが、そこは謝罪させていただきます。どうか俺の専属ドラマーになってください。」
言って手を差し出したまま頭を下げて来たので、まるでお見合いみたいになってしまっている。
…なんか見た目バカそうとかシレッと酷い事を言われたがこの手を取ってしまってもいいのだろうか。瑞貴くんの専属でドラムをやる事で俺の人生がこれから何か変わっていくんだろうか。
ええい、考える事は色々あるがそれは後だ。右手を差し出して瑞貴くんの手をしっかり握った。
「…合格出来るとは一切思ってなかった。本気出して暗譜して頑張った甲斐があったなぁ。俺に務まるかはちょっと自信ないけど、頑張らせていただくよ。こちらこそこれからよろしくお願いします。」
そこでしっかり握手を交わしたはずなのだが、顔を上げた瑞貴くんが不気味なほどの笑みを浮かべて。
「え、なに?怖いその笑顔。」
「え?…いや、これで田辺さんの首切れると思ったら嬉しいのと、どうやって解雇通知してやろうかと思って。散々俺に要らない意見してきたり子供だからって舐め腐って文句ばっか言ってくる人だったからさ、ギャフンと言わせたいじゃん。あと単純に類さんて才能あって伸び代ありすぎる人だからどんな強制レベルアッパーの曲を書いてやろうかなって。」
「田辺さんめちゃくちゃ上手い人なんだけどな…、それを差し置いても辞めさせたかったんだ。え、強制レベルアッパー…?怖いな…。」
「うん。あの人社長に俺が気に食わないからどうにかしろって言ってたらしくて、そんなの直接俺に言えばいいのにその勇気もないんだと思うし、それなら永遠に俺への不満を社長に言い続けて俺はそれを社長から永遠に聞くことになる。その時点でもう今後上手くいくことはないじゃない。あと強制レベルアッパーについてはそのままだよ、類さん今でも上手いけどまだ化ける。だとしたら鬼畜スコアをどんどん出して練習させれば化ける速度が上がるからね。」
「ま、まぁそうなのか…。」
多分俺が瑞貴くんの立場なら我慢する。田辺雄一というのはそれぐらい技術のあるドラマーなのだ。そう思いながらレベルアッパーの楽曲だとか、俺の技術だとかを反芻してみてうーん、と唸ってしまった。
「けどさ、その強制レベルアッパーの曲はともかく…、俺は田辺さんレベルで叩けないよ?なのに単発でもなく専属ドラマーにすんの?あと言い忘れてたけど俺瑞貴くんのこと好きじゃない。」
スパッと言うと目を丸くした瑞貴くんがぱか、と口を開けて俺を指差し、純を見ている。
「社長、この人バカなの?」
「う、うーん、バカっていうか単に自覚がないんだよね、類さんって…。あと瑞貴の事好きじゃないというのは、類さんが受けた仕打ちを考えれば当然とも言えるかな…。ちょっと瑞貴やり過ぎたね。」
え、なに、なんの話?2人からなんとなくバカにされている事だけは分かった。思いながら2人を見ていたら、呆れたような瑞貴くんが俺に近寄ってきて、椅子に座ったままの俺の頭をいきなりスパンと叩いてきた。
「いたっ、何すんだよいきなり。」
「バカにつける薬がない以上はこうやって理解させるしかない。あのねぇ、俺が書いたこのスコアを叩けてる時点でレベルは高いし、たった5分しか与えなかった時間の中でしっかり暗譜して更に指示通りに叩いて繊細な表現も類さんはしてきたんだよ。暗譜なんて二の次で表現だけを見るならばただの素人やちょっと上手いだけのドラマーには到底無理な事を俺の目の前でやってのけた。俺に合格を言われる事はないだろうと思ってたとして、それでも出来ることはやろうと思って叩いたドラムが今のドラムなら、もう俺は言うことないよ?だから馬鹿にでも分かるようにハッキリ言ってあげる。俺には類さんのドラムが必要だ。田辺さんのドラムでなく類さんを選んだのは技術面だけではない、その表現力だって選考基準だった。類さんが自信ないとかそんなのは俺にはどうでもいいの、ただ凄かった。だからもっと誇っていいよ、類さんのドラムは素晴らしい。…俺の事は嫌いでも何でもいいよ、むしろそれはどうだっていい。だけど類さんには俺の作る音は好きでいてもらわないと困る。」
ドラム云々の話よりも最後の『俺の作る音を好きでいてもらわないと困る』という言葉で少し面白くなった。嫌いでもいいのに自分の音楽は好きでいてって、なんという無茶振りだろうか。…だけど、ああ、確かに由良瑞貴という人間は今現在そんなに好きではないが、興味は湧いてきた。そしてその音に俺は確かに神経を奪われたのだ。だとしたらきっとコイツ自体を好きになれる時が来る。
