八 優性保護財団

 二〇五六年、六月十二日、月曜。

 野心家の研究者は新発見を真っ先に発表し、その道の先駆者として、社会的地位と名声と莫大な利益を得ようとする。オイラー・ホイヘンスはローラの原形復帰を主張したが、多くの理事が反対を主張して、DNAの再分析だけが許可された。

 ローラの随所から採取された細胞のDNAが解析されて、ローラは三十代と判断された。


 六月二十六日、月曜。

 統合政府は、恒例の国際古生物学会でアジア古生物学会のオイラー・ホイヘンスがローラに関する詳しい研究発表をすると公表した。

 国際古生物学会の学術会議と研究発表は、七月三日、月曜に帝都国際会議場で行われる。研究発表は内容により細分化されて、それぞれの会場で発表される。


 七月三日、月曜、十時。

 宏治と大隅教授は、帝都中央地区学術研究区、域帝都国際会議場の大会場で、オイラー・ホイヘンスの研究発表を聞いた。見た目が十代のローラの体組織は、局所的に三十代の組織へ変化していて、プロジェリア症候群(早老症疾患)の過渡期だとホイヘンスは論じた。


「ホイヘンスに会ってみよう」

 会場からロビーへでた教授は、発表者の控え室へ歩いた。

 教授に従う宏治に、控え室の前に居る、ホイヘンスの支持者たちが見えた。

「父さん!」

 宏治は教授の腕を掴んだ。

「ラビシャンか・・・。ホイヘンスを調べると言ったのに妙だな」

 教授は、研究発表を聞き飽きた者たちが何人も座っているプランターの観葉植物に囲まれたソファーに座った。ここは、控え室の前に居る、ホイヘンスの支持者たちからは見えない。

 観葉植物の葉陰から見ると、ラビシャンは控え室の前に集まった学者たちと親しく話していた。アジア古生物研究所で会ったラビシャンとは別人のように饒舌だ。


「あそこに居る者同士、知り合いみたいだ」

 宏治は観葉植物の葉陰からラビシャンの周囲を見た。

「もうすぐホイヘンスが出てくる。外へ行こう」

 教授は観葉植物を背にして立った。ラビシャンから見えないように急いで歩き始めた。

「ラビシャンはホイヘンスと面識がないように言っていたがあれは嘘だ。

 我々の考えは全て見抜かれてる」

 教授は苛立ちを隠せない。


「あの光も?」

 宏治は教授とともに歩く。

「そうだ。我々の通信は全て盗聴されて解読されてる。

 ユリに事実を伝えてくれ。私もかほりに伝える」

「わかった」

 その時、会場から大きな拍手が聞えた。

 会場の扉が開いて人々が出てきた。ホイヘンスが優性保護財団の総裁に就任したと語っている。

「大変だ。急いで帰ろう」

 教授は前方を見たまま、抑えた声でそう言った。歩調がさらに早まっている。



「あの財団は・・・」

 会場を出ると教授は小声で話した。


 二十一世紀初頭、ヒトゲノムDNAが解読されると、民間企業は遺伝子を解読して特許を独占しようとした。

 連邦統合政府は、全人類がヒトゲノム遺伝子の解読結果を共有するために、保健省に優性保護局を設立してヒトゲノムの遺伝子完全解読計画を実行させた。

 優性保護局は、ゲノム遺伝子解読専門機関として優性保護財団を設立して、ゲノム遺伝子解読を開始した。

 優性保護財団に対抗し、いち早く多国籍企業オーガニックバイオ社がゲノム遺伝子を完全解読しそうになると、連邦統合政府は民主主義の理念に基づいて、ヒトゲノムに限らず遺伝子によるあらゆる技術を全人類共通の資産として扱い、ヒトゲノムの遺伝子情報は厳然たる事実であり、全人類のものであるとし、


 遺伝子情報も含め、個人情報を完全に個人所有化した

「情報保護法」

 に基づいて、

「遺伝情報保護法」により、個人が遺伝情報によって侵害されるのを防ぐ事、

「有機組織移植法」により、臓器培養と移植を規制する事、

 を制定して、

 ヒトゲノム遺伝子解読結果の完全公表、

 全人類によるヒトゲノム遺伝子解読情報の共有、

 ヒトゲノム遺伝子解読結果による病理的特許所有の禁止、

 ヒトゲノム遺伝子解読結果による個人遺伝情報の、

 非個人所有禁止、

 企業所有禁止、

 組織所有禁止、

 団体所有禁止、

 を法制化した。

 さらに臓器培養と移植の規制を定めて、優性保護局を通じて民間企業と法人の遺伝子に関する特許権を全て剥奪し、新たな特許申請を全て却下した。



「しかし、これらはザル法だ・・・」

 教授は声が聞えないほどの小声になった。

「劣悪な遺伝因子を持つと判断された者は暗黙裡に差別された。自己の遺伝因子が劣悪だと知った資本家は財力に物を言わせて、自分の臓器を優良な臓器と交換したいと願った」

「法を守るための優性保護局だろう?」

 宏治も前を見たまま囁いた。

「確かに法を守るための優性保護局だ。優性保護局を技術的にバックアップする立場の優性保護財団だが、優性保護財団の実体は他のドナー募集団体と変らない。優性保護局の下部組織なため、他の団体にくらべ、活動に制限がない」

「自由に行動できるのか?」

「そうだ」

 そう言って教授は沈黙した。無理はない。あらゆる所に監視システムがある。人の全ての言動が監視されている。

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