第4話

「ふざけるな」


 小さく、平坦な声だった。

 剥き出しの叫びだった。


「できるはずがないだろう!?」


 考えなかったわけではない。

 藤司鷹史、今の首相に対する最大の対抗勢力――金条会。

 そして、『洗脳』によって作られた今の社会を崩壊させうる俺の異能。

 接触すれば、命を繋ぐことはできただろう。


 だが。


「俺が殺したんだぞ、俺が!!

 彼らの仲間を、友を、愛する人を!!」


 激し、叫ぶ。

 それと同時に、手が出た。


 乾いた音が、ラウンジに響く。


「……痛いな。

 人を殺せる拳だ」


「そうだよ。

 この手で殺してきたんだ、何人も」


 いったいどうして、彼らの血に染まったこの手で助けを求めることができるのか。


 生きなければならない。

 死にたくない。

 けれど、それだけでは足りなくて。


 腫れた頬を隠すことなく、藤司は立ち上がる。

 同時に、無数の銃口が体中を照準する。

 旅行客らしい男性から、受付にいた空港職員の女性まで。

 分かってはいたが、逃げ道などない。


「やはり、君には失望させられたよ。

 下らないプライドで、可能性を閉じるとは」


「ハ、ハ。

 それが、お前だ。

 お前の理想で、お前の罪だ。

 ――俺は、俺だ」


「そうか」


 笑う俺に、処置無しとばかりに目を瞑る藤司。

 終わりだった。


 数秒後、俺は死ぬ。


 ――この男をここで殺すのは、無意味に社会を乱すだけだと考えていた。

 それもあって、ただ逃げ出すことを選択した。

 空港の入り口で結末を悟り、足掻くことなく導かれたのも、だからだった。


 藤司鷹史という男を尊敬していた。


 今は、少し違う思いを胸に抱いていた。


 コインを投じる気分だった。


「撃て」


 命令が下る。


 俺は踏み込む。


 鈍く、軽く、銃が鳴る。








◇◆◇








「生かされたなぁ……」


 地下。

 湿っているでもなく、薄暗いわけでもない。

 気圧の高さから耳鳴りがするようなこともなく、ただただ快適な地下空間。


 ここは、金条会が日本全域に掘り築いた拠点の一つ、セーフハウスとでも呼ぶべき場所だ。


「ご不満ですか?」


 の制服を脱ぎ捨て、朱と白を基調にしたどことなくおめでたい恰好に着替えた女の子が言った。

 不満や嫌悪などの悪感情は感じられない。

 くすくすと上品に笑っているだけだ。


「いや……、私も、藤司も、どちらも生きている今があるとは思わなかったので」


「それはそれは」


 その笑顔からは、やはり何も感じられない。

 つるりとした仮面を被っているかのよう。


 不気味だ。


 正体の予想はつく。

 あの場に、変装こそしていたとはいえ、素肌を晒して現れたのだ。

 『洗脳』を無効化できる異能を持っていることも、分かっていた。


 けれど、なぜだろう、生理的な恐怖心を、拭えない。


「助けられて良かったですね。

 どちらに死なれても、困りましたから」


 なぜ藤司を殺さなかったのか。

 あそこまで近くに、銃を持って立っていたというのに。


 そう問いかけようとした矢先だった。


 流れとしては順当だが、しかし。


 どうにも、ざわつく。

 不快感が、まるで『洗脳』されていた頃のように、纏わり付いてくる。


 まさか、異能? 

