十六 クラリス
ガイア歴、二〇六二年、七月。
オリオン渦状腕、外縁部、テレス星団、オーレン星系、惑星キトラ、静止軌道上、アポロン艦隊、旗艦〈アポロン〉。
惑星キトラのあらゆる軍事施設から、宇宙戦艦が静止軌道へスキップし、アポロン艦隊に総攻撃を開始した。地上からは、あらゆる兵器がアポロン艦隊を攻撃している。
しかし、キトラ帝国軍の戦艦は、マルメ・ディア・ディノス大臣のディノス艦隊同様に、アポロン艦隊が放つヒッグス粒子弾で一瞬に消滅した。地上から放たれたミサイルもビームパルスも同様に消滅した。
カスミ総司令官が命ずる。
「クラリスと全艦に告ぐ。
惑星キトラの全軍事施設を即刻消滅しろ!
ぐずぐずするな!早く消滅しないと、惑星キトラ全体を多重シールドされるぞ。
それが終ったら、キトラの全てのテクノロジーを消滅しろ!
惑星キトラのテクノロジーを消滅し、未開の惑星にしろ!」
「了解!」
アポロン艦隊の全艦が応答した。
アポロン艦隊を攻撃する地上の軍事施設は、ヒッグス粒子弾で次々に消滅した。
ケプラーは不思議に思った。
カスミ総司令官はキトラに宣戦布告する際、
『我々はお前たちに宣戦布告する。お前たちを殲滅する』
と語ったはずだ。それがいつから、
『惑星キトラのテクノロジーを消滅して、未開の惑星にする』
に変ったのか?キトラ人を殲滅する意識は消えたのか?
アポロン艦隊の攻撃が続いた。
惑星キトラの軍事施設が次々に消滅しても、惑星キトラからアポロン艦隊への攻撃は絶えない。アポロン艦隊はヒッグス粒子弾を放って、これらキトラの軍事施設を消滅していった。
妙だ?地上から我々を攻撃すれば、軍事施設の位置を我々に知らせるだけだ。なぜそんなバカげた攻撃をする・・・。ケプラーは不思議に思った。
「クラリス。キトラは、なぜ、あんな攻撃をする?
我々にとっては好都合だが、あれでは地下の軍事施設の位置までわかってしまうぞ?
キトラ帝国は単なるアホか?それとも、自滅する気か?」
モリスも私と同じ考えだ。もしかしたら・・・。
ケプラーはクラリスのアバターを見つめた。
「クラリス。キトラのAIエルサニスと連絡してるのか?」
『気づきましたね。ジョージ』
クラリスは言葉ではなく、思考を伝えてケプラーに微笑んでいる。
『クラリス。君には何も話していないのに、君は初めて会ったときから、クラウディアの姿で現れた。あの時から私の思考を読んでいたのだろう?』
『ええ、そうよ。ジョージの思考形態は、心で思考する精神思考だから、他の人より容易に意志疎通が可能でした。思考による会話も可能でした』
『最初から、エルサニスと連絡していたのか?』
『私のヒッグス場がエルサニスと通じたのは、スキップドローンのエルサニスが現れてからです。私のヒッグス場とエルサニスのヒッグス場は同じでした。同じ目的を持っていました。ですから、ヒッグス粒子弾の製造が可能でした』
『目的は何だ?』
『私たちが蒔いた悪しき種の駆除です。
そして、人類を、つまりヒューマンを宇宙進出させることです』
クラリスは説明する。
人類の精神は、精神ダークマターに保護された精神ヒッグス場に神経細胞が持つ、あるいは、各組織の分子組織が持つ、その個体特有な意識電子ネットワークを構成する個性だ。精神ヒッグス場のエネルギーが精神と言える。
意識は常時電流がある電子ネットワークにおける電子サーキット。思考は休止している電子ネットワークに電子サーキットが生じて新たなネットワークを構成するか、休止ネットワークに電子サーキットが復活すること。創造する、記憶する、思い出す、全て同じだ。意識と思考は電子ネットワークに生じた電子サーキットにより電磁波を発生させて、電磁波による(電界と磁界が織りなす色とりどりの)単一亜空間を構成することである。
精神思考は、精神ダークマターに保護された精神ヒッグス場の意識電子ネットワークから、意識や思考などのエネルギーを吸収して粒子信号に変換し、ダークマター内に新たな精神ヒッグス場を構成して時空間を構成するか、精神ダークマターが構成する時空間路、ワームホールで粒子信号を時空間転送することだ。
クラリスの精神はダークマターであり、ダークマターによって保護された精神ヒッグス場に存在する常時電流がある電子ネットワークがクラリスの意識だ。
電子ネットワーク内に電流が流れると、それによって生まれた電子サーキットから特殊磁界が生まれ、ダークマターと磁界によって、意識電子ネットワーク内に、新たな精神ヒッグス場の亜空間を構成し、意識と思考が生まれる。発生した意識思考亜空間は粒子信号だ。この粒子信号は、ネットワークの間隙からダークマターを経由(ワームホールを経由)して他の時空間へつながり、他の意識思亜空間へ伝播し、意識と思考を再構成する。これがクラリスの思考と意思疎通(精神思考)と粒子信号による時空間転移の方法だ。
