二章 バイオテロ
一 バイオテロ
ユング共和国のメガロポリス・アシュロンは、ダルナ大陸の中央、ダナル州にある。
アシュロンは碁盤の目のように整然とした街路の街だ。アシュロンの南北に走る大通りは、南北五十一番通りを中心に、西側は、南北一番通りから南北五十番通りまで、東側は中央の南北五十一番大通りから東へ、南北百一番通りまで合計百一本あり、東西に走る大通りは、最北部の東西一番通りから最南部の東西百一番通りである。
二八一六年九月二十日、一一〇八時(午前十一時〇八分)。
『〇五一〇〇一の交差点で緊急事態発生。
通行者が吐血後に死亡した。接触者が同様の症状で倒れている。
バイオテロの可能性あり。緊急車両は感染症対策し急行せよ』
テレス連邦共和国軍警察フォースバレーキャンプの執務オフィスで、クラリスがマリーのコントロールポッドの前に、衛星(情報収集衛星防衛システム)からの探査情報と現場を3D映像化して、コンバットとCBCD(コンバットバイオテロ対策部・Combat Bioterrorism Countermeasures Department)へ緊急連絡した。
事件現場〇五一〇〇一は、南北五十一番通りと東西一番通りが交差する、東西一番通りの北側歩道だ。ここはドレッド商会の正面だ。
「クラリス。ドレッド商会から発生したのか?」
マリーは通行者が何処から来たか知りたかった。
「現時空間の波動残渣が消去されてる。発生源は不明。
現在、監視映像で、最初の死亡者の行動を追跡している・・・。
死亡者はオルソン・チャン。三十五歳、男。カプラム、レプリカン。テレス帝国軍残党。
妙だ?オルソン・チャンが、突然、ドレッド商会の前に現れてる。
どこからスキップしたか、探査する・・・」
クラリスが、時間を溯った4D映像をオフィスに投映した。
ドレッド商会正面の歩道に、いきなりオルソン・チャンが現れた。ごくふつうに歩くと、何人かの通行人と肩が触れて、通行人から弾かれるように倒れ、吐血した。接触した通行人も次々に倒れて吐血している。
「バイオテロだ!被害はどこまで拡がってる?」
カールがクラリスに確認した。
4D映像が3D映像に変った。画像が引いて南北五十と五十二、東西一と二の大通りで囲まれた区画全貌を真上から見おろす3D映像に変った。
「コンバットとCBCDの緊急車両が現場を封鎖した。
感染は南北五十と五十二、東西一と二で囲まれた区画内で留まってる」
クラリスの声とともに、指示区域の通りに。地下から張られた防御エネルギーフィールドが3D映像に現れた。このシールドはドーム状に変化して区画内を覆っている。
「ヒューマの移動を止めろ!」とマリー。
「移動はない。死亡者が出ると同時に、通行が止まったままです」とクラリス。
「南北五十と五十二、東西一とで囲まれた区画を完全封鎖しろ!
アシュロン全域に、外出禁止令を出せ。バイオテロだと知らせろ!
