十 愛妻 理恵

 二〇二五年、七月二十一日、月曜、海の日。

 八時に省吾は目覚めた。


「おはよう」

 キッチンへ行くと、理恵が半熟の目玉焼きの皿をテーブルに並べ、顔を赤らめた。省吾は理恵の放つ熱さを感じた。

 理恵は昨夜を思ってる・・・。理惠は妻が使っていたキッチンを気にしてない。理恵の性格だろう・・・。

「顔を洗って、食べてね・・・」

 理恵の熱さを感じながら省吾は、はい、と答えて洗面所で顔を洗い、歯を磨く。

『ていねいに磨け。理恵は歯科衛生士だぞ』

 わかった・・・。


 省吾はテーブルの理恵の相向いに座った。理恵の顔が熱い・・・。身体の前面に理恵の熱さを感じる。

「嫌いな物は?」

 理恵が省吾を見つめる。理恵を見つめ返して省吾は答える。

「ないよ」

「塩分控えめにしたよ」

 理恵がサラダを示す。

「うん、ありがとう・・・」

 省吾はサラダを箸で摘まみ、口に入れた。

「これ、うまいな!」

 レタスやキュウリ、キャベツ、ニンジンのありきたりのサラダだが、ドレッシングがうまい。こんなドレッシングは無かったはずだ。作ったのかな・・・。いい味だ・・・。

 省吾はサラダを食べ、トーストと目玉焼きを食べた。

「うれしいな、そう言ってもらえると・・・」

 理恵はテーブルに両肘を乗せて頬杖をつき、省吾が食べるのを笑顔で見ている。

 見られている省吾の手と唇が熱くなった。省吾は手を止め、理恵を見る。

「食べないの?」

「食べるよ・・・。おいしい?」

 理恵は省吾を見つめながら、笑顔でトーストを口へ運ぶ。

「うまい。ドレッシングがうまい。毎日は飽きるけど、夏はいい。秋は温野菜サラダがいいな。サラダ、全部、食べていい?」

「いいよ。うれしいな・・・」

 理恵はそう言って俯いた。

 省吾は理恵に、真夏の炎天下に居るような熱さを感じた。理恵は、作った料理を『うまい』と言って食べてもらった事とが無いらしい。


 食後、使った食器を洗い始めた。

「私が洗うのに・・・」

 理恵が横に来て、少ない食器を二人で洗った。理恵の身体の熱さを感じ、思わず省吾は理恵の頬に唇を触れた。くすぐったい、と言う理恵。ポニーテールの髪から理恵の芳しい香りがする。なにか懐かしい香りだ・・・。何の香りだろう?

「疲れてないか?」

「疲れてないよ。だいじょうぶ・・・。SFを書くのが仕事なんでしょ?」

「よく、わかったね」

「うん、仕事場で本を見た時、わかったよ。今日、仕事は?」

「今日は、海の日、休日だ」

「そしたら、のんびりしててね。コーヒーを持ってく」

「早く、俺たちの子供、産んで欲しいな・・・」

 省吾は理恵の耳元でそう言った。いずれ妻にするんだ。いつ子供ができてもいい・・・。

 理恵の頬が赤くなった。

「うん、私も先生の子ども生みたい・・・」

 放つ熱さと芳しい香りが増した。



 仕事場のテレビがニュースで、

《台風が九州に接近して四国に上陸し、太平洋上へ抜けます。その後、朝鮮半島に停滞する前線が日本列島へ延びて大雨になります》

 と報じている。


 震災と原発事故の後は台風と大雨だ。この上、竹島や尖閣諸島に韓国や中国が侵略したらたまらない。いったい日本に何が起ころうとしてるのか?

