十八 入院 その二

 二〇二八年、五月二十日、土曜、午前。

 検査結果がでた。母はまだ病室に来ていない。高田は検査結果を見ながらいう。

「牡蠣の蛋白質の他に小麦蛋白質のアレルギーがある。国産小麦は問題ないが、輸入小麦にアレルギー反応を起こす物がある。小麦製品を食べる時は、国産小麦を指定して食べてくれ」

 遺伝子組換え小麦か、それに近い改良種はアレルゲンだ、と高田の思考が伝わってくる。

「わかった」

 この時代、正式にはまだ遺伝組換え小麦は消費者の元に届いていないと省吾に記憶が現れた。


「CT画像で、頚椎の突起部骨折の痕跡と腰椎変形があるのがわかった。

 首と腰を怪我した事はないか?」

 ラグビーのような過激なスポーツをしていたはずだと高田はいう。

「憶えがない。支障があるのか?」

「頸椎の突起が骨折してそのまま治癒してる。腕か胸筋の動きが鈍る可能性がある。足と脚もだ。異常を感じたらすぐ来てくれ」

 軽い記憶喪失が見られる。高田はそうカルテに記入している。

「わかった。他には?」


「骨折が多かったんだな。

 右の鎖骨、左脇腹下部の肋骨、左肘、両手の親指と右手中指に骨折の跡がある。

 肩は左右とも脱臼しやすいから肩の筋力アップをしろ。

 腰椎が変形してる。

 腹筋と背筋と体幹筋の筋力をつけて腰椎の動きを変形からカバーするしかないな。

 右膝は半月板損傷と靱帯損傷の痕跡。

 右大腿内転筋の一部に断裂の痕跡がある。

 高校時代、ラグビーをやってたのか?」

 かなり無茶してたんだろうと高田は思った。


「いや、やってない。怪我した記憶はない。頭はどうだった?」

「異常なしだ。ソファーベッドから落ちて床で頭を打ったといったが、その痕跡はないよ。

 軽い記憶喪失を起こしているようだが、いたって健康な脳だ。

 今後、怪我したら必ず病院に来るんだぞ」

 これだけの骨折や怪我を記憶してないのか。やっぱり記憶喪失だ・・・。高田は再度、カルテに記入した。


「わかった。先生」

「自律神経系が弱っているようだ。頚椎と関係するかは不明だ。

 規則的な生活をするんだ。午前〇時から午前二時の間は確実に眠る事。

 朝日を浴びる事。

 喫煙はしなかったな。

 酒は禁止といいたいが、まあ、食前の缶ビール一本くらいはいいだろう」

 高田は許可事項にそれらを記入した。

「了解した。飲んでも缶ビール一本にしておく」

「その方がいい・・・」

 高田はそういってカルテから顔を上げて省吾を見た。


「大蒜を食えるか?」

「昔は食えたが、今は好きじゃないな」

「食うと、二日酔いに似た状態になるのか?」

「そのとおりだ」

「やはりな。アリシンのアレルギーだ・・・。まるでバンパイヤだな・・・」

「何だって?」

「あっはっはっ、冗談だよ。こういう構造式だ」

 高田はメモにアリシンの構造式を書いた。


「将来、似た分子構造の化合物にアレルギー反応する可能性がある。

 体調に異変があったら、何を食べたか、何を飲んだか、記録するといい。

 他のアレルゲンは家庭薬と化学調味料だ」

 こちらも構造式を書いている。


 思いだした。俺は非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)にアレルギー症状を起こした。だが、そうなるのは三十年後のはずだ。

『もしかして、ここに来る前の俺は五十代か・・・』

『四十代だよ。私は三十代・・・』

 と理恵が精神空間思考を伝えてきた。

『四十代の俺はどこにいたのだろう・・・』 


「検査結果と注意事項は以上だ。何か訊きたい事はないか?」

「今はないな・・・」

「話を変えるぞ・・・。

 平行宇宙論の基本概念は、同一構成要素からなる時空間だ。

 田村が説明したように、平行時空間を移動しても、それらの平行時空間が変らずに存在するなら、平行時空間自体を構成する人と物質に変化がない事を意味すると思う。

 つまり・・・」

 一つの時空間に存在する物質が、平行時空間を転移して、時空間転移体になっても、連続体としての時空間に変化がないなら、平行時空間に存在する「私」は、みな同じ特徴を持つ時空間連続体の「私」であり、時空間を転移するのは、意識を包含した身体ではなく、身体を離れた意識、時空間転移意識というべきだ。