アシュロンから移動しようとする者は、即刻、攻撃破壊すると伝えろ!」
マリーはクラリスに事件現場の完全封鎖を指示した。
「了解」
『南北五十一と東西一大通りの交差点でバイオテロ発生。
南北五十と五十二、東西一とで囲まれた区画を完全封鎖した。
アシュロン全市民の外出禁止を禁ずる。
アシュロンから移動する者は、即刻、攻撃破壊する。
南北五十一と東西一大通りの交差点でバイオテロ発生。
南北五十と五十二、東西一と二の大通りで囲まれた区画を完全封鎖した。
アシュロン全市民の外出禁止を禁ずる。
アシュロンから移動する者は、即刻、攻撃破壊する』
「命令を発した」
外出禁止命令を発すると同時に、クラリスが緊急事態を伝える。
「封鎖区画外で移動車両発生。車両は飛行している。数は三・・・」
3D映像がアシュロンの南西区域上空に変った。三機の飛行車両(一般走行エアーヴィークル)が、アシュロンから北西へ五百キロメートル離れたニューアシュロンの方向へ飛行している。
「警告して、無視したら破壊しろ」とカール。
「了解」
『移動中の全車両に警告する・・・。
ただちに自宅へ戻れ。ただちに自宅に戻れ・・・。
命令を無視すると破壊する。
ただちに自宅へ戻れ。ただちに自宅に戻れ・・・。
命令を無視すると、破壊する・・・』
『・・・』
『命令無視と判断した。破壊する!』
クラリスの警告とともに、3D映像に現れている飛行車両にレーザーパルスが降りそそぎ、飛行車両は壊滅した。情報収集衛星防衛システムからの攻撃だ。
「破壊完了」
『全市民に警告する。
命令は脅しではない。外出禁止命令を守れ。
命令は脅しではない。外出禁止命令を守れ』
「破壊実況を伝えて、警告を発したわ・・・」
そう言いながら、マリーの横でクラリスが悲嘆に暮れている。
マリーがクラリスを慰めるように言う。
「状況は了解した・・・。
クラリス。命令無視を壊滅しなければ、ヒューマの移動は止められない。
少数の命を救って、メガロポリス・アシュロンを壊滅させるわけにはゆかない」
「わかってる。こんな愚かな者たちのためにテレス帝国と戦ったかと思うと、嘆かわしい」
テレス帝国を壊滅してテレス連邦共和国を樹立したのは、こんなバカのヒューマためではない・・・。
「共和国市民は、コンバットとテレス帝国の戦闘がどんなだったか知らない。コンバットの命令など守る必要はないと気軽に考えてるんだ・・・」
バカなヒューマばかりだとマリーは思った。そう考えているのはカールも同じだった。
「感染者の隔離は進んでるか?」
カールが封鎖現場状況をクラリスに確認した。
「完全隔離してる」
3D映像が封鎖現場に戻った。封鎖された大通りにCBCDの隔離施設が設置され、被害者を処置している。
「責任者を回線に出してくれ・・・」
カールの指示で、3D映像が3D映像コンバット通信回線に変った。
カールは3D映像に現れた感染防護服の一人、CBCDの現場責任者、エミリー・ブラウン大尉に訊いた。
「エミリー。原因はなんだ?」
「すでにデータは収集した。もうすぐクラリスの分析結果が出る。そっちで見てくれ。
惑星カプラムに生息していた原種のウィルスではない事を祈りたい」
エミリー・ブラウン大尉が、中佐のカールに向ってぞんざいにそう言った。
カールはエミリー・ブラウン大尉の態度を不審に思った。
「どういうことだ?」
「カプラムに生息していた原種のウィルスなら、ディノス(ディノサウロイド)は無害だが、ヒューマ(ヒューマンの子孫)には大敵だ。感染速度が速く感染力が強い。ヒューマの遺伝子構造がディノスと異なるため、ヒューマは抗体ができにくい・・・」
「抗体ができる可能性はないのか?」とカール。
なぜ、エミリーはこんな予想をできる?CBCDの現場責任者だけで、ここまで予想できたのか?それとも、かつて惑星カプラムに生息していた原種ウィルスがバイオテロに使われる事を予想していたのか?