 けれど彼女の異能は『洗脳』を無効化するもののはず。


「ご明察の通り、私の異能は『他者の心を読み取り、洗脳を無効化することができます』。

 さて、何に作用する異能でしょうか」


 首を捻る俺に、ダメ押しの一声。

 唐突な謎かけだった。


 そんなことをしている状況ではない。

 ここは確かに安全だろうが、逃げてきたのだから、その内見つかる。


 思わず見つめるが、彼女はやはり、笑顔の仮面を被っている。

 答えない限り、話には応じてはくれないだろう。


「……目と耳から入る情報を、正しく解釈する異能」


「正確には、音と光から力場を取り除き、本質を読み解く異能です。

 申し訳ありませんが私の意思では止められませんので……、ご不快であれば、あなたの方で、消して下さい」


「……。

 ……消さない方が、都合が良いでしょう?」


「私としては、どちらでも構わないのですが……」


 と、なにやら残念そうに、彼女は言う。

 初めて見せる感情がなのか。


「便利は便利なんですが、鬱陶しいんですよね、この異能。

 見えすぎるし、聞こえすぎるので」


「……なるほど」


 すぐには思い至らなかったが、確かに色々と苦労はあるだろう。

 彼女のようなにあれば極めて有用ではあるものの、日常生活においてはむしろ不便の方が多いかもしれない。


 ……悪いことしたかな。


「そう思うのなら、消して下さい」


「……俺の異能、体が触れてないと作用させられないんですよね」


 どっちつかずな気分で、恐る恐る伝えると、得心がいったように彼女は手を打つ。


「ああ、だから、当たりはしたんですね」


「ええ」


 に襲われた時のことだ。

 異能に直撃し、しかし炎に巻かれることなく走り続けたことから俺の異能に気づいた彼は、そのことを彼女に報告したのだという。


 ややあって、伸ばしかけた手で空を手繰りつつ、彼女は言う。


「……それなら、普通に火傷しているのでは?」


「まあ、それなりに」


「大変じゃないですか! 

 痛いなら痛いって思って下さいよ、もう!!」


 なんか知らんが、一番の大声で怒られた。








◇◆◇








「さて、本題に入りましょう」


 応急手当を終えて、一息吐いた10分後。

 澄まし顔の彼女は、さっさと消せとばかりに手を伸ばす。


 俺は、躊躇いながらも人差し指を立てる。

 すぐさまがっしり掴まれた。

 ……力つっよ。


「ああ、いいですね、この感じ。

 懐かしい」


「……そうですか」


「もう読めないので、ちゃんと喋ってくれないと困りますよ」


 やっと息が吸えた。

 そんな表情で笑う彼女に俺は正直、戸惑う他ない。


 なぜ、手を取れるのか。

 なぜ、助けたのか。


 まだ、それすらも聞けていないのだ。


「そう言えば、自己紹介をしていませんでしたね。

 私は金条きんじょう聡実さとみ、若輩の身ですが、金条会会長の席を預かっています」


「……由羽。

 斎藤、由羽」


「存じています」


 一瞬、名字を隠すことも考えたけれど、止めた。

 なにしろ、その気になれば殺しに来ることができるぐらいには詳しく、俺のことを知っているはずなのだ。

 自己紹介に、儀礼以上の意味はない。

 俺の方だって、彼女の名前と役職は知っていた。


 いつか殺す相手として、知らされていた。


「斉藤由羽さん。

 あなたは――『異能によって生じる全ての力場を打ち消す』異能を持っていますね」


 そんな俺に、フラットな、むしろ明るさすら感じさせる声で、彼女は言うのだ。


「この国を、世界を、全ての人々を、藤司の洗脳から解放するために、あなたの力を貸して下さい」








◇◆◇








 すぐに答えることはできなかった。

 生きたいのなら、他に道はない。

 金条会の庇護を失えば、俺は早晩死ぬだろう。


 けれど、悩んだ。

 どうしたら良いか、分からなかった。


 本音が、浮かび上がる。

 生き延びてしまったからこそ。

 明日が目前に迫ったからこそ。


 どうすれば良いか、分からなかった。


 俺は――。

 俺は。


 ただ、








◆◆◆








読了頂きありがとうございました。


本作はコンテスト応募作となりますので、応募要項の都合上、ここで完結とさせて頂きます。

その内続きを書くので、もしよろしければ、作品フォローをしてお待ちください。

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Escape from Utopia コノワタ @karasumi5656

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