十三 老婆心

 二〇二八年、三月二十二日、水曜。

 春休み初日。

 暖かだ。一雨ごとに春の気配が深まる。

 お昼前。

 理恵の母幸恵から電話が来た。別荘の契約が決まって安心したのと、田村運輸と横山建設の年度末もあり、年明けから母たちはこちらに来ていない。


「週末、そっちへ行くわ・・・」

 幸恵は、注文していた布団と家財道具が日曜に別荘にとどくという。電気と水道の手配は大家の木崎さんに依頼してある。

「はずかしいから、電話で訊くわね。それで、どうなの?」

「まだだよ」

「気にしたらいけないのよ。気楽にするの。どのくらいのペースでしてるの?」

「毎日だよ」

「えっ、多すぎない?」

「そうなの?」

「疲れるでしょう?」

「省ちゃんが後片づけしてくれるから、疲れないよ」

「ちゃんと、感じてるの?」

「感じてるよ」

「ほんとに?」

「ほんとだよ。いつも気持ちいいの。身体、拭いて着せてもらって、いつのまにか眠ってるの」

「下着も着せてもらうの?」

「うん」


「ははあ~、身体を動かさないんだね。たまには、うつ伏せに寝なさい。そうでなきゃ、後ろからしてもらうのよ」

 幸恵は女体の構造を話した。

「あまり激しくすると痛めるから、気をつけてね」


「優しく、ゆっくり動いてもらってる。だから、すっごくいいの。痛みはないよ。最初からそうだったよ。そうじゃないの?」

「そうなの・・・。良かったね。じゃあ、たまには後ろからしてもらうのよ」

「わかった。省ちゃんに代ろうか?」

「ええ」


「あなた、お母さんが話したいって」

 理恵が受話器を炬燵の上に置いた。省吾の横に移動して顔を突きだしている。理恵に唇を触れて受話器を取った。

「省吾です。元気ですか?」


「元気よ。ああ、あなたのお母さんも元気。理恵から聞いたの。老婆心だけど、たまには後ろからしてあげてね。構造上、その方が妊娠しやすいの。老婆心よねえ」

「はい」

 省吾の顔がいっきに熱くなる。凄まじい老婆心だ。答えるのに困ってしまう。常人の質問には思えない・・・。

「あの子、変ったわ。明るくなったし、優しくなった。あなたのおかげね。あなたたちがしてるみたいに、もっとたくさん抱きしめて、触れてあげればよかったわ。これからはそうする。孫たちができたら、いつもそうするわ・・・。

 あの、教えてほしいの。理恵にはいわないから、これまで何人とつきあったか、教えて」

 幸恵は、これから孫が何人も生まれるのを期待しながら、省吾がこれまで何人の女と関係を持ったか気にしている。

 老婆心どころか、異常だ。もしかしたら、夫に愛されていないのか・・・。いや、そんな事とはちがうようだ・・・。 

 そう思う省吾の横で理恵が聞いている。


 省吾は理恵の目を見ながらきっぱりいう。

「すべて理恵が初めてです。過去に関係を持った女はいません。

 ベッドの事を気にしてるんですね。理恵がどうしてほしいかわかるんですよ。どこが感じるとか、どうしてらいいとか。最初からなんです」

 理恵を見つめる省吾の顔がさらに熱くなった。

 理恵の頬が上気した赤みを帯びた。理恵の頬に手を触れた。熱い。理恵は困った顔で省吾の手を撫でている。

 記憶が無いので、誰と、どこまでのつきあいをしていたかわからない。だが、どうしてこんな事を母親に説明しなくちゃならない?理恵もそう思うだろう・・・。

 省吾がそう思うと、受話器を通して、なんとしても理恵に子供を生ませなければならない、と幸恵の思いが感じられる。孫がほしい単純な思いではない・・・。

 幸恵の中に、恒星の群れを感じる。無数の銀河からなる広大な宇宙・・・。

 これは何だ?


「私の事も、わかるの?」

 電話の幸恵の声がうわずっている。

「わかるのは理恵の事だけです」

 本当は幸恵の事もわかっていた。どこが感じるなどいえない。

「もしかしたら、お母さんが考えれば、わかるかも知れませんよ」

 ごまかすしかない。


「じゃあ、考えてみるわ・・・」

 幸恵から触れてほしい部分が伝わる。

「うーん・・・、左の耳と、手の中指と薬指と小指の間。あとは問題なので・・・」

「わっ、わかったわっ!ありがとうね。これからも理恵を可愛がってあげてね。でも、あまり、やりすぎちゃ、だめよ。新婚だから、しかたないけど」

 幸恵は自分たちの新婚時代を思いだしている。多い時は日に三度、朝昼夜だった・・・。

「わかりました。理恵に代ります」

 理恵に受話器を渡した。

「私、納得したわ。理恵、省吾さんを大切にするのよ。それじゃあ、またね」

 一方的に電話は切れた。


「お母さんに話した事、ほんとなの?」

 にらむように省吾を見たまま理恵が受話器を置いた。

「ああ、ほんとだ」

「他人の感情を感じるけど、考えてる事がわかるのは私だけじゃなかったの?」

 問いつめるように理恵が省吾を見つめている。

「理恵しかわからない。そういっても、お母さんは信用しない。理恵の感じる所を話しただけだ」

 理恵と幸恵は遺伝的繋がりはない。感覚が似ているのは不思議だと省吾は思った。

 もしかしたら幸恵は、俺が理恵の思いを感じとっているのを確認したのではないか・・・。そうなら、幸恵は、他人の感情を感じとる俺の能力に気づいて確かめた事になる。常人はそんな能力を信じないし関心を持たない。幸恵は何のために、俺の能力を確かめたのか・・・。


 理惠は省吾の説明で安心すると同時に太腿を擦り合せるようにしている。

「どうしよう。思いだして、感じてきちゃった」

「困ることないさ。新婚なんだから」

 理恵を抱きしめた。理恵がいつもとちがう。腕の中でふにゃふにゃになったような気がした。省吾にまとわりついてそのまま浸透してくるようだ。

「理恵・・・」

 理恵の目を見る。

「省吾・・・」

 理恵が省吾を見あげる。

「布団、敷く、準備して」

「わかったわ」

 理恵はドアと窓の施錠を確認してカーテンを閉めて、浴室へ行った。

 布団を敷いて浴室へ行くと、理恵はお湯を熱めにしてシャワーを浴びていた。

「来て・・・」

 衣類を脱いで浴室に入った。理恵が抱きついた。


 立原と馬谷が提案していた結婚の顔見せ食事会は、全員の都合が合わなくて実現しなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る