33. 彼の過去
彼の話を聞いて反射的に思ったのが「あやしい」だった。
「そのお話、あなたが朝、校門の近くで男性とお話をしていた件かしら」
「そうそう、やっぱり見ていたんだ。えっと、なんだったかな、鴻君と同じくらい優秀な女子生徒が自分の会社を受けに来たが、採用担当が変わったからどんな人か見に来た、とか、そんな感じだった。ちょっとよく覚えていないけど」
もう、あやしさしかない。
担当が変わったからと、わざわざ学校で聞き込みをする会社なんてあるだろうか。
もし、何らかの事情で私に用があるのなら、速達で直接呼びつけるなりすればいいのに。
そもそも私は、会社訪問時に朔夜云々など言わない。
「なんという名前の会社だったの」
「知らない。言っていなかったし」
「そう。教えてくださってありがとう」
本当は、そんなあやしい人に私のことを教えるなと言いたかったが、やめた。
過ぎたことだし、職探しのことを何も知らない彼に何かを言っても仕方がない。
彼が学生食堂へ向かう。しかし教室の入口で、あっと声を上げて振り返った。
「そういえばさ、足、大丈夫なの」
「え」
「ほら朝見かけた時、足を引きずっていたから」
その言葉に曖昧に微笑むと、彼は教室から出て行った。
二人きりになった途端、朔夜がぷっと吹き出した。
「瑠奈、朝、スキップしていたんじゃないの」
「そうだよう……」
自分としてはスキップしているつもりなのだが、なんでそんな風に見えてしまうのだろう。
彼はしばらくの間くすくすと笑っていたが、やがて真顔になって私の目を見た。
「それはともかく、変な会社だな」
「うん。ちょっと気持ち悪い」
「その訪問者が本当にそんなことを言っていたなら、随分と引継ぎがいい加減じゃないか。そういえば会社訪問の時って、色々な書類を持って行くんだろ。あんなことを他の生徒に聞くような会社、書類の紛失とかもやらかしそうだ」
「うわあ、嫌だなあ。なんだか変な会社の話ばっかり連続で聞くと、もうしばらくは罐焚きのままでいいかな、なんて思っちゃうよ」
焦って職探しをして、変な所に勤めてしまったら面倒だ。今の職場がいい人ばかりなので、つい世の中の会社すべてがあんな感じなのだと思ってしまう。
「変な会社ばかり、って、他に何かトラブルでもあったの」
「ううん、そうじゃないんだけどね。鴻グループの偽物みたいな会社があるなっていう話」
言った後で気づいたのだが、「オオトリ本家」は別に変な会社とは限らない。心の中でオオトリ本家に謝る。
「鴻グループの偽物? 確かに鴻グループを騙って儲け話を持ち掛ける、という詐欺はよくあるらしいけれど」
「あ、いや、そんな恐ろしいことじゃないの。ただ社名が似ている会社があって」
「へえ」
「うん。オオトリ本家っていうらしいんだけどね」
もしかしたら彼なら知っているかも、くらいの気持ちで言ってみる。
すると彼の顔から、さあっと波が引くように表情が消えていった。
それと同時に動きが止まる。
瞳は私の方に向いている。しかし、視線がどこにあるのかわからない。
じわり、と口を開ける。
「それ」
語尾が震えている。
「伯父の会社だ」
机の上に置かれた手を握りしめる。
震える声が鋭く尖る。
「そこが何をしたんだ。一体何を、何かされたのか、会社が、伯父が、まさか伯父が瑠奈に」
「いえいえいえいえ、なんにもないから! 昨日、紅子と、そういう会社があるんだねえって話しただけ」
急に態度が変わり、訳のわからないことを叫び始めた朔夜が怖くなって、私は全力で首を横に振った。
私の全力否定を見て落ち着いてくれたのだろう。彼は握りしめていた拳の力をゆるめ、ほうっと息を吐いた。
「ああ、そうか。そうだよね。ごめん、いきなり強い口調で変なことを言って」