 考えられるのは日本への戒めだ。政府への戒めだ。だが、そのために国民が被害を受けるのはたまらない。いや、そうじゃないぞ・・・。

 国民は政府の教育制度で洗脳されて骨抜きにされ、自分たちの本心を政府に要求しなくなってる。ゆとり教育などと巧妙に仕組まれた洗脳教育に気づかなかった結果だ。

 やはり、日本国民への戒めか?それでも、民と国土は守らねばならない・・・。

 台風の進路を変えて、人々を災害から守り給え・・・・。

 そう祈りながら、省吾は仕事場でテレビの音を聞きながら、タブレットパソコンの日記を書いた。


『日本に生じている災害と、それに付随する事故は、「奮い立て国民。政府を建て直せ」との警告だ。馬鹿げた政治を行っている政府が変らぬ場合、現政府を解体して国民本意の新たな政府にしなくてはならない・・・』


「コーヒー、いれたよ・・・」

 理恵が机の右側にコーヒーのトレイを置いた。

「ありがとう!」

 省吾はコーヒーの礼を言い、理恵を椅子に座らせて日記を見せた。省吾は左利きではないが、左手でバーチャルマウスを使う。

「例の日記ね。台風が来てるんだ。被害が出ないように祈らなくっちゃね」

 理恵は小声で人々の安全を祈った。

「私、絶対に日記を他言しないよ。先生が世の中を変えるかも知れないから」

「俺も他人には話さない。パソコンを売ってくれた永嶋さんも、日記は知らないと思う。

 特に理恵さんの事は書かないよ。大切な人に何かあると嫌だから」

「うれしいな!理恵って呼んで、先生」

 理恵の放つ熱さと香りが増した。

「先生はよしてくれ。省吾でいいよ」

「わかったよ、先生」

 理恵は笑っている。


「気になる事があるんだ。昨日から右翼の街宣ヴィークルが来てない」

「右翼も海の日かな・・・。

 先生は私のどこが好き?」

 理恵は、タブレットパソコン見ながら省吾に訊いた。

「まず、優しく厳しい事を言うところ。細かに説明するけど、結構おおざっぱで、あまり拘らないところ・・・。

 それと顔。ほくろがある横顔が好きだ。眼も鼻も口も・・・。

 手も好きだ。指がきれいだ。脚も長くてきれいだ・・・。

 それから・・・」

 省吾は日記の文章をメモリーカードに保存した。

「私の性格をいつ知ったの?」

「二十回くらい歯科治療を受けたから、なんとなくわかった」

 省吾は、理恵から受けた歯科検診を思いだした。目を閉じていたが理恵がどんな姿勢で検診していた感じでわかった。


「ああ、あの時ね・・・」

 理恵は省吾の頭側に座り、胸を省吾の頭に押しつけて治療していた。その事を思いだしたらしく、理恵の放つ熱さが増した。

『胸をくっつけたかったんだぞ、省吾に』

「あの時、先生は、私をどう思った?」

「いつも疲れているみたいだから、気になってた・・・」

 省吾はタブレットパソコンの電源を切った。

「苦労させる奴が許せなかった。近くに居て、何とかしてやれたら、と思ってた」

 省吾は理恵を抱きしめた。細身の理恵は省吾の腕の中に隠れてしまいそうだ。


 仕事場の窓越しに、家の北西側の市道を歩く見慣れぬグレーのスーツの男が見えた。窓ガラスは電圧偏光してある。外から中は見えない。

 男は陽射しを浴びながら、こちらを見て歩いている。よそ者は家の北西側のこの市道を車で通り抜ける。歩くのは見知った近所の者ばかりだ。男の背後を白のボックスヴィークルが徐行している。

『省吾、顔を見せて・・・』

 理恵が省吾の向きを変えた。左側に窓の外を見ていた省吾は、理恵を見る向きに変った。

「ね、ソファーへ行こう」

 理恵は腕を解いてトレイを持った。

「うん」



 理恵と省吾がオープンキッチンのソファーへ移動すると、キッチンの窓越しに、ポートに入ってくる二台の街宣ヴィークルが見えた。これまで街宣ヴィークルはW通りに停止していた。ポートに入ってくるのは初めてだった。