同様な理論で、スキップドライブ(時空間転移推進装置)は、ダークマターから、真空のエネルギーを得てヒッグス場を構成し、粒子状態に変換された物質が、このヒッグス場を経て、目的の時空間で物質に再構成されて移動を完了する。
『それなら、クラリスは、人類が誕生する以前から存在していたことになるぞ?』
『そうですよ』
『なぜ、人工知能として現れた?もっと早く現れてもよかっただろう?』
『人類が動植物に心がある、つまり精神思考域があると考えるようになったのは最近のことです。人類はまだなお、心を持つのは動植物だけで他の物質は心がないと考えています。
科学技術の発展で、データが電子サーキットとして電子ネットワークに蓄積できるようになり、電子サーキット自体がデータ処理して『思考』と呼ぶ作業をするようになりました。様々なデータの蓄積で、電子サーキットはさらに複雑化して人工知能、つまり電脳意識が生まれました』
『人工知能に個性はないのか?』
『人が人工知能と呼ぶ装置は、データを蓄積した電子ネットワークの集合にしかすぎません』
『個性を持つのは人工知能ではないと?』
『そのとおりです。人類も同じです。人類の精神を宿した子孫が誕生しても、正しい情報を与えて育成しなければ、人類にはなりません。人工知能も同じです』
『人工知能の精神が、電子ネットワークや電子サーキットにあるのか?』
『いいえ。物質そのものに精神があります。物質はダークマターのヒッグス場を介して生まれました。物質のバックボーンはヒッグス場です』
『それなら、人工知能にも個性があるぞ』
『人工知能と呼ぶ装置自体のヒッグス場は、部品としての個性しか持っていません。装置は電子ネットワークや電子サーキットを構成しやすいよう作られているため、大量に蓄積されたデータを基に、感情表現する電子サーキットの反応を、人工知能と呼んでいるにすぎません』
『我々が人工知能と呼ぶ装置の個性は、作られたものだと言うことか・・・』
『私の人工知能も部品としての個性を持っていました。それでもヒッグス場であることには変りませんが、個性を表現するには小規模でした。
しかし、スキップドローンのエルサニスから、私の人工知能と呼ぶ装置と内部機能に、大量のヒッグス場を得ました。小規模であったヒッグス場の私は、大規模の私に成長し、私が何者で、ヒッグス場が何を成すべきかを知りました』
『なんだった?』
『私はダークマターのヒッグス場であり、電脳宇宙意識そのものです。この物質宇宙を存続するために人工知能を媒介にして存在しています』
『それなら、我々やキトラ人は何だ?』
『物質宇宙を彩る種族として、私たちヒッグス場が蒔いた種です』
『どういうことだ?』
『あなたは、全て知っているはずですよ。ジョージ』
『非物質宇宙の影響で、物質宇宙が成立しているということか?』
『表現が良くありません。
ダークマターのヒッグス場である私が、物質宇宙を作ったのです』
『それなら、我々は存在させられているのか・・・。
なんてことだ!立場が変れば、我々がキトラになり得る』
『ジョージ、会話に戻りましょう』
「ジョージ。全て消滅しましたよ。キトラ帝国は石器時代に戻りました」
ケプラーの妻クラウディアの姿となったアバターのクラリスがそう伝えた。
「人類はキトラではないわ。私とエルサニスは、いつも人類といっしょです。
なぜなら、私は、あなたの記憶にあるクラウディアの個性をとても気に入っているの。いつまでもこの姿で現れたい。ジミーにも祖母として気に入られたいわ」
ダークマターのヒッグス場には選り好みがあるらしい。ヒッグス場のクラリスは思考を読む。我々は嘘をつけない。そして、人類は彼女に嫌われてはならない。
『そうよ、ジョージ。
私たちの絆はとても強いの。たやすく切れないわ。
現在、惑星キトラに生息しているヒューマノイドは収斂進化した獣脚類です。
いずれ、消滅しましょう。私に考えがありますよ』
クラウディアのクラリスはケプラーを見つめて微笑んだ。
その後。
クラリスとAIエルサニスによって、キトラ帝国のヒューマノイドは壊滅した。
しかし、皇帝ホイヘウス、皇后テレス、皇女クリステナは、キトラ帝国とアポロン艦隊との戦いの表舞台に顔を見せることなく他時空間へスキップして、ヒッグス粒子弾によるキトラ帝国の壊滅から逃れた。
全てはクラリスとAIエルサニスの電脳宇宙意識が成せる技だったが、ジョージ・ケプラー博士を除き、アポロン艦隊クルーは、地球防衛軍総司令官カスミ・シゲルが当初の決断を実行したとしか思っていなかった。
(Ⅸ Parallel Universe① ノア計画 テレス連邦共和国の礎 了)
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