「ヒューマに抗体ができる可能性は〇パーセントに近い。
今は、感染者と感染箇所を焼却消去するだけだ。大変な作業だぞ。
これから被害者を処理して、感染箇所を焼却消去する」とエミリー・ブラウン大尉。
「感染者と感染箇所の識別は可能か?」
マリーがエミリー・ブラウン大尉に訊いた。不可能なら感染を防止する手だてはない。
「ウィルスが変異しない限り可能だ。
感染箇所はクラリスの探査ビームで黄色蛍光を発する。こんな具合だ」
エミリー・ブラウン大尉は、感染箇所を焼却処理している3D映像の隅に記録画像を表示した。死亡したオルソン・チャンの全身が黄色蛍光を発している。
「オルソン・チャンの足跡は歩道の一部から始っていた。
空輸の目撃はない。生存しているウィルス感染被害者は、オルソン・チャンが突然歩道に現れた、と言ってる。スキップだろう」
「今、オルソン・チャンが、何処から現れたか探査してる。
エミリー。大変だろうが、ウィルスの焼却処理を続けてくれ」
「了解した。マリー」
エミリーは3D映像コンバット通信回線を閉じた。
3D映像が封鎖現場に戻った。
なんとしても、オルソン・チャンをスキップさせた者とウィルスを、消滅させねばならない。おそらくテレス帝国軍の残党の画策だろう。
マリーはクラリスに訊いた。
「クラリス。オルソン・チャンは何処からスキップした?
ここの波動残渣が消去されてるなら、スキップ元を推定して4D探査してくれ!」
「探査してる・・・。
テスロン共和国テスログラン軍事基地からスキップした」
マリーは一瞬驚いたが、少なからず懸念していたことだった。
テレス連邦共和国軍警察総司令官と、ユング共和国に駐留するテレス連邦共和国軍警察の総司令官はマリー・ゴールド大佐だ。治安維持のため各共和国に、テレス連邦共和国軍警察重武装戦闘員・コンバットが駐留している。
フローラ星系惑星ユングのユング共和国に駐留するテレス連邦共和国軍警察重武装戦闘員・コンバットの総司令部は、ダナル大陸ダナル州のフォースバレーキャンプにある。
テレス連邦共和国軍テスログラン基地は、惑星テスロンのテスロン共和国首都テスログランの西百キロメートルにある。
テスログラン基地にはテレス連邦共和国軍のテスロン共和国本部とテスログラン軍事基地と、テレス連邦共和国軍警察重武装戦闘員・コンバットのテスログランキャンプがあり、キャンプ内に、テスロン共和国に駐留するテレス連邦共和国軍警察重武装戦闘員・コンバットの総司令部がある。
テスロン共和国の治安維持は、マリー・ゴールド大佐の指揮下だ。
「ニールス・ランド少佐たちの潜伏先もテスログラン軍事基地だったのか?
フォクスレイ中将がここに連絡したのか?」
カールがクラリスに訊いた。カールは、テレス帝国軍の残党の味とを知ろうとしている。
クラリスがカールに答える。
「オルソン・チャンがテスログラン軍事基地からスキップした波動残渣は残ってた。
ランド少佐たちの潜伏先と、フォクスレイ中将の連絡先は波動残渣が消滅していたため判別できなかった」
「波動残渣の消去はクラリスしかできない。テレス帝国軍の残党は、クラリスに匹敵する技術を持ってるのか?」
マリーはクラリスに匹敵する存在を懸念した。クラリスに対抗できる存在がいるなら、それは何だ?そんな存在は何処にいる?