照れたように微笑むが、彼の心に穏やかさが戻っていないのは明らかだ。
微笑みは力なく溶け、口角だけを僅かに上げたまま俯く。
沈黙の隙間を埋めるように、外の音が流れ込む。
「朔夜」
伯父様が嫌いなのは知っているが、だからといってあの反応はおかし過ぎる。
そんな彼に、今、これを訊いていいのかと逡巡する。
朔夜が視線だけ私に向けた。
「伯父様と、なにがあったんだろう」
びくりと肩を震わせている。やはり訊かなければよかったという後悔を頭に巡らせながらも、話を続ける。
「勿論、言いたくなければ言わなくていいの。でも、もし伯父様のことが、変身の周期を狂わせるほどつらいのであれば、私も一緒に受け止めて、朔夜を支えたいなって思うんだ」
詳しいことも知らないで、「支える」などと言ってしまってよかったのだろうか。
おこがましかったか。却って負担になったか。人の気も知らないでと悲しくなったか。
どうしよう、と思った末に出てきた言葉は、あまりにもしょうもないものだった。
「ほら私、力あるしさ」
茶化しているつもりは勿論ない。精神面を筋肉で支えられるわけがないのも百も承知だ。それでも言葉に出してしまった以上、右腕を曲げてぐっと力を入れてみた。
嫌になるほど
制服の上からだとわかりにくいので、朔夜の手を取り力こぶに触れさせる。案の定、「わっ」と驚かれてしまった。
腕の力を緩め、朔夜をまっすぐ見つめる。
口にするのも嫌だ、というのなら、無理に傷をえぐる気はない。
しかし、こんなにも彼に影響を与えてしまっていることを、一生知らないふりをすることはできないと思う。
そう。一生。
私は朔夜を、一生守り、支えたいんだ。
朔夜は視線を落とし、呟くように語り始めた。
「父が、実の兄である伯父を蹴落として鴻家を継いだのは知っているよね」
「うん」
「もともとは伯父が継ぐことになっていたんだ。でも父が、親戚や仕事関係の人にあくどい根回しをして失脚させたらしい。もっとも、この辺は父本人に聞いたわけではないから、詳しいことはわからないけれど」
彼は伯父と何があったか、というだけでなく、その背景から話してくれるらしい。
「ただ、その時点での伯父は、納得して身を引いたそうだ。祖父の意向で、家督を継がない伯父にも相当な額の財産を受け継がせることにしたから、らしい。だから本当ならそれで終わるはずだったんだが、その」
言い淀み、私をちらりと見る。
「父には、鴻家当主、鴻グループ総帥としての、器量がなかった」
そこでつい、頷きかけてしまった。慌てて首を固定する。
「それを見た伯父は当時、『やはり俺に継がせろ』と随分騒いだらしいんだ。でも父は無視をする。すると伯父は……本当にどうしてあんなことをしたのか、今でもわからないのだけれど」
一度唇を結び、息を飲む。
「離れ家にいた、当時三歳の俺を
拐かす。
あまりにも突拍子もない方向に話が向かい、思わず「えっ」という声が漏れた。
「何それひどい。『返してほしければ跡継ぎにしろ』ってこと? ありえないんだけど。だいいち」
「頭悪そうだろ」
そこまで露骨な言葉は考えていなかったが、頷く。
「でも本当なんだ。本来、伯父はそこまで愚鈍な人ではないのに、なぜか瑠奈が言った通りのことを要求してきた。結局、俺は翌日には監禁されていた場所から逃げ出せたし、この件は鴻家の恥だということで、警察沙汰にはならなかった」
俯く。
声が震える。
「監禁された二日間、俺がされたことも含めて全て、うやむやにされたんだ」
その時、何をされたのか。彼はついに話すことはなかった。
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