十六 マリオンの声
エコヴィークルは他のヴィークルの流れに続いてW通りから右の市道に入った。
理恵のヴィークルはエコタイプで白だ。一般的なヴィークルで、同じ型のヴィークルが何台もW通りを走っている。
家のポートの街宣ヴィークルの屋根に、W通りのヴィークルをスコープで監視する、短髪、詰襟の男が見えた。
『よそ見するな。そのまま前を見て、走れ』
「家を見ないで、前を見たまま運転するんだ」
街宣ヴィークルの男はこちらに気づかずにいる。理恵のヴィークルが移動するにつれ、街宣ヴィークルが家の陰になり、見えなくなった。
レーンはそのままN市の西側から、N市を周回するフリーウエイへ続く。
「どこへ行くの?」
スカウターが着信を知らせた。
『電源を切るのだぞ』
「待ってくれ・・・」
通信は木村からだった。省吾はスカウターの電源を切った。
タブレットパソコンは後部座席にある。
「パソコンを売った友人って、どんな人?」
「永嶋さんだ。いろんな事してる。パソコンの製作販売が主だ。
販売するパソコンは全て顧客のセコハンだ。彼がハードを改造して売ってる。パソコンに異変があればわかるはずだ。だから日記の機能は知らないと思う」
ヴィークルの前方を見たまま理恵が言う。
「その人、政治団体や右翼に関係してる?」
「政治に興味ないと言ってた」
「普通の人?」
「俺は普通と思ってる。元妻は、普通じゃないと言ってた・・・」
「そう・・・。あっ、水道工事だ」
前方で道路に水が噴き出し、係員がヴィークルを迂回路へ誘導している。このタイミングで水道工事は話ができすぎだ。他に迂回路はない。後続ヴィークルで後退できない。
「こまったな・・・」
『誘導に従って進め』
「俺たちだけじゃない。指示どおり進もう」
「うん・・・」
理恵は何か気にしている。
住宅地をまわって抜けると、前方と左右にコンクリートの壁が現れ、行き止りになった。
「しまった!」
『慌てなくていい・・・』
後退しようとするエコヴィークルーの後ろに、コンテナーヴィークルが横付けになった。
『コンテナーの下を抜けろ』
「車を降りて、コンテナーの下を抜けよう」
「うん・・」
話している間に、左右の壁から覆いが現れて上空が塞がれ、一瞬に意識が薄れた。
気がつくと、省吾と理恵は自宅の居間に居た。
「理恵、だいじょうぶか?怪我してないか?」
省吾は理恵を抱きよせた。放つ熱さも香りも理恵のままだ。怪我はない。ピンクのポロシャツとジーンズに乱れはない。省吾が被せた白いキャップは理恵の横にある。
「だいじょうぶ・・・。でも、風邪の時みたいに頭が重い・・・。先生は?」
「ああ、同じだ。二日酔いみたいだ・・・」
座卓に理恵のバッグとスカウター、ケースに入ったタブレットパソコンと、お茶のペットボトルがあり、オープンキッチンのテーブルに食料品とレシートがある。
「誰が私たちを運んだろう?」
「おそらく、モールで俺たちを守った、黒のワゴンの者たちだよ」
『私たちだぞ』
省吾の意識にマリオンの声が響いた。省吾は頭のタオルを取った。キッチンの窓からポートに理恵のヴィークルが見える。
電源を切ったはずのスカウターが、音声メールの着信を伝えた。
「新体制になって、離婚後、すぐに婚姻届を提出できるよう、民法が改正になりました。市役所に確認してください。
月末上がりの原稿の進行を知らせてください。
携帯に通信したが、繋がらないのでメールしました」
スカウターで木村が話した、新政府の内容ではない。
省吾はスカウターを左側頭部にセットしてスピーカーモードにした。
『うまく話を合せてね』
理恵は省吾の腕をとって省吾の眼を見ている。
「わかった」
省吾は理恵の思いを感じて頷いた。
しばらくして木村と回線が繋がった。
「原稿は順調に進んでる。何かあったのか?」
「いつもどおりの月末の進行確認ですよ」
スカウターを通じて木村の不安が感じられる。
「政府の状況はどうなった?」
「えっ?何の事です?内閣改造ですか?」
「今井さんが調べてんのか?」
「今井は去年、担当を代わりましたよ。今年から先生の担当は、私と陣内ですよ。
我々はエンタメ担当で、政治じゃありませんよ」
木村はわざと嘘を言っている・・・。
省吾はスカウターで話しながら理恵を立たせ、手を握って仕事場へ行った。
「じゃあ、婚姻届の保証人は?君と今井さんが保証人になってくれただろう?」
「離婚届も婚姻届も、私と陣内ですよ」