「それは考えられないわ。私は地球国家連邦共和国(オリオン国家連邦共和国)のPD(PDガヴィオン)ともシンクロしてる。我々は、唯一無二の存在よ」
クラリスはマリーを見つめて微笑んでいる。
「波動残渣が消えたんだ。テレス帝国軍の残党にそんな事ができるとは思えない。
今回のバイオテロを抑えても、ウィルス感染者を送りこんだ者と施設を壊滅させない限り、アシュロンだけでなくユング共和国が壊滅する。
クラリス。アントンと至急連絡を取ってくれ」
マリーは波動残渣が消えたことに、バイオテロ以上の脅威を感じていた。
「了解」
ただちに、クラリスはテレス連邦共和国議会対策評議会評議委員長アントニオ・バルデス・ドレッド・ミラーに緊急連絡して事件を報告した。
まもなく、ソファーに座るアントニオ評議委員長の3D映像がオフィスに現れた。
「事件の概要はクラリスから聞いた。
至急、テスログランキャンプ総司令官に、オルソン・チャンがテスログラン軍事基地からスキップした経緯を調べさせる。
調査3D映像を同時進行でマリーに送る」
惑星テスロンのテスロン共和国に駐留する、テレス連邦共和国軍警察重武装戦闘員・コンバット総司令部は、テレス連邦共和国軍テスログラン基地内のテスログランキャンプにあり、総司令官はテスログランキャンプの総司令官、ジム・ヤング中佐だ。
アントニオ評議委員長が話し終えるとクラリスが伝える。
「ウィルスの分析結果が出たわ。
惑星カプラムに生息していた原種ウィルス・カプコンドリアよ。
感染速度が速くて感染力が強い。ヒューマは抗体ができにくい。エミリーが話したように、ディノサウロイドには無害だがヒューマには大敵だわ」
納得いかない表情でアントニオ評議委員長が言う。
「抗体ができる可能性はないのか?」
「従来のヒューマに可能性はないわ。
現在の対処法は感染箇所を完全焼却することだけです」とクラリス。
「従来のヒューマでなければ、抗体ができるのか?」
マリーはカプラム(惑星カプラムの、人類の子孫)を思った。カプラムの多くがヒューマのニュカム(ミュータント)に匹敵する。
「可能性はあるわ」とクラリス。
「カプラムは従来のヒューマと異なり、ヒューマのニュカムと言える。とくに、ジョー・ドレッド・ミラ(ドレッド・ジョー)と妻のキティー・ミルカ・ミラーは特別なニュカムだ・・・」
カールはジョーの能力を思いだした。
アントニオ評議委員長が言う。
「テレス帝国軍はカプラムのレプリカン(クローン)だった。カプラムはヒューマのニュカムと考える方が妥当だろう・・・。
そう考えれば、オルソン・チャンは、スキップされたのではなく、バイオテロのため、ウィルス・カプコンドリアの保菌者としてみずからスキップしたのだろう。
スキップでオルソン・チャンの抗体は破損し、カプコンドリアが発症した・・・」
「フォクスレイのクラッシュ事件と今回のバイオテロは、テレス帝国軍の残党が絡んでる。
テロの目的は、フォクスレイが言ったように、ウィスカー・オラールが考えていたテレス帝国軍による政権樹立だと思うか?」
マリーはアントニオ評議委員長に、アレックス・フォクスレイ中将と、故人のテレス帝国軍総司令官ウィスカー・オラール元帥の関係を訊いた。
「そう思う。
テレス帝国のディノスとテレス帝国軍は壊滅した。
なぜ、レプリカンが居るのか、私にはわからない」
アントニオ評議委員長は思案にくれている。
マリーはアレックス・フォクスレイ中将の言葉とCBCDの現場責任者エミリー・ブラウン大尉の言葉が気になった。
フォクスレイ中将は、なぜ、オラール元帥の考えを知っていた?エミリーは、なぜ、ウィルスが惑星カプラムに生息していた原種と推測した?
テレス帝国軍の残党の壊滅とウィルス・カプコンドリアを壊滅するようプログラムしたヒッグス粒子弾を使えば、事は一回で収束する・・・。なぜ、クラリスはその事を話さない?私に決断しろと言うのだろうか?
テレス帝国を壊滅する際も、ヒッグス粒子弾の使用は、『このままでは戦況が困窮してヒューマの被害者が出る』とわかってからだ。なぜ、最初からヒッグス粒子弾を使わなかったのだろう?
「マリー。マリーは支配者ではありません。管理者です。そして、ヒッグス粒子弾は私の分身とも言える兵器で、私の所有物です。マリーがマリーの兵器と能力を最大限に活かして、それても解決できない場合にヒッグス粒子弾を使うよう、私が決断していたのです。
それが電脳宇宙意識としての私とニューロイドのマリーが、あの存在から課せられた使命なのですよ」
クラリスはそう言って優しく微笑んでいる。
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