 そして、同一構成要素からなる時空間は、同一点へ収束する。つまり、平行時空間は同一の未来になる、と高田は説明する。


「なるほどね」

 省吾は高田の考えに納得した。やはり、高田は、他の平行時空間から転移した高田の時空間転移意識の可能性が高い・・・。

「実は、歳に不相応な医学知識と記憶が多いんだ。

 大学病院勤務の時、妙な夢を見て、田村みたいに、仮眠ベッドから床に落ちた。

 それ以来、何度も同じ夢を見る。そのたびにそれまでなかった医学的知識と記憶が現れる。両親の記憶も、現実とはちがう」

 高田が省吾のベッドの隅を見つめた。思いは他の空間の記憶へむけられている。内容は読みとれない・・・。

「どんな夢だ?」


「帝都大学の生体高分子研究所で、移植臓器を細胞単位から組織培養してる夢だ。倫理に反するので、培養装置を破壊したら爆発して吹き飛ばされて、床に落ちて目が覚めた。そしたら、この世界にいた・・・。

 どう思う?」

「それで、意識が時空間転移したと考えたのか?」

「そうだ。田村が、研究室のソファーベッドから落ちて以来、記憶がはっきりしないと話したから、僕も話す気になった・・・。

 近いうちに、生体高分子研究所の組織培養室を訪ねてみようと思う。医学部時代の知りあいがいる。培養装置の近くまで行けば、何か思いだすかもしれないと思う。

 田村も身の周りで何か気づいた事があったら、知らせてくれ。僕も連絡する」

 高田は、省吾も高田と同じ時空間転移意識だと考えている。


『省ちゃんの事、それ以上、話しちゃだめ。話を合せてね・・・』

『わかった。合せる・・・』


「了解した・・・。倫理に反するって、人体クローンか?」

「ああ、そうだ」

「研究員の横山は、何してた?」

 省吾は思いついてそういった。高田は夢に登場する人物を省吾に話していない。

「横山讓は、生体高分子研究所の主任教授だった。僕は組織培養チームのリーダーだ。彼は僕より年上だ。ただし夢でだぞ・・・。

 さて、名残惜しいが、予定より一日早く、明日、退院だ。

 明日の午前十時以降なら、いつ退院してもいいよ」

 高田は、省吾から横山の名がでても驚かず、省吾が知っていて当然との表情だ。

 こんな事はあり得ないと省吾は思った。高田は理恵の兄と面識がない。高田は夢の内容が他時空間の出来事と気づいている。その時空間は未来で、そこに省吾も横山譲もいた。明らかに高田は時空間転移意識だ。しかも、省吾が時空間転移意識で、同じ立場にあると考えている。


『省ちゃん、それ以上は話しちゃだめだよ。気をつけてね・・・』

『わかった・・・』


「了解した。蛋白質と薬に気をつける。口にしたら体調がどう変化するか観察する」

「実験と思って気楽に観察するんだ。あまり過敏になるな。何かあってもすぐには死なないさ」

 高田は思いだしたように笑っている。

「そうだな」

 省吾は他時空間でアレルギー物質を経験ずみだ。高田も他時空間で薬物アレルギーや遺伝子組換え蛋白質の影響を確認していたにちがいない。


「注意する事は以上だ。

 明日、僕は休みだから、患者としての田村と話すのは、今日だけだ。

 それでは、元気で。何かあったら連絡してくれ」

 高田は省吾におじぎした。

「いろいろありがとう。俺も、今まで知らなかった事に気づかされたよ」

「お互い様さ」

 高田は笑いながら病室からでていった。


 高田が話した夢の内容は、理恵の説明、

『人類支配をもくろむクラリックの次席アーク・ルキエフの一派が、精神共棲による人類支配だけでなく、人体クローンや移植用クローン組織を造って人類支配を画策している』

 と合致している。

 俺たちが他時空間から避難させられたのだから、他時空間のクラリックは消滅していない・・・。同一構成要素からなる時空間は同一点へ収束するならクラリックはここに現れる・・・。

 もしかして、一昨日、ここの真上に来た偵察艦はクラリックか?そうなら大変だ・・・。


『だいじょうぶ。他時空間の私たちが、人類支配をもくろむクラリックを阻止する・・・』

『他時空間にも、我々がいるのか・・・』

『そうだよ・・・』

 同一構成要素からなる時空間は同一点へ収束する。他時空間の俺たちがクラリックと戦っているなら、俺たちもクラリックと戦うのか・・・。

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