省吾は引き出しから婚姻届を取り出して机に拡げた。保証人は木村と今井である。理恵がスカウターをセットしていない省吾の右耳に口を近づけた。
『話を合せてね』
わかった、と省吾は頷いた。
「先生、どうしたんです?」
「いや、俺の思いちがいだった。原稿は月末には上がるよ」
「了解しました。
月末、必ずそちらへ伺います・・・。
奥さんにも挨拶したいから・・・」
「わかった。婚姻届の件は市役所に確認するよ。ありがとう。それでは・・・」
通信が切れた。省吾はスカウターを外し、理恵とともに居間に戻った。
「木村さん、何を言いたいんだろう?」
「誰かが、俺たちに関係する物をすり換えるため、月末に侵入する可能性がある、と言いたいのだと思う・・・」
最初、木村は、この家が危険だから逃げろ、と暗に示した。今度は、離婚届も婚姻届も保証人は木村と陣内だ、と言ったが、実際は木村と今井だ。
月末、奥さんに挨拶したいと言うのは、誰かが婚姻届をすり換えるため、つまり、俺たちに関係する物をすり換えるため、誰かが月末に侵入する可能性がある、と言いたいのだろう・・・。
「ここのセキュリティは完璧だ。外部電源が切れても、すぐ自家発電機が稼動する。誰かが侵入すれば、近所に警報が鳴り響く。外から内部配線は切断できない。侵入するには家を破壊するしかないよ」
「目的はこのパソコンね」
理恵は座卓のタブレットパソコンを見て思った。
侵入するのは、私たちを守ったワゴンの者たちじゃない。モールにいたボックスヴィークルのクラリックか、街宣ヴィークルの者たちだ・・・。
省吾は理恵を抱きよせた。
「日記が実現してる。これからも書くけど、どうしてあの男たちに襲われるんだろう?」
記憶の中で、スーツの男たちと武装した制服の男たちが争っている。
「いつも、ネットワークを使わないで日記を書いてたよね」
「うん・・・」
省吾が日記を書くのはタブレットパソコンだけだ。バッテリーを使い、ネットワークは接続しない。仕事と調べ物はデスクトップパソコンを使う。
セキュリティモニターの外部通信回線の接続は、省吾の仕事関係と理恵がパソコンで調べ物をする時だけだ。
セキュリティモニターを中継しないダイレクトな外部通信は、電磁遮蔽ネットと窓のシステムで完全に遮断される。
マリオン、誰がボックスヴィークルとワゴンヴィークルの男たちに知らせた?
『新体制内の者が知らせた。ワゴンは警護ヴィークルだぞ』
専用警護ヴィークルはパトロールヴィークルじゃないのか?
「あの黒のワゴンが、佐伯さんの言った専用警護ヴィークルだよ。
木村さんのような事があると思うけど、あのワゴンの人たちに守られてるみたいだから、慌てずにその場に合せようよ」
理恵がショッピングモールの事件を思いだしている。
「理恵の言うとおりだ。そうするよ・・・」
省吾はマリオンと話している気がした。
省吾は理恵の腰に腕をまわした。
「市役所に確認して、日曜に婚姻届を出そう」
「ほんとに?うわっ!うれしいわっ!」
理恵は身体を密着させて省吾に抱きついた。理恵のしなやかな身体が熱い。芳しい香りがする。
「俺もだ!」
省吾は理恵を力いっぱい抱きしめて持ち上げ、その場でまわった。
「きゃっ、アハハッ、目がまわっちゃうよ。先生ったらっ。アハハっ」
「腹がすいたな」
「お昼すぎてるよ」
時計は十四時を示している。昼食を食べていなかった。
「食べても、何もないはずだよ」
省吾は理恵とオープンキッチンへ行き、テーブルの食品からレーズンパンを取り出した。
「私もそう思う」
「よおし・・・」
二人でレーズンパンを食べた。
俺たちを助けた者が、食品に毒物を入れるはずがない・・・。
『私が助けたのだ。毒なんか入ってないぞ』
ありがとう、わかってるよ・・・。
「理恵となら、どうなってもいい」
「気持ちはわかるけど、そんな簡単にどうかなったら、私が困るよ」
理恵は笑いながら省吾を抱きしめた。
『そうだぞ』
「言い方が悪かった。理恵といつまでもいっしょにいたい、と言う意味だよ」
「私もだよ」
理恵の放つ熱さと香りが増した。理恵は省吾の眼を見ながら、
「座ってね。ハムを切る・・・」
省吾を椅子に座らせ、冷蔵庫からハムを取り出してナイフでスライスして皿に載せた。
「食べてて。コーヒーをいれる」
「忘れてた。俺がいれるよ」
立ちあがって理恵を椅子に座らせた。
省吾はマリオンと話している気がした。
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