「不法侵入してる。警察に取り締ってもらう」

「うん。向うから、こっちは見えるの?」

「外から家の中は見えないよ」

 省吾は窓際の壁にある操作パネルとセキュリティモニターを示し、説明した。

 操作は各窓の操作パネルか、各部屋のセキュリティモニターの集中窓操作表示を押せばいい。遮光モードが〈中⇒外〉は黄色のインジケーターが点灯し、中から外は見えるが、外から中は見えない。〈中⇔外〉は赤でどちらからも見える。〈中×外〉は青で、どちらからも見えないが、採光してるから室内は明るい。

 窓と壁と天井は防弾防音と断熱と電波遮蔽してある。

 窓の遮光モードが黄色だと、音が聞こえなくても視覚的にうるさい時もある。

「なら、青にしていい?」

「いいよ」

 理恵は操作パネルで、すべての窓のインジケーターを青にした。


 省吾は居間のセキュリティモニターを映像表示外部通信にし、N県警N警察署に連絡した。

「N警察署です」

 回線が繋がり、省吾は担当の女性事務官に説明した。

「W区W通りの田村です。右翼の街宣ヴィークルが二台、私のポートに無断侵入してる。取り締ってください。退去するように私一人で話すのは危険なので、まだ何も話してません。今までは街宣ヴィークルはW通りにいたんだが・・・」

「ポートは離着陸ポートですか?」

「離着陸ポートがある大型の走行ポートです。街宣ヴィークルは走行侵入しました」

 ほとんどのヴィークルがロータージェットウィングを装備しているが、緊急時を除き市内は飛行禁止だ。


「いつから現れたのですか?状況を詳しく教えてください」

「大政同志会の近藤と名乗る男が、政府の政策批判するな、と通信してきたのが六月三日で、それ以後からです」

「大政同志会は危険ですから外に出ないでください。ただちに警官を行かせて取り締らせます・・・。近くを巡回ヴィークルが走行中です。まもなく到着します・・・。

 当警察署からお願いがあります。担当と代ります。しばらくお待ちください・・・」


 通話相手が代った。

「刑事の佐伯です。違反ヴィークルの取り締りに、田村さんのポートをお借りしたいのです。定期的に使えば、街宣ヴィークルは進入できなくなると思います。いかがですか?」

 省吾は理恵を見て佐伯の言葉を確認した。

「交換条件ですか?」

 外部通信は理恵にも聞こえている。理恵は省吾の意図を理解して頷いた。

「そうではありません。W通沿いは、警察ヴィークルを停める場所が無いんですよ。

 お宅のポートは広くて、家の陰にヴィークルを隠せる。好条件がそろってます。

 週に一回か十日に二回、平日だけです。週末は渋滞します。取り締る必要はありません」

 佐伯は穏やかに説明している。


「待ってください。愛妻に確認します・・・」

 省吾は理恵を見た。

 理恵は驚いたまま頷いた。先生は以前から、私を妻にしようと考えたんだ・・・。

 愛妻と呼ばれた驚きとうれしさと、通信相手に対する恥ずかしさで、理恵の顔が赤くなっている。


「ポートを使用する旨を、書面にして届けてください。それなら使ってかまいません」

「契約書ですね。届けましょう。

 大政同志会の近藤で気になる情報があります。しばらくの間、特務部警護班の警護ヴィークルに、田村さんを警護させましょう。

 まもなく、巡回ヴィークルがそちらに到着します。

 今日は巡回ヴィークルが取り締ります」

「ありがとう・・・」

「それでは、また・・」

 通信が切れた。


 理恵は顔を赤らめたまま、オープンキッチンの窓の遮光モードを黄色にした。

 W通りの南に、三台のPV(パトロールヴィークル)が現れた。

 ポートの二台の街宣ヴィークルがポートから急発進し、W通りを北上した。二台のPVが街宣ヴィークルを追跡し、一台がポートに入ってきた。もしもの場合に備え、待機する気らしかった。


 理恵はふたたび遮光モードを青にし、空いたコーヒーカップとトレイをシンクに置いて戻ると、省吾に抱きついた。

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