そう思いながら苦笑して頷いておいた。
「…わかったよ。俺の気持ちが好意に変わるか変わらないかは瑞貴くん次第だけど、初めて聴いた時からその音は好きだよ。」
言うと嬉しそうに笑う瑞貴くんの横で純も同じように嬉しそうにしていて。
「類さんおめでとうございます。ほら僕の言った通りだ。類さんには由良瑞貴と並ぶ資格があるって僕言いましたよね?」
「いや、言ったけどさ、自覚ないんだもん仕方ないじゃん。」
「あはは。…でもそうかぁ、瑞貴は僕がただの身内贔屓で類さんを紹介したと思ったんだね。」
そう訊ねる純に瑞貴くんはまた平然と毒を吐き散らかした。
「うん。だって普段誰に対してもそんな事絶対しない社長だから信じた方がいいのかなとは思ったけど、婚約者のあきらさんの兄で26歳のフリーターだとか言うからさ、社長の立場上義兄となるこの人に単に就職させなきゃマズイとかなんかそんなので斡旋してきたんだろうなーって。そしたら実際に会ってみたら頭ピンクだしアホっぽくて何も考えてなさそうな風体だし、ああ香ばしいな、面白くなってきたなって思って社長も欺くためにニコニコはしてたんだけどさ。そんでテスト受けさせるだけ受けさせたらそれで社長の顔は一応は立てた事になるから、思いっきりダメ出しして木っ端微塵にドラマーとしてのプライド砕いて笑ってやろうと思ったんだよね。」
「いやもうさっきから俺に対して重ね重ね失礼すぎん?」
酷い言葉を羅列して俺を貶して来るので若干凹みながらそう言ったら、瑞貴くんの横に立っている純も半笑いになっていて。
「確かに類さんの就職先は気になってたしなんなら僕のところの企業紹介しようかとは思ってたけど、ドラムに関しては本当に上手い人だからね。類さんが実力のない人なら僕は斡旋なんかしなかったよ。だからこういう結果になるとは僕は思ってた。…とりあえずは纏まったでいいのかな?」
「うん、俺は類さんを起用したい。」
「ん。では類さんは?」
「務まるのか不安だけど、精一杯頑張らせてもらうよ。」
俺と瑞貴くん両方の意思確認をした純はニコニコして両手をパン、と合わせて。
「良かったです。類さんには瑞貴との専属契約を締結するためEMPIRES FIELDに入所して頂きます。追って手続きなどのご連絡はこちらからさせていただきますが、まずは入所に当たっての手続きの前に契約のお話をさせて頂きたいと思うので、これからまた3人で事務所に戻りますよ。」
言いながらブースを1人出ていく純の背中を目で追った瑞貴くんが言った。
「……正直ね、類さんがこのチャンスゲットするとは微塵も思ってなかったし掴ませる気もなかったんだけど。」
そこで顔を俺に向けて少し困ったような笑みを浮かべた彼はボソッと呟いた。
「あんなドラム聴かせられちゃったらなぁ…。」
「ん?なんて?」
「なんでもない。これからいじめてあげるから覚悟してね。」
「いじめ!?」
「うん。類さんなんか俺のおもちゃだよ?」
「え、おもちゃ?どういうこと?弄ばれるってこと?」
「あははは。」
ーーーこれが俺と瑞貴の出逢いだ。
今思えば俺も瑞貴もこの時はバチバチにお互いをギャフンと言わせようとしていたなぁと思うし、俺はよく瑞貴の圧力に屈せずやりきったと思う。でなければ俺は今瑞貴の傍で音楽なんか仕事に出来ていないし、ドラムも相変わらず適当にプラプラと呑気にやっていた事だろう。何より俺にドラマーとしての強いプライドが備わった。
純がくれたこのチャンスを掴んだ俺を褒めてやりたいし、今考えても無理無茶な例のスコアを脅威の集中力を発揮し本当に5分で暗記してテストを乗りきった事も褒めてやりたい。だけど結局は俺を起用する事を決めたのは瑞貴で。
俺を拾ったのも瑞貴だし、あらゆる意味で俺を選んだのも瑞貴だ。ならば俺は瑞貴が選んだ事を後悔させないように努力していくだけ。
俺を選んだのが瑞貴なら、瑞貴を選んだのも俺。
相変わらず瑞貴は口の減らない生意気な年下で間違いはないけど、あの時と確実に違うのは確かにそこに愛情がある事。それを見失う事なくこれからも歩いて行ければ。
そう思う。
Night Hawks
決戦は金曜日〜出逢い編 完
Night Hawks AZCo @azco0204
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