32. 影に音はなく

 私は割と色々な会社を知っている方だと思う。それでもそんな、鴻グループの真似みたいな会社名は聞いたことがない。

 いちいち「本家」なんて言っているあたりも、なんだかな、という感じだし。


「それ鴻グループじゃないよ。にしても、どうしてそんな会社名にしたんだろう。やっぱり会社の社長さんが『鴻さん』なのかなあ」

「あら、そうなのね。私も父が会社関係の方と話しているのをちらっと聞いただけだから、詳しいことは知らないのよ。あ、もしかしたら『オオトリ』ではなくて『オオトリ』なのかしら」


 しばらく二人で推測してみたが、これ以上私たちで考えても正解はわからないので、この話は一旦おしまいになった。


 実は、昨日の出来事が心に引っ掛かり、ずっともやもやしたものを抱えていたので、私がその会社のことについて深く考えられなかった、というのもある。


 どうも朔夜とお母様の間で、想いの温度差があるように思えてならない。


 なんとなく、彼は大学卒業後に「予備でなくなる」ということを、あまり大きな問題だと思っていないような気がする。

 思えば、そうなる可能性を見越したうえで、望夢君を支えるという話をしていたのだろうし。

 それってもしかしたら、朔夜は今でも自分が、誰からも「家族」と思ってもらえていない、と考えているからではないか。


 でも、お母様も、おそらく今では望夢君も、朔夜を「家族」だと思っている。

 だから予備云々はともかく、朔夜が鴻家を出たら悲しいのではないか。

 そんな、互いの想いを理解し合える日が来るといいな、と思う。


 まあ、もっとも。

 その鴻家を出る出ないという問題は。

 跡継ぎ問題が根底にあるわけで。

 なんで跡継ぎ問題があるかといえば。

 それはつまり。


「瑠奈」


 我に返った私の目の前にあったのは、紅子の美しいにやにや顔だった。


「今、鴻さんのことを考えていたでしょう」

「え、あ、は」

「だってだってえ、一人で顔を赤くしてもじもじしているのですもの。おーい、私がここにいるのですけどお、なんてね」


 私が言い返せずに俯いて、無意味に握り飯を握っていると、伝声管から音楽が流れてきた。

 昼休みが終わってしまった。慌てて握り飯を飲み込む。


 教室の中にぞろぞろと人が入ってきた。その中に朔夜の姿を認める。

 すると紅子は立ち上がり、席に着いた朔夜のもとへつかつかと歩み寄った。


「ちょっと。鴻さん」


 紅子が腕を組んで朔夜を見下ろすさまは、なかなかに迫力がある。怪訝な顔をして紅子を見上げる朔夜に向かって、彼女は大きな声を上げた。


「今、特別室でお食事を頂いてきたのかしら」

「え、ああ、うん」

「まあ、なんということでしょう。私がデビュタントバルのために、お結び一個で我慢しているというのに、エスコートのあなたがしっかりお食事を摂るなんて不公平だわ」


 はたから聞いていてもあまりに理不尽な言いがかりだ。当然、昨夜も困ったように眉尻を下げている。


「いやそれは確か、大河内さんが肥ったせいでドレスが入らなくなりそうだからだろ」


 それは確かにそうなのだが、言い回しが悪すぎる。近くにいた紅子と仲のいい女生徒たちが、朔夜に険しい視線を投げかけていた。


「そ、それはともかくっ。鴻さんといつも切磋琢磨している高梨さんもお結びだけなのよ。鴻さんも同じ苦労を分かち合うべきだわ。というわけで、明日は鴻さんもお結びだけにして、私たち三人で一緒にお昼を頂きましょう」


 なんというかもう、ちょっと何言っているのかわからない。勢いに飲まれて朔夜も了承したみたいだし。一体今、何が起きているのだろう。

 紅子と目が合う。彼女はなぜか、私に向かって可愛らしいウインクをした。




 翌日の朝。

 いつものように鞄と頭陀袋を抱え、学校に向かった。


 私の脇を通り過ぎていく、馬車や自動車の波を眺める。

 自動車は性能や大きさの差が表れやすい。だからより最新式の自動車に乗って人々に見せつけることが、富裕層にとっては大事なのだそうだ。

 私にとってはどうでもいい争いだが、搭載されているエンジンの性能は気になる。やはり、新しい自動車の方がスピードも力もあるようだ。


 私の「魔法のエンジン」も、いつか自動車に載せられるようなサイズになれば、と思う。

 現在私の頭の中にあるものを作るとなると、三メートルくらいの大きさになってしまう。だから道のりは果てしなく遠い。

 けれどもいずれは魔法のエンジンで、自動車から客船まで動かしてみせる。


 心の中にわくわくがこみ上げる。

 思わずスキップしてしまう。

 

 スキップしながら校門をくぐろうとした時、校門のそばで話をしている人たちを見かけた。

 学校の近くに住んでいる生徒の中には、徒歩で登下校している人もいる。おそらくそういった徒歩組二、三人と、一人の中年の男性。

 雰囲気からして、「仲良し同士の立ち話」というより、「中年男性が生徒に話しかけている」という感じだ。

 男性の後ろには馬車が停まっている。


 生徒の一人が振り返り、私と目が合った。同じ予科クラスの男子だ。

 何かを話しながら私を指さす。

 男性が顔を上げ、私を見る。


 私に何か用なのかと思ったが、男性はすぐに目を逸らし、男子生徒と話を続けた。

 あれ、私を指したわけではなかったのかな、と思う。




 昼休みになり握り飯を取り出すと、大移動の波の合間から朔夜と紅子がやってきた。

 はたから見たら、きっと奇妙な光景だ。牡丹と芍薬の間にペンペン草が挟まれているような状態。朔夜は私と向かい合うように座り、紅子に言われたとおりに握り飯を一個取り出した。


「あれ、紅子の握り飯は?」

「私は今日、特別室で頂くの。料理長が特製の野菜スープを作ってくれたから」

 

 しれっとそんなことを言ったので、朔夜がぽかんと大きな口を開けた。


「な、ちょ、大河内さん」

「いやねえ。私、そんなに無粋なお邪魔虫ではなくってよ」


 持っていた布製の鞄から包みを二つ取り出し、私たちの前に置く。


「お二人とも、お休みの日にしか一緒にいられないのでしょう。だから、ね。どうぞごゆっくり。あ、他の人には私が特別室へ行ったことは内緒にするのよ」

 

 ひらりとスカートを翻し、教室を出ていく。

 振り返り、可愛らしいウインクを投げてくる。


 紅子の置いていった包みを開けると、色とりどりの具材が乗せられた、小さな握り飯がいくつも入っていた。




 大移動が一段落し、教室に静けさが満ち始める。

 最近、教室で昼食を摂る人がいなくなってきたこともあり、今日は私と朔夜の二人きりだ。

 学校で二人きりになることは、変身を抑える時以外はあまりない。少し気まずく恥ずかしく、視線を合わせたり逸らせたりする。


 何か話さないと、と焦っていると、教室に男子生徒が入ってきた。どうやら忘れ物をしたらしい。

 確か、朝、校門のそばで話していた人だ。彼は私を見て声を掛けてきた。


「そうだ高梨さん」


 そこで不思議そうな顔をする。


「あれ、大河内さんは」

「あ、いやその」

「まあいいや。あのさ、高梨さんって仕事探ししているよね」


 私が頷くと、彼は言葉を続けた。


「そっか。いや今朝さ、どこかの会社の人が、高梨さんの採用を考えている、みたいな話をしていたから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る