十九 母は何者?

 二〇二八年、五月二十一日、日曜、曇り。

 午後。

 省吾が自宅に着いた。省吾の母は着換えのために別荘へもどった。

「ただいま!」

「お帰り!」

 理恵が抱きつこうとした。

「待って!」

 省吾はあわてて洗面所へ行って、上着とズボンを脱いで洗濯機に入れ、下着姿のまま手洗いと嗽と洗面をして、理恵が準備した室内着に着換えた。


「お帰り!」

 理恵が省吾に抱きついた。

「ただいま!」

 省吾は理恵を思いきり抱きしめようとして、妊娠しているのを思いだし、

「心配かけて、すまない・・・」

 背中へ腕をまわして理恵を胸から抱きしめた。省吾は理恵の匂いに包まれた。

「お母さん、いろいろありがとう」

 理恵を抱きしめたまま、居間にいる母幸恵に礼をいった。

「病気じゃないから、安心してたのよ。

 担当医が高田先生だっていうし、京子さんもいるから」

 幸恵は、省吾の病室に高田京子が現れたと憶測している。

「高田京子は一度も病室に来なかったよ」

 省吾は理恵を抱きしめたまま幸恵を見た。

 単純思考の嫌みな中年女だ・・・。


 省吾の母が部屋に入ってきた。幸恵に、省吾の入院中は世話をかけたと礼を述べている。

 理恵が省吾の胸から顔を上げた。

「忘れてた!あなたが入院した日の夜、京子さんから連絡があったの。母さんがお風呂に入ってる時。あなたがアレルギーで心配ないからお見舞いには行かない。私を通じてよろしく伝えてほしいと。昔の事を気づかってるのよ。母さんたちに勘ぐられるのが嫌だから」

 中年女の心情を射る、厳しい一言を放った。

「すまない事をしたわ・・・。理恵の体調を気遣ってくれてるのに・・・」

 省吾と理恵に思いを読みとられたと思い、幸恵は言い訳がましい。


「理恵から、無事に退院したと連絡してもらえないか?」

 省吾は抱きしめている理恵の目を見た。

「高田から状況は聞いてるだろうが、理恵が連絡すれば喜ぶと思う」

「うん、連絡するね。大学にも、新垣さんと大槻さんと大家さんにも連絡しといた。あなたの事と、お腹の子供の事も。大槻さんと新垣さんが・・・」

 理恵は、理恵に代って省吾が英語の家庭教師を行う事を話し、省吾の負担が増えるのを気にしている。

「気にするな。元にもどっただけだ」

「うん」

 理恵が省吾を見あげる。

「これからは、二人で営業できない時もあるから、ノルマ達成が難しいと思うの。明日、バイリンガルへ退社手きして、ここを独立させるね」

『当初の予定どおり、営業ノルマのない個人事業所にするね』

『理恵の考えるとおりにしたらいい』


「お母さんたち、出産まで協力してね。出産後は耀子の世話をお願いします」と理惠。

「理恵と耀子をよろしく頼みます」

 初めての妊娠と出産に、母たちがいれば心強い。

「わかりました!まかせなさい。ところで、子どもは娘?耀子なの?」と母たち。

「うん、そういってるよ」

 理恵はお腹に手を触れた。

「そうなの!わかりました」

 幸恵は理恵のお腹に手を当てほほえんでいる。子どもが耀子だと信じている。

「ここが横山建設の販売部にならなくても、孫の世話は私たちがするから安心なさい。

 耀子、よろしくね~」

 母たちは座卓に向って座っている理恵のお腹にあいさつし、幸恵はお父さんに知らせるといって受話器を取った。


 幸恵は省吾と理恵を無視して、『横山・会話教材機器販売』を横山建設の一部門にし、理恵と省吾を社員にする気だ。これではバイリンガル社の立場が横山建設株式会社に代っただけだ。

「待って!」

 理恵が幸恵を止めた。

「どうしたの?」と幸恵。

「個人事業所で活動できなければ私たちの修業にならない。活動期間は短ければ三年だよ」

「そうです」と省吾。

「なら、そう話してみるわね」 

 幸恵は受話器を取った。四年後でも新事業と技術者が手に入るんだから・・・。

「ああ、さっちゃん、譲一郎さんをお願い・・・。いいわ、電話する」

 いったん電話を切ると幸恵は電話をかけなおした。

「譲二さん、幸恵です。突然ですまないけど、理恵の事務所を横山建設の販売部門にして欲しいの。その件で譲一郎さんに話すから、後の事はよろしくお願いね・・・。

 えっ?、そうなの・・・。

 じゃあ、譲一郎さんをお願いね・・・。

 ああ、あなた。理恵の事務所を横山建設の販売部にしてほしいの。子どもができたでしょう。理恵が跡継なんだから、横山の社員の方が何かと安心でしょう・・・。

 そうなの。理恵たちは個人事業所にする気なの・・・。

 ほんと!ありがとう!譲二さんと小百合さんによろしくいってね・・・。

 ああっ、譲二さん!ありがとうね!小百合さんに、よろしくいってちょうだいね。本当に、ありがとう」

 幸恵は受話器を置いて安堵している。


 すでに、父横山讓一郎と叔父横山譲二は、理恵に子どもができたと聞いて、理恵がこの事務所をどうするのが良いか話しあっていた。

「理恵が一人で営業してた時の経費と収入、事務所開設後の収入と支出、二人の収入、二人の要望を全て知らせてほしいそうよ。横山建設の販売部門にふさわしいか判断するらしいわ」

 理恵の営業成績の査定だ。身内に関わらず、かなり厳しい基準で判断するらしい。

「わかった。よろしくお願いします」と理惠。

「厳しくしたって気にしなくていいわ。あ~、これで一安心ね!」

 幸恵は理恵と省吾の考えなど気にしていない。母たちは、理恵の身体が心配だからしばらく別荘に滞在する、といって二人で別荘へもどった。


「明日、バイリンガルへ退社手続きするね」

 理恵はふたたび、退社手続きを口にした。何か気にしている。

「ああ、いいよ」

『母は私と子供を心配しているだけじゃないよ。何か目的があるみたいだよ・・・・』

『何ものだ?』

『ネオロイドじゃないよ。クラリックは精神共棲してない』

『ネオロイドって何?』

『ネオロイドはクラリックが意識内侵入した人間だよ』

『身近にネオロイドはいるか?』

『高田浩介は時空間転移意識でネオロイドだよ。あなたが高田と話している時にわかった。京子さんはアーマーのエージェントで高田を監視してる。安心していいわ。

 高田は私たちに気づいてない。省ちゃんも同じ立場だと思ってる』

『なんだって!それなら小田由美子は亮を監視してるのか?』

『そうかもしれない・・・』



 五月二十六日金曜、雨。

 昼食で自宅へもどると、叔父横山譲二から電話がきた。理恵は机にむかって電話にでた。事前連絡があったたため母たちも部屋にいる。

「送ってもらった資料を査定したよ。お世辞抜きで、理恵と『横山・会話教材機器販売』の実績は高く評価できる。問題なく販売部門として業務できる。

 いつもノルマ以上の営業成績だから、今後もノルマがあっても気にならんだろう」

 叔父はバイリンガル社と同条件で、理恵を横山建設株式会社、会話教材機器販売部部長に、省吾を副部長にすると提示した。

「ごめんね・・・。お母さんたちは、私と子どもの世話をするというけど、出産と育児や大学の授業や卒業実験で契約を取れない月がでてくる可能性があるわ。その時、ノルマで叔父さんたちから非難されたくないの。省ちゃんが土木建築工学科を卒業するまで三年間だから・・・」

 理恵は省吾のアレルギー症状も考慮している。

「そうだね。仕事に身内も他人もないからな。お父さんには私からうまく話しておくよ」

 叔父横山譲二は穏やかにそういった。

「ありがとう、感謝します。小百合母さんによろしくね」

 叔母の横山小百合は理恵の実母の妹だ。理恵は、理恵たちを思う叔母の思いをくんで、小百合母さんと呼んでいる。

「わかった。小百合も、理恵に会いたいといってた。今度そっちへ行くから会ってやってくれ」

「ほんと!うれしいな!待ってると伝えてね!」

「伝えるよ。省吾君とお母さんたちによろしくいってくれ」

「はい、わかりました」

 理恵は電話を切った。

「心配するな。これまでどおり営業するよ」

 省吾は理恵を椅子ごと抱きしめた。

「うん、あなたがいるから、安心してる」

 理恵が省吾の腰に手をまわした。

「私たちもいるのをお忘れなく!」

 母たちが省吾と理恵の会話に入ってきた。



 五月二十九日、月曜、曇り。

 理恵は五月二十八日付けでバイリンガル本社を退社し、『横山・会話教材機器販売』の所長になった。省吾はあいかわらず副所長だ。家族経営の個人事業所なので常勤とか非常勤の区別はない。

 何かきっかけを作って小田亮に会わねばならないと省吾は思った。亮が何者でどこから来たか探れば、俺と理惠の事がくわしくわかるかもしれない。理恵が知らないあの飛行体、偵察艦についても・